今日(12月10日)「三億円事件の日」
1968(昭和43)年、東京・府中市の東芝工場の従業員に支給されるボーナスを積んだ乗用車が、白バイ警官に扮した犯人に強奪される「三億円事件」が起きた日。多くの物証がありながら捜査は迷宮入りし、1975(昭和50)年に時効を迎えた。
1968(昭和43)年、雨の降る歳末警戒の初日の12月10日午前9時20分頃、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が、東京都府中市府中刑務所横を走っていた。そこへ、白バイの警官が近づき、停車を命じ、「離れろっ、爆弾が仕掛けられている」と声を張り上げ、行員等を遠ざけると、次の瞬間、警官は輸送車に飛び乗って逃げ去った。なんと、ニセ警官だったのである。車内には、東芝工場の従業員4600人に支給するボーナスの現金約3億円が積んであった。
警視庁は、事件発生から約10分後、都内全域にものものしい警官及びパトカーを緊急配備したが捕まえることは出来なかった。そして、午前10時20分、現金輸送車は国分寺の墓地の林の中で見つかったが、現金を入れたトランクはなかった。翌1969年、4月9日、東京都小金井市の団地で事件の翌日から放置されていたカローラが見つかり、犯人が逃走に使ったものと判明。後部座席に三億円を入れていたジュラルミンのトランクが積んであったが空であった。府中署は、犯人のモンタージュ写真を「80%の自信がある」として公表した。しかし、その後、このモンタージュ写真には、多くの投書者や捜査本部内にも疑問を抱く声が出て後に破棄されたという。このモンタージュ写真については「銀行員が全く犯人の顔を覚えていないため警察がモンタージュ写真も作れないでは困ると・・事件以前に死亡したまったく関係ない人間の写真を流用した」などとの噂まである。
犯人の白ヘルメットに、白バイ、白マスク、に皮のジャンパーのいでたちは交通警官にバッチり、その上、「車に爆発物があると連絡があった。調べさせてもらう」と停車を命じた次の瞬間、ボンネットの下から白煙が噴出したが、それは、ただの発炎筒であった。そして、犯行に使われたオートバイも白バイに見えるように塗装をしただけのもので盗難車であった。後日発見されたカローラも盗品であった。
兎に角、ピストルもナイフも使わず、たった一人で、まんまと3億円をせしめた実に鮮やかで、巧妙な犯行であった。だから、この事件は、強盗ではなく窃盗扱いになるんだそうだ。しかも、この事件では、盗まれた金額は巨額でも、東芝の従業員には、翌日ボーナスが支払われ、銀行は保険会社から補償金を受け、保険会社は再保険もかけており、やはり全額が補償され、結局、誰も、金銭的な被害は受けていないのである。当時、この事件は日本中を沸かせ、一億総探偵になった。そして、犯人は、犯罪者と言うよりも余りにも鮮やかなことから何か英雄のようにさえ見えたものだ。この事件は、その鮮やかな手口から事情を知ったものの計画的犯行と断定。捜査員延べ17万人以上、捜査費用9000万円を費やした大捜査にもかかわらず、犯人は捕まらず、刑事上の時効は1975年12月10日に、民事上の時効も1988年12月10日に成立。完全犯罪が成立した。犯人がほくそえんでいる姿が想像できる。この事件以降、多くの会社が給料の支給を現金の手渡しから口座振込に切替えるようになった。
この真犯人をめぐっては、さまざまに推理され、この事件を題材にした小説は数多く出版され、映画も作成されている。
戦後、から、この事件が発生する前の昭和30年代中頃までは、金銭犯罪もどちらかといえば小額な、生活のための切羽詰った窃盗のようなものが多かった。それが、高度経済成長期に入り金が全ての時代の風潮が出来てきて、高度経済成長期後半から一角千金をねらっての、金銭の被害額も大きな犯罪が増えてきた時期の犯罪であった。だから、この事件の発生した年は、これ以外にも多数の銀行強盗事件などが発生している。
誘拐事件や殺人事件のような人の生命に関わる犯罪でない限り、三億円事件のような計画的で巧妙な手口での犯罪を楽しんでやるような感じさえ見られた。
では、最近の犯罪は、どうであろうか。もう、今や、誘拐や殺人など日常茶飯事のこととなり、新聞やテレビで報道を見聞きしている方も、又ですか・・・もういい加減にしてほしいと思うくらいのものである。お金のためには人の命など紙くずのように扱う。どうして、日本は、こんなあくどい犯罪の多い国になってしまったのだろうか?
(画像は、公開された犯人のモンタージュ写真)
1968(昭和43)年、東京・府中市の東芝工場の従業員に支給されるボーナスを積んだ乗用車が、白バイ警官に扮した犯人に強奪される「三億円事件」が起きた日。多くの物証がありながら捜査は迷宮入りし、1975(昭和50)年に時効を迎えた。
1968(昭和43)年、雨の降る歳末警戒の初日の12月10日午前9時20分頃、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が、東京都府中市府中刑務所横を走っていた。そこへ、白バイの警官が近づき、停車を命じ、「離れろっ、爆弾が仕掛けられている」と声を張り上げ、行員等を遠ざけると、次の瞬間、警官は輸送車に飛び乗って逃げ去った。なんと、ニセ警官だったのである。車内には、東芝工場の従業員4600人に支給するボーナスの現金約3億円が積んであった。
警視庁は、事件発生から約10分後、都内全域にものものしい警官及びパトカーを緊急配備したが捕まえることは出来なかった。そして、午前10時20分、現金輸送車は国分寺の墓地の林の中で見つかったが、現金を入れたトランクはなかった。翌1969年、4月9日、東京都小金井市の団地で事件の翌日から放置されていたカローラが見つかり、犯人が逃走に使ったものと判明。後部座席に三億円を入れていたジュラルミンのトランクが積んであったが空であった。府中署は、犯人のモンタージュ写真を「80%の自信がある」として公表した。しかし、その後、このモンタージュ写真には、多くの投書者や捜査本部内にも疑問を抱く声が出て後に破棄されたという。このモンタージュ写真については「銀行員が全く犯人の顔を覚えていないため警察がモンタージュ写真も作れないでは困ると・・事件以前に死亡したまったく関係ない人間の写真を流用した」などとの噂まである。
犯人の白ヘルメットに、白バイ、白マスク、に皮のジャンパーのいでたちは交通警官にバッチり、その上、「車に爆発物があると連絡があった。調べさせてもらう」と停車を命じた次の瞬間、ボンネットの下から白煙が噴出したが、それは、ただの発炎筒であった。そして、犯行に使われたオートバイも白バイに見えるように塗装をしただけのもので盗難車であった。後日発見されたカローラも盗品であった。
兎に角、ピストルもナイフも使わず、たった一人で、まんまと3億円をせしめた実に鮮やかで、巧妙な犯行であった。だから、この事件は、強盗ではなく窃盗扱いになるんだそうだ。しかも、この事件では、盗まれた金額は巨額でも、東芝の従業員には、翌日ボーナスが支払われ、銀行は保険会社から補償金を受け、保険会社は再保険もかけており、やはり全額が補償され、結局、誰も、金銭的な被害は受けていないのである。当時、この事件は日本中を沸かせ、一億総探偵になった。そして、犯人は、犯罪者と言うよりも余りにも鮮やかなことから何か英雄のようにさえ見えたものだ。この事件は、その鮮やかな手口から事情を知ったものの計画的犯行と断定。捜査員延べ17万人以上、捜査費用9000万円を費やした大捜査にもかかわらず、犯人は捕まらず、刑事上の時効は1975年12月10日に、民事上の時効も1988年12月10日に成立。完全犯罪が成立した。犯人がほくそえんでいる姿が想像できる。この事件以降、多くの会社が給料の支給を現金の手渡しから口座振込に切替えるようになった。
この真犯人をめぐっては、さまざまに推理され、この事件を題材にした小説は数多く出版され、映画も作成されている。
戦後、から、この事件が発生する前の昭和30年代中頃までは、金銭犯罪もどちらかといえば小額な、生活のための切羽詰った窃盗のようなものが多かった。それが、高度経済成長期に入り金が全ての時代の風潮が出来てきて、高度経済成長期後半から一角千金をねらっての、金銭の被害額も大きな犯罪が増えてきた時期の犯罪であった。だから、この事件の発生した年は、これ以外にも多数の銀行強盗事件などが発生している。
誘拐事件や殺人事件のような人の生命に関わる犯罪でない限り、三億円事件のような計画的で巧妙な手口での犯罪を楽しんでやるような感じさえ見られた。
では、最近の犯罪は、どうであろうか。もう、今や、誘拐や殺人など日常茶飯事のこととなり、新聞やテレビで報道を見聞きしている方も、又ですか・・・もういい加減にしてほしいと思うくらいのものである。お金のためには人の命など紙くずのように扱う。どうして、日本は、こんなあくどい犯罪の多い国になってしまったのだろうか?
(画像は、公開された犯人のモンタージュ写真)