今日(12月3日)は、「カレンダーの日」
全国団扇扇子カレンダー協議会が昭和62(1987)年に制定。明治5(1872)年12月3日が太陽暦の採用によって1873(明治6)年1月1日となったことからこの日を記念日にした。
新暦(現行暦)と旧暦の切り替えは、明治5(1872)年12月2日に行われた.翌3日が明治6(1873年)年元旦である。この暦の改革については面白い話がある。
明治維新が起こっても,暫くは江戸時代に作られた天保暦が使われていた。これは,明治政府がさまざまな改革に忙しく,暦にまで手が回らなかったからであるが、この改暦は余りに慌てて行われたため,閏年の置き方は,最初ユリウス暦の体系(ただし元旦はグレゴリオ暦にあわせた)にされ,明治31年(1898年)年に勅令90号「朕閏年ニ関スル件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トスル」・・・が発令された。勅令90号は、閏年の置き方を定めたもので、これにより,日本はグレゴリオ暦の体系に移行した。現在でもこの勅令は生きている。見ての通り「神武天皇即位紀元」を基準にしている。又、慌てて行った理由は、明治5年年末,旧暦(天保暦)では閏月を入れることになっていた為,月給制をとっていた明治政府は,この年は13月分の給料を支払わなくてはならなかった。そこで,当時財政が逼迫していた明治政府は,急遽,新暦への切り替えを行うことにより,閏月の給料支払いがなくなった上,2日間しかない旧暦12月の支払いもなくして,財政はおおいに助かったということだそうである。このとき、福沢諭吉は「改暦弁」で、「日本国中の人民、此改暦を怪しむものは必ず無学文盲の馬鹿者なり、これを怪しまざるものは必ず平生学問の心掛けのある知者なり。さればこの度の一条は、日本国中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題といふも可なり」(「改暦弁」月刊天文Vol.62より引用)といっており、 明治以降はこの言葉通り、国際化のために固有の文化を破壊することでグローバルスタンダートの道を突き進んできたともいえる。 今も天気予報やニュースなどでは、よく、「暦の上では・・・」などという言葉を耳にするし、この頃は季節がおかしくなったとか、 季節感が無くなったという声も聞かれ、いま、旧暦が見直されている。実際に、自然との関わりにおいては、旧暦が人々の暮らしに合ったものだからである。
歴史本など読むと色々な出来事で、日付と自然現象の食い違いを感じる。例えば、赤穂浪士の討ち入り。旧暦12月14日。今の時代12月のこの頃雪など降ることは滅多にないが、新暦に換算すると、1月30日の大寒の頃にあたる。雪が深々降って当然の時期なのである。
又、和歌の世界でも、西行の「ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃」という歌。西行が亡くなった1190年の旧暦2月16日は、新暦の3月29日頃にあたるのだ。旧暦では、和風月名(わふうげつめい)と呼ばれる月の和風の呼び名を使用していた。和風月名は旧暦の季節や行事に合わせたもので、現在の暦でも使用されることがあるが、現在の季節感とは1~2ヶ月ほどのずれがある。
明治の時代に、欧米諸国に合わせるために強引に廃止された感のある旧暦。
世の営みを時間を中心に考えれば、新暦の良さは有り、今更旧暦に戻すなどということではないが、旧暦の良いところを文化として継承していくことは大切なことだと思う。季節に関係のある繊維業界や農業、漁業といったところでは、深く静かに旧暦を併用した暦が流行っていると聞く。
(画像は、江戸時代の暦の一種。船の絵に月が隠れているのを探そう。国立国会図書館「日本の暦」より、借用。下参考にリンクの同HPへ行くとこのような暦に関する楽しい隠し絵クイズなどもあるよ。)
参考:
全国団扇扇子カレンダー協議会
http://www.zenkyo.net/about_zenkyo.html
国立国会図書館「日本の暦」
国立国会図書館が所蔵する暦のコレクションによって、日本の暦の歴史をたどり、中でも江戸時代に流行した暦の一種である大小暦(だいしょうれき)の楽しみ方を紹介。
http://www.ndl.go.jp/koyomi/
suchowan's Home Page-日本暦日、太陰太陽暦、イスラム暦など、さまざまな暦の相互変換プログラム等を公開しているサイトです。
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/
※外部サイトからここへ帰ってくるときは、戻る(→印)ボタンで帰ってきてくださいね。
全国団扇扇子カレンダー協議会が昭和62(1987)年に制定。明治5(1872)年12月3日が太陽暦の採用によって1873(明治6)年1月1日となったことからこの日を記念日にした。
新暦(現行暦)と旧暦の切り替えは、明治5(1872)年12月2日に行われた.翌3日が明治6(1873年)年元旦である。この暦の改革については面白い話がある。
明治維新が起こっても,暫くは江戸時代に作られた天保暦が使われていた。これは,明治政府がさまざまな改革に忙しく,暦にまで手が回らなかったからであるが、この改暦は余りに慌てて行われたため,閏年の置き方は,最初ユリウス暦の体系(ただし元旦はグレゴリオ暦にあわせた)にされ,明治31年(1898年)年に勅令90号「朕閏年ニ関スル件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トスル」・・・が発令された。勅令90号は、閏年の置き方を定めたもので、これにより,日本はグレゴリオ暦の体系に移行した。現在でもこの勅令は生きている。見ての通り「神武天皇即位紀元」を基準にしている。又、慌てて行った理由は、明治5年年末,旧暦(天保暦)では閏月を入れることになっていた為,月給制をとっていた明治政府は,この年は13月分の給料を支払わなくてはならなかった。そこで,当時財政が逼迫していた明治政府は,急遽,新暦への切り替えを行うことにより,閏月の給料支払いがなくなった上,2日間しかない旧暦12月の支払いもなくして,財政はおおいに助かったということだそうである。このとき、福沢諭吉は「改暦弁」で、「日本国中の人民、此改暦を怪しむものは必ず無学文盲の馬鹿者なり、これを怪しまざるものは必ず平生学問の心掛けのある知者なり。さればこの度の一条は、日本国中の知者と馬鹿者とを区別する吟味の問題といふも可なり」(「改暦弁」月刊天文Vol.62より引用)といっており、 明治以降はこの言葉通り、国際化のために固有の文化を破壊することでグローバルスタンダートの道を突き進んできたともいえる。 今も天気予報やニュースなどでは、よく、「暦の上では・・・」などという言葉を耳にするし、この頃は季節がおかしくなったとか、 季節感が無くなったという声も聞かれ、いま、旧暦が見直されている。実際に、自然との関わりにおいては、旧暦が人々の暮らしに合ったものだからである。
歴史本など読むと色々な出来事で、日付と自然現象の食い違いを感じる。例えば、赤穂浪士の討ち入り。旧暦12月14日。今の時代12月のこの頃雪など降ることは滅多にないが、新暦に換算すると、1月30日の大寒の頃にあたる。雪が深々降って当然の時期なのである。
又、和歌の世界でも、西行の「ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月の頃」という歌。西行が亡くなった1190年の旧暦2月16日は、新暦の3月29日頃にあたるのだ。旧暦では、和風月名(わふうげつめい)と呼ばれる月の和風の呼び名を使用していた。和風月名は旧暦の季節や行事に合わせたもので、現在の暦でも使用されることがあるが、現在の季節感とは1~2ヶ月ほどのずれがある。
明治の時代に、欧米諸国に合わせるために強引に廃止された感のある旧暦。
世の営みを時間を中心に考えれば、新暦の良さは有り、今更旧暦に戻すなどということではないが、旧暦の良いところを文化として継承していくことは大切なことだと思う。季節に関係のある繊維業界や農業、漁業といったところでは、深く静かに旧暦を併用した暦が流行っていると聞く。
(画像は、江戸時代の暦の一種。船の絵に月が隠れているのを探そう。国立国会図書館「日本の暦」より、借用。下参考にリンクの同HPへ行くとこのような暦に関する楽しい隠し絵クイズなどもあるよ。)
参考:
全国団扇扇子カレンダー協議会
http://www.zenkyo.net/about_zenkyo.html
国立国会図書館「日本の暦」
国立国会図書館が所蔵する暦のコレクションによって、日本の暦の歴史をたどり、中でも江戸時代に流行した暦の一種である大小暦(だいしょうれき)の楽しみ方を紹介。
http://www.ndl.go.jp/koyomi/
suchowan's Home Page-日本暦日、太陰太陽暦、イスラム暦など、さまざまな暦の相互変換プログラム等を公開しているサイトです。
http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/
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