よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

見てみぬ振りをする人が加害者となる日

2012年11月29日 | アメリカ通信
何処の国、どんな組織でも”イジメ”は昔からある。しかし、その手口が巧妙かつ陰湿度アップされるに従い、被害の数は増え続け、問題の深刻さは手が付けられないくらいに深くなっている。日本では、まだ”イジメ”が立派な犯罪であるという認識が薄く、犯罪である事で罰する法的整備が全く置き去りにされているように思える。いつもアメリカを引き合いに出さざるを得ないのだが、そういう点では、アメリカは問題認識の感度はレベルが高いし、そのためのルール作りは格段に早い。結局の所、社会の安全性の一つは、社会のセイフティ・ネットである法律がどれだけ整備されるかで測られることになる。

今、アメリカで「イジメという犯罪を知りつつ傍観した者は加害者である」というルールを整備しようとしている。現在の法律では、イジメの直接実行者は加害者としての罰則を受けるが、傍観者は別の罪状で軽い罪に問われるだけである。日本では傍観者は罪にはならないだろうから、アメリカのそれは、やはり厳しいと言わざるを得ないのだが、更に進めて、傍観者も”加害者”としてより重い罪に問おうというものである。傍観者と加害者ではそのイメージも大きく異なり、社会的制裁も違ってくるはずだ。

日本も余程考えた方がよい。

映画三昧 - 007 James Bondの世界

2012年11月19日 | 映画
007最新作のスカイフォールを観て来た。ダニエル・クレイグの三作目だが、相変わらず息もつかせぬ展開であった。ボンド映画は、ダニエル・クレイグになってから最もハードボイルドな味付けになっているような気がする。それにしても昼間11ドルが早朝割引だと6ドルだから、まことにもって得をした気分にさせてくれる。

それにしてもボンド映画誕生から50年とは大したシリーズだ。日本映画だと「男はつらいよ」がよく続いたものだと思うが、こちらも負けてはいない。ショーン・コネリーのドクター・ノーを観たのが中学か高校の時だから、15~6から観始めて今はもう65だから、なんだか化け物的存在の映画である。

面白いもので、役者が好きになると、その作品を観たくなるのがファンだろうか。上の娘などは007の何処が面白いの?という感じだったのだが、どこでダニエル・クレイグに惚れたのか、カジノロワイアルから観始めている。12月に日本は封切るそうだが、早速観にいくそうだ。

初代のショーン・コネリー作品では、「ロシアより愛を込めて」がイチオシで次が「ゴールド・フィンガー」だろうか。3代目のロジャー・ムーア作品になると、コメディーの味付けがより強くなってきたように思う。「ムーン・レイカー」なんかは面白かった。4代目のティモシー・ダルトンでちょっとハードボイルドに戻した感はあるが2作で本来の舞台にさっさと戻ってしまった。ブロスナンも4作撮ったが、やはり長期間ボンドのイメージが付き纏うのは役者として考えさせられるのだろう。とすれば、ダニエル・クレイグも今回で最後かもしれない。

ボンド映画と言えば、コネリー映画の時に「二度死ぬ」のタイトルで日本が舞台になったが、ボンド映画の中でも評価は高い。日本人からみれば残念なのはボンドが花婿になって日本流の結婚式をあげるのだが、”日本と言えばフジヤマ、ゲイシャ”の戦後初期を代表するイメージに近く、違和感が残る。もちろんガイジンには知る由も無いが。

今作でジュディ・デンチのMが死に新しいMが誕生、併せてQも新しくなった。次回作はクレイグがやるのか、Newか、ひとつの興味ではある。

「週刊朝日」に見る”下劣さ”

2012年11月12日 | いろいろ
橋下大阪市長に関する週間朝日の記事に対する第三者委員会の調査結果が公表され、”あるまじき行為”として断罪している。この結果を受けてか、社長は引責辞任したが、当然であろう。問題発生当初は、記事発表に関して自らの正当性を訴えていた事を考えると、自浄作用ではなく、外部からの指摘で責任をとった形であり、あわよくば、連載続行も匂わす雰囲気もあったことからみても、組織のチェック能力もなく、恐らくあるであろうコンプライアンスの思想もお飾りに過ぎないのだろう。

それにしても、最初記事の見出しを見た時は驚いた。一瞬ブラックジャーナリストが書きそうなタイトルだったからだ。「ハシシタ」などと言う書き方に表れている。ブラックジャーナリストが醸し出す下劣な下心が丸見えなのだ。もう一ついただけないのが、実働取材をし、執筆したのがノンフィクション作家の佐野真一という事だ。ノンフィクション物が好きだから、よし坊も彼の作品は大体読んでいるが、仮にも著名なノンフィクション作家が、ブラックジャーナリズムまがいの記事の一端を担ぐとは、あきれてしまう。事は基本的人権に関る重い問題であるにも関らず、だ。何が彼をそうさせたのか。やはり、彼の中に”そういう思想”が基本的なところで有るのだろう。オマケまで付いてしまった。過去の作品における盗作疑惑だ。どうもイカガワシイ匂いが漂ってきた。今後彼がどういう作品をノンフィクションの分野書くのか知らないが、よし坊としては今回の一件で彼の作品とは決別だ。

全く”下劣”という言葉がふさわしい”連中”である。


スーパーTuesday、オバマ勝利と共和党

2012年11月08日 | アメリカ通信
今後4年のアメリカを決めるスーパーチューズデイはあっけなく勝負がついてしまった。投票前から、最後の最後まで縺れるレースと言われていただけに、あのブッシュとゴアの後味の悪いフロリダの集票騒動が脳裏をかすめた。火曜日深夜、大票田のオハイオ、バージニア、フロリダを残して、オバマ票が抜け始めた。そして、”アメリカのヘソ”オハイオの票が開き始め、バージニア、フロリダの票を待たずに、あっさりとロムニーの止めを刺してしまった。しかも終わってみれば ”接戦”ではなかったのだ。

当初から、現職の大統領に勝つには、明確な対立軸を持たないと勝利は難しいとは言われていた。その意味では、オバマの対立軸としての強力な候補を立てられなかった共和党の人材不足が最も大きな敗因ではなかったか、と外野席から思う。

アメリカの大統領選挙はある意味で過酷である。自党での正式候補に認定されるまで熾烈なディベートを勝ち抜かねば成らない。経済の建て直しが急務であるにも関らず、共和党内でのディベートは、ゲイ政策がどうのこうのとか、本筋とは違うところで精力を使い果たし、それが有権者の目にはネガティブに映ったことは間違いない。日本では本筋でなければ傍筋とでも言おうか、しかし、その傍筋でもない、全く別の次元でのファクターで党首が決まるから、全く話にならないのだが。

結局ロムニーは、オバマの政策に取って代わる経済立て直しのグランドデザインを提示出来ずに共和党候補者となり、選挙戦に突入してしまったと言えよう。その結果、ロムニーに対する信頼感、アメリカを任せられるのか、という命題に対し、鍵を握る多くの浮動票層がロムニーに背を向けてしまった。オバマを信認したということではなく、ロムニー不信任の結果としてオバマが勝利したという消去法によるものだったのではないか。

直接民意が反映されるアメリカの選挙はうらやましい限りだ。それに比べ、日本のそれは、民意がなかなか反映されない仕組みだから、いつもフラストレーションを抱えながら、ただただ、ブツブツ言うしかないのだろう。そんな”哀れ”な姿の日本を見るのは、ただただ忍びない。