よし坊のあっちこっち

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なぜウクライナ侵攻が今だったのか ー ひとつの見方

2022年03月14日 | アメリカ通信
”腐っても大国”のロシアがウクライナに侵攻した。これはロシアの戦争というよりは、プーチンの戦争と言い換えるべきであろう。なぜ”今”だったのだろうか。

ゴルバチョフ、エリツィンの後を受けて、満を持して登場したプーチン。KGB長官時代の秘密情報を駆使して政敵を葬り、秘密警察ネットワークとテクニックを巧妙に利用して現在までの富と独裁体制を築いたと言えよう。国外的にはプーチンに近いビジネスマンにぼろ儲けさせて巨万の富を築かせ、世界中に散らばせた。これがオリガーキーと呼ばれる闇の部分を持つプーチン支援集団なのである。

かねてより専門家から指摘されていたのは、過去のプーチンの演説などから、彼はソ連邦崩壊は間違いであり、これを取り戻せねばならない、という信念を持ち続けていたという。そう考えると、クリミア併合は小手調べだったともいえる。すでにベラルーシがプーチンべったりになっているから、ウクライナを取れば、大ロシア、白ロシア、小ロシアの3つのロシア、すなわちロシア帝国の復活を意図しているのではないだろうか。

そして、なぜ今?

世界の人的パワーバランスからみてふたつ考えられる。まず、ドイツのマーケル退場。EUでのドイツの絶対的地位を確立したのはマーケルであることは誰もが認めるところだ。マーケルは旧東ドイツ出身で頂上まで上り詰めた。ロシアのプーチンともロシア語で話せる政治家である。EU内からの多くの反対にもかかわらず、ロシアからのガスパイプライン建設を取り交わし、ノルド1は稼働、ノルド2も稼働寸前のところまで来ていた。アメリカも含めEU内でもガスパイプラインによるロシアの欧州へのネガティブな影響を不安視する中で、強引に進めたのは、やはり”血”というか、東側出身者としてロシア寄りに動いたとみてもおかしくないだろう。ロシアも民主化したのだから、無茶をしないだろうとの期待はあったかもしれぬが、それは間違いだったということになる。プーチンからすれば、味方ともいえるマーケルがトップの座に留まる限りは下手なことは出来ない。その重石が取れたのである。

もうひとつはトランプの退場だろう。ビジネスでもロシアに近かったトランプだが、プーチンからみれば、何をするか分からない人物、というのが本音だろう。”読めない”人物なのである。ヨーロッパとの協調も考えない、国益より自己益を優先する人物だから、その気になったら躊躇なく戦争も仕掛ける、と見たのかもしれない。自分と同じ”ニオイ”がしたのだろう。このトランプもいなくなった。

この大きな重石が取れた今、まさにチャンス到来である。プーチン自身も先が見え始めている。かくて大勝負に出た。独裁国家、独裁者が繰り返す愚行と言わざるを得ないが、この愚行たるや、簡単に起こる。今回のウクライナ侵攻がそれを見事に証明している。



ハリウッドの光と影

2022年03月04日 | ビジネス横丁こぼれ話
ハリウッドと聞けばカリフォルニアの地名ではあるが、誰もが思い浮かべるのは「映画界」の代名詞としての印象であろう。

世界には屈指の3大映画祭がある。ドイツのベルリン、フランスのカンヌ、イタリアのベネチアの各映画祭で、「国際映画祭」と名前が付いているように、世界中から出品されるコンペティションである。アメリカのアカデミー賞はローカルで、言わばアメリカだけの映画祭なのだが、商業的な影響力は大きく、常に世界の注目の的になっている。ハリウッド映画に出ることは、アメリカの俳優のみならず、世界中の俳優の羨望の的なのだ。アカデミー賞にノミネートされただけで、ギャラは一気に上がり、以後紹介されるときは「アカデミー賞にノミネートされた誰々」と必ずついて回り、最高の宣伝効果にもなる。

ハリウッドはユダヤ人のトップグループがすべてを取り仕切っている、とよく言われるが、そのとおりである。何故ユダヤ人なのか。そこには歴史がある。

Entertainmentの世界。日本流に言えば「芸能の世界」だが、とりわけ映画や芝居の世界は人々に精神的癒しを与える”必需品”の様なものであるにもかかわらず、それを職業として見た途端、下賤な職業として見られる世界であった。日本の伝統芸能のひとつである歌舞伎も、もともと同じ扱いであった。豊臣秀吉の時代に出現した出雲の阿国が始祖とされるが、出雲の阿国は傾(かぶ)いて(傾く=派手な格好をする)踊る”かぶき踊り”を広め、それが長い時間をかけて芸術的とまで言われる伝統芸能の地位を確立したのである。

アメリカの映画界はどうだったのか。トーキー(無声映画)として、静止の写真から動く写真へと画期的な技術変革があったにもかかわらず、産業としての映画は細々とした日々を送らざるを得なかった。最大の理由は、映画を含む芸能産業を一格も二格も下にみていたアングロサクソン系のアメリカ支配層が見向きもしなかったのである。

一方、陰に陽に差別を受けていたユダヤ系アメリカ人は、映画産業のポテンシャルを感じ、ひとつの突破口として打って出たのである。差別するアングロサクソン系にユダヤ系が一矢を報いたのだ。それはなるべくしてなったと言える。え