よし坊のあっちこっち

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映画三昧 -幻の第二のハリウッド

2007年11月04日 | 映画
あまり世間に知られていないが、と言ってもアメリカの話だが、アメリカ人もあまり知らない話がある。1990年頃、アメリカで、第二のハリウッドを作ろうと言う構想があった。仕掛けたのはジョージア、もっと正確に言うとアトランタである。当時のアトランタは既に南部最大の都市として、更に飛躍を目論んでいた。その最大の目玉が90年のIOC東京会議で勝ち取った96年のアトランタ五輪なのである。この90年を前後して、兎に角アトランタは将来の青写真を描くべく、奔走していたのだ。

アトランタには、ご存知のCNNニュースが有り、そのオーナーだったテッド・ターナーは映画の宝庫の一つであるMGMを所有していた。アトランタはそれ以外にも音楽産業も盛んで、全米でも有数のエンターテインメント都市である。こういう素地も大いに構想に関係してたはずだ。

一本の映画を撮るのには大変な金がかかる。即ち映画を撮影する場所には大きな金が落ちると言う事なのである。ジョージアは州として、撮影の為の税優遇策を打ち出した。続々と映画のシューティングが始まり、カリフォルニアやハリウッドに住んでいた俳優達がジョージアへ移り始めたのだ。

しかし、それは大きな流れにはならなかった。第二のハリウッドと呼ばれるくらいの塊にはならなかったのだ。ハリウッドと言う映画産業は、一握りのハリウッド・マフィアとも言うべき連中に牛耳られているわけで、それに対抗するのは無謀と言えば無謀である。

それだからと言って、大失敗だったのかと言えばそうでもない。ハリウッド並みの塊にはならなかったが、映画産業も相変わらず盛んで、ジョージアに残った俳優も結構いるのだ。とりわけ黒人中心の映画は相当強力である。ハリウッドでは受け入れられなかったパワーがジョージアで花開いたとも言える。

ハリウッド映画史を飾る「風と共に去りぬ」はジョージアを舞台にして懐かしい。


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