今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

日本人宇宙飛行記念日

2004-12-02 | 記念日
今日(12月2日)は、「日本人宇宙飛行記念日」
1990(平成2)年、TBSの秋山豊寛記者(当時)を載せたソ連のソユーズTM11号が打ち上げられ、日本人初の宇宙飛行に成功した。
宇宙時代の幕開けは、1957(昭和32)年に旧ソ連が世界で最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた時に始まった。1957(昭和32)年には、ライカという名前の犬を乗せたスプートニク2号も打ち上げられ、ライカは地球を回った最初の動物である。初めて、地球をまわった人間は、1961(昭和36)年にボストーク2号で打ち上げられた旧ソ連のユーリ・ガガーリン少佐である。搭乗したガガーリン少佐は、宇宙から地球を見た時の感想を「地球は青かった」と表現し、流行語にもなったね~。このソビエトの宇宙への挑戦に対し、遅れをとっていたアメリカは宇宙計画を急速に進めた。そして、1962(昭和37)年2月20日、米国航空宇宙局(NASA)はジョン・グレンが搭乗したフレンドシップ7号の打上げに成功し、グレン宇宙飛行士は地球を3周した。
1963(昭和38)年、アメリカと旧ソ連は、人類初の月着陸を目指して競争を始めた。同年6月、ソビエトのボストーク6号に搭乗したワレンチナ・テレシコワはが女性として初の宇宙飛行をし、1965(昭和40)年3月、アレクセイ・レオノフはヴォスホード2号を離れ、人類として始めて宇宙遊泳を行っている。
ソビエトとアメリカの激しい競争のなか、1967(昭和42)年1月27日、演習の時にアメリカのアポロ1号のコックピットが火事になり、3人の宇宙飛行士が亡くなるという悲劇が起こっており、同年、ソビエトでは、 宇宙飛行士ウラジミル・コロノフが、宇宙船ソユーズ1号の再突入の時に起こった衝突で亡くなっている。こうして悲劇をともないながら成功を競い合い、ついに、1969(昭和44)年7月20日、アメリカが打ち上げたアポロ11号の月着陸船イーグルが月面の「静かの海」に着陸し、人類が初めて月面に降り立った。アームストロング船長は、月に初めて一歩を踏み出したことについて「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な一歩である」とのメッセージを地球に送った。宇宙飛行では、ソビエトに先を越されたアメリカが、月着陸競争で勝利をおさめた瞬間である。
また、1971(昭和46)年から1982(昭和57)年の間には、アメリカと旧ソ連は、宇宙ステーションを地球軌道に打ち上げた。
1981(昭和56)年には、アメリカは最初のスペースシャトル・コロンビアを打ち上げている。スペースシャトルは、今までのロケットとは違って地上と宇宙の間を往復して運行(人が乗って運行)できるのが特徴である。
その後、次々と実験を成功をさせていたアメリカの宇宙計画は、25回目のスペースシャトル打上げの日の1986(昭和61)年1月28日再び悲劇に見舞われた。打上げの73秒後、チャレンジャーが爆発、この爆発事故で、 6人の宇宙飛行士全員が亡くなり、この中には、日系の鬼塚宇宙飛行士も含まれていた。
ここで、日本の宇宙開拓に目を向けると、日本政府部内で、有人宇宙飛行が検討されるようになったのは1975(昭和50)年頃のことで、その10年後の、1985(昭和60)年8月7日に日本で初めての宇宙飛行士として、スペースシャトルのペイロード・スペシャリスト(PS) が選抜された。それが、毛利衛さん、向井(旧姓内藤)千秋さん、土井隆雄さんの3人である。
日本人の最初の宇宙飛行は毛利衛さんが、なるはずであったが、1986年1月28日の、あのスペースシャトル・チャレンジャーの爆破事故のため、シャトルの運行予定が大幅に見直され、毛利さんの宇宙への切符はお預けとなった。そんな時、NASDAの公式な宇宙飛行とは別に、民間で一般人の宇宙飛行士を送り出そうという企画が出ていた。それも、シャトルの計画見直しとは無関係のロシアのロケットを利用してのことであった。そして、1990(平成2)年12月2日、TBSの「宇宙特派員」秋山豊寛さんがソ連のソユーズTM11に乗って、日本人として初めて 宇宙へ行き、宇宙ステーション「ミール」に約1週間滞在した。(12.10帰還)彼は、日本初というより、世界で初のジャーナリスト宇宙飛行士である。彼が日本で最初に宇宙へ行った意義は大きく「宇宙には誰でも行けるんだ」ということを国民に大きくアピールした功績は大きいと思う。しかし、現在、日本の宇宙開発史のなかでは、この宇宙特派員の存在は公式にはほとんど無視されているようだ。
公式に「日本人初の宇宙飛行」をしたのは、毛利衛さんである。1992(平成4)年9月12日、毛利衛さんは日本人初の宇宙飛行士としてスペースシャトル・エンデバー号で宇宙に飛び立った。科学者として初めて宇宙へ飛び立ったと言うことである。そして、毛利衛さんにつづいて1994(平成6)年7月9日、 心臓外科医として活躍していた向井千秋さんが、日本人女性として初めて宇宙に行った。「日本人初の女性宇宙飛行士」誕生である。彼女は、1998(平成10)年に日本人初の2度目の宇宙飛行もしている。1996(平成8)年1月10日には、日本人初のミッション・スペシャリストとして若田光一が、1997(平成9)年11月20日、には同じくミッションスペシャリスト(MS:搭乗運用技術者)として土井隆雄さんが、今度は日本人初の船外活動を行い、 日本中の熱い注目を集めることとなった。
子供の頃は宇宙へ旅立ち、宇宙遊泳をしたり、月面へ着陸することなどSFの世界や夢の世界であったが、宇宙の世紀と言われる今では、そのうち、一般人でも行こうと思えば行くことが、夢ではなくなってきた。何故か、いつもこの記事を書く時には、人のことは「氏」と表示するのだが、今日は、「さん」と書いてしまった。それだけ、この人たちを、何か身近に感じているせいであろう。これも、その活躍ぶりを、TVと言ったメディアで見ているためであろう。現実に一般の人が宇宙へ旅立つのは後何年後のことだろう・・。あなたは、その時、行ければ、宇宙へ旅行する勇気ありますか?。
(画像はスペースシャトル:コロンビア号。宇宙情報センターHPより借用)
参考:
NASDA(宇宙開発事業団)
http://www.nasda.go.jp/index_j.html
NASDA・JAXA宇宙飛行士のプロフィール
UNIVERSEー宇宙ポータルサイト、ユニバース
http://www.universe-s.com/index_j.html
宇宙情報センター(宇宙航空研究開発機構HP)
http://spaceinfo.jaxa.jp/index_j.html
日本宇宙開拓史
http://www.sf-fantasy.com/magazine/serials/develop/index.shtml
こども宇宙教室
http://www.planetary.or.jp/StarChild/index.html
スペースシャトル
http://www.city.tsukuba.ibaraki.jp/find/space/