よし坊のあっちこっち

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オリンピックとは何なのか

2021年07月20日 | いろいろ
もうすぐ東京五輪が開催されるが、まさかのコロナ騒動で悪戦苦闘である。そのせいもあって、ヤレとかヤメロとか賛否渦巻いているが、それとは別に、そもそものオリンピックの位置づけをもう一度考えたほうがよい。

スポーツの祭典を通じて、不穏な世界情勢の緩和に一役買っていたのは事実であろう。貧困が悪を産む、と考えれば貧困国が国力浮揚のためにオリンピック開催出来るまでの国力を備えようと努力する目標にする意味も大きい。例え目標に到達しなくても、だ。かつて富める先進列強国がパワーを誇示する開催の合間に、いわゆる発展途上国が先進国の仲間入りを果たすためにオリンピックを誘導してきた。1964年の東京五輪もそうだった。それまでの五輪は発展途上国にとって国力浮揚がメインだから収支は度外視、不足は国家財政で補えばよかった。成功すればその後の経済拡大となり国全体としては勘定に合う。

オリンピックに転機が訪れたのは1984年のロス五輪だろう。ここでアメリカは儲かる五輪を計画し、見事に大黒字をたたき出したのだ。それまでオリンピックは儲からないのが定説だったのをひっくり返してしまった。これ以降、オリンピックの一層の商業化が進んだ。金を運ぶ観客を呼び込む為には何をすべきか。その果てが、アメリカお得意の野球はゴルフまで客寄せパンダよろしく種目に加えていった。1996年のアトランタ五輪のバスケは酷かった。ドリームチームと称してマイケルジョーダン筆頭に名だたるスタープレイヤーを招集して優勝。ゴルフもテニスも4大タイトルがあるにもかかわらずだ。その点男子サッカーを年齢制限したのは一定の評価が出来る。サッカーはW杯が最高の場であることを明確にメッセージとして出しているからだ。

そもそも、今回の東京五輪。当時経済で苦しんでいた日本の再生を目論んで当時の東京都知事石原慎太郎が仕掛けたものだが、その当時のみを考えたら発想は良かったのかもしれないが、考えてみたら実現するのは10年後なのである。何が起こるか分からない。そして今回、その「何が起こるか分からない」ことが起こったとも言えよう。

この前のロンドン五輪は儲からないことが露呈した。そのため、以後の五輪開催意欲が軒並みトーンダウンして今日に至っている。ここまで来ると、一体オリンピックにどのような意味があるのだろうか。今回の東京五輪が大きな岐路になるかもしれない。

昭和の足跡(27)大学時代

2021年07月16日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
東京外語大を目指し受験勉強をしたのだが、残念ながら「桜散る」であった。難しいことは予想していた。問題は数学だった。高校一年の代数は成績優秀であったが、二年の幾何と記述式問題に入るや成績は下降線をたどった。入試試験でも恐らく半分くらいしか出来ていなかったと思った。当然の結果なので、そうがっかりはしなかった。

予備校は代々木ゼミ。真面目に通う一方、映画三昧も相変わらず続いていた。そしていよいよ願書を出す時期になり、本命上智の英語科、滑り止めを早稲田とした。両方受かり、当然本命に進んだ。

最初の二年は学生運動に見舞われるという事件があったが、4年間は実に楽しかった。貿易英語の勉強会である商業英語サークルという同好会が英語学科内にあり、早速入会した。ESSや英語劇が主流の中にあってマイナーな存在で、悩みは女性会員が少なかったことである。3年の時、会のリーダーを拝命し、サブリーダーの山の井君と専ら”如何に女性が入りやすい会にするか”の環境作りに奔走した。最重要の勉強会は頭のいい田岡君に任せた。

面白いことに、当時早稲田大には立派な商業英語というカリキュラムやゼミが存在していた。その方面では著名な中内教授がおり、我々は教授をお招きして上智での講演会開催を計画、教授の快諾もあって実現した。喜ばしきは、我々が卒業したあと、上智にも中内ゼミが誕生したことだ。

そして、いよいよ就活シーズンを迎えることになる。


アトランタ殺人事件とKKKの影

2021年07月08日 | アメリカ通信
アガサ・クリスティのタイトルにもなりそうな「アトランタ殺人事件」と呼ばれるジョージアでは有名な未解決事件がある。1979年~1981年にかけて起こったこの連続殺人事件(内訳:子供24人大人5人)は別名「Atlanta Child Murders」とも呼ばれる奇妙なコールド・ケース(未解決事件)である。アフリカ系アメリカ人の子供が次々と行方不明になり殺人の犠牲者となった。捜査に当たったアトランタ所轄警察は殺人の最後の局面で起きた大人の殺人事件で浮かんだアフリカ系アメリカ人の容疑者ウェイン・ウィリアムスを逮捕、一連の連続殺人事件の犯人と断定したが、立件起訴に持ち込めたのは大人二件の殺人のみで、他は確固たる証拠もなく、立件できなかった。

この事件の捜査には疑問点が残る。(1)最後のほうで起こった大人の事件での犯人逮捕で一連の事件の同一犯人と結論付けたのは正しかったか(2)ターゲットが子供ばかりという明確なパターンのある連続殺人の流れの最後に突然大人の殺人パターンが入り込むという違和感をどう説明するのか。結局こうした疑問を解くことが出来なかったのである。

1986年、二人のジャーナリストが州捜査局GBIの秘密裏の捜査をすっぱ抜いた。実はGBIは一連の子供の殺人にはKKKが絡んでいるのではないか、との観点から捜査に入っていた。捜査の過程で、KKKのあるファミリーが仲間を集い”人種戦争”を起こそうと計画していたことを突き止めた。GBIの”情報提供者”から、KKKメンバーのひとり、麻薬密売人が仲間内で殺人を仄めかす話をしている事実を受け、隠しマイクでの殺人供述の録音までは成功したが、事件が二人の起訴で幕引きとなったため、Cold Caseとなった。

2004年、DNA捜査が一般的になったこともあり、当時の捜査員だったルイス・グラハムは所轄警察署長になったのを機に、再捜査すべくDNA鑑定を指示したが、当時は未だ、両親の痕跡を受け継ぐ核DNA検査ではなく、母親の痕跡のみ引き継ぐミトコンドリアDNA検査であったため、黒白をつけるには至らなかった。そして核DNA検査が犯罪捜査の主流になったことを受けて、2019年、アトランタ市長ケイシャ・ボトムスはこの事件に決着をつけるべく、再捜査を宣言したのである。因みに、ウェイン・ウィリアムスは当初から犯行を否認し続けている。