今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

金星

2004-12-11 | 歴史
今日は、昨日(12月10日)の朝見た金星の話を・・・。
昨日の午前6時15分頃、私が、パソコンに向かって、昨日の日の日記を書いていた時、家人がいきなり私の部屋へ入ってきて、部屋の窓を開け、「あなた金星と月の並んでいるところが見えるらしい」と言って、ベランダへ出て行った。毎朝、家人が聞いている朝のラジオで、今朝は空が澄んでいるので、望遠鏡などを使って見ると、金星と月の間に火星も並んで三つの星が見えると言っていたという。私も、パソコンの作業を途中で止め、ベランダへ出ると、南東の方角に、火星は見えなかったが、月と金星だけは結構鮮やかに見えた。感動した。もう、昨日の日記は殆ど書いた後なので、今日書くことにした。
太陽と月を除けば、夜空で一番明るく輝く星「金星」は、地球の内側を公転しているため、地球から見ると太陽の周りを動くように見え、太陽から大きく離れることはなく、そのため、太陽がしずんだ後の西の空に見える時には『宵の明星』、太陽が昇る前の東の空に見える時には『明けの明星』と呼ばれているんだそうだ。
金星は、英語ではビーナス(Venus)と呼ばれる。古代ローマ神話に出てくる美の女神であり、ビーナスは、美しいことで有名ですよね~。
神戸の異人館近くの山手にある諏訪山公園近には「金星台」という場所があり、その奥手に「 金星観測記念碑 」がある。1874(明治7)年12月、ジャンセン率いるフランスの観測隊がこの場所で金星を観測したことを記念して建てられたものであり、そのことから広場の名前も金星台と名づけられた。
その時世界各地で観測が行われたが、特に日本は、金星が太陽に入り込むところから抜け出るところまで、全ての過程を見ることの出来る観測の好適地だったようで、フランス観測隊の隊長J.ジャンセンは、自らは長崎に拠点を置き、海軍中尉ドラクロアや通訳兼観測員で日本人の清水誠らに、神戸での観測を委ねた。しかし、長崎は天候が悪かったようだが、諏訪山での観測は好天にも恵まれ、大きな成果を上げたようである。
ちなみに、記念碑には、ジャンセン、観測助手のドラクロワと清水誠の名前があるが、先に述べたように、ジャンセンは、このとき長崎に居て、神戸では観測していなかったのに、名前だけは記されているだね~。
ここで金星観測につかわれた観測装置(子午儀)は、明石市立天文科学館に展示され、明石市指定文化財ともなっているようだ。
この「金星台」の上には「ビーナスブリッジ」という階段橋があり、見晴らしが良く、神戸市街から港までがパノラマのように一望出来、特に夜の夜景が素晴らしい。ここは、今や若者のデートコースになっている。
補:金星観測のこと以下が特に詳しいよ。
明治7年の金星日面経過観測:フランス隊の失敗(byザ・ランス)

参考:
JPS(日本プラネタリウム協会)HP
http://planetarium.jp/index.html
明石市立天文科学館
http://www.am12.akashi.hyogo.jp/
神戸市立青少年科学館
http://www.ksm.or.jp/
金星トリビア
http://www.planetarium.jp/pub/event/2004kinsei/trkobe.htm
明治7年の金星日面経過観測:フランス隊の失敗(byザ・ランス)
http://www.asahi-net.or.jp/~jc1y-ishr/Venus1874/Venus1874.html