よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

AZALEAのこと

2012年03月26日 | アメリカ通信
今年は暖冬で、結構なことだが、早くも花粉が舞い、咲く花の順番も番狂わせで、我が家のサクラも既に散ってしまった。サクラと言っても、色はくすんだ、うっすらピンクで、さくらんぼの成るサクラらしく(と言ってもさくらんぼが成ったことはない)、鑑賞に堪えるものではない。

もともと、花や草木を愛でる性質ではないが、年とともに多少の興味が付いてくる。我が家で唯一鑑賞に堪えるのが、写真のアゼリアだろう。毎年、見事に真っ赤な花をプレゼントしてくれる。このお蔭で春がいささか実感でき、あ~、もう直ぐオーガスタのゴルフだと気付かせる。テレビで観ていても、画面に映るアゼリア等の花が綺麗だ。

花粉も、あと暫くの辛抱だ。日本なら、夜桜見物としゃれ込みたいところだが、そうもいかぬので、久しぶりに滝にでも繰り出してみようと思っている。

日本人の美徳と言われているが。。。

2012年03月23日 | アメリカ通信
阪神大震災の時もそうだった。今回の東北の災害の時も同じ様にニュースに載った。それは海外メディアの報道と言う形で現れる。「この混乱の中で、日本人は物取り、略奪に走らない。素晴らしい国民だ」と。災害時と関係なく、ごく一般的な外国人の日本人評価は、「親切な国民」と言うのが定説だ。外から日本(人)を見たとき、そう映るらしい。それはそれで結構な事なのだが。

本当にそうなのだろうか。親切な国民ではない、と言うつもりは無い。しかし、諸外国の人に比べ、格段に「親切な国民」なのかどうか、よく考えてみる必要がある。よその国でも、親切な人はいくらでも居る。火事場泥棒がいない位よく教育されている国民だと言われて、ついその気になりがちだが、本当にそうだろうか。日本にだって、火事場泥棒はおり、ちゃっかり金庫をこじ開けお金を頂いていく。そういった報道があまりないから、何事も無かった様に見えるだけなのではないか。人目がつかぬよう、こっそりやるのかも知れない。その点アメリカは、派手というか、直情的といいうか、商店のガラスを破り、強引に持ち去る。そんな場面がニュースに流れるから、いかにも火事場泥棒が多そうな印象を与える。日本の人口一億二千万人に対し、アメリカは三億人。火事場泥棒が3倍あってもおかしくない計算だ。

今回の震災で、復興の過程で「絆」があっちこっちで強調され、日本人の美徳の継続のような雰囲気を醸しているが、なにやら言葉だけが飛び交っているようで、しっくり来ない。存外、日本人はボトムラインのところでは、他人には無関心であり、それ程親切心も発揮しないのではないかとさえ思えてくる。

日本では昔は町内会があって、コミュニティの維持に努めていたが、遠い昔の話である。アメリカはコミュニティを非常に大切にしており、その核はやはり教会だろう。これなくして、政治も経済もコミュニティも語れない程、生活に深く根ざしている。

アメリカも災害は結構多い。ハリケーンやトルネードで家がやられたりする。そんな時自分の家が壊れたら皆どうするのだろう、と、よそ者としての興味が湧く。大分以前のことではあるが、あるアメリカ人と雑談した時、そんな疑問を投げてみた。

「被災者が真面目に再建しようとして、それでも財政的に困難に直面するならば、その人がアメリカ人であろうと、外国人であろうと、誰かが立ち上がり、手を差し伸べる。それがアメリカ人だ」。

もちろん、全てのケースで、満足なレベルでの支援が出来るわけではないが、謂わば日常のレベルで「弱者を見捨てない」とするVolunteer精神は、はるかに深くアメリカ人の中に根ざしているように感じる。

日本人はどんな国民か、と問われて、「親切な国民」とするのは適切ではないだろう。「おとなしい国民」ではないだろうか。そして「おとなしい」は「音無し」に通じると言うのがよし坊の理解するところだ。

結婚記念日

2012年03月20日 | アメリカ通信
今日、3月20日は、我々夫婦の結婚記念日である。35周年を無事迎えた。今日火曜日はノン・アルコールの日だが、せっかくの記念日、そうもいくまい。

5年前の30周年には、フロリダのキーウェストへ行ったのだが、今回はどこにしようかと迷っている。このアメリカ、気軽に行くところが見当たらない。最近はガソリンの高騰もあり、あまり遠出はする気にならない。といっても、遠出したからと言って面白い所がある訳でもなし。

アメリカ人のバケーションは、一箇所に滞在して、ゆっくり骨休みをするのだが、このスタイルが日本人である我々には出来ない、身に付かない。どこかへ行けば、出来るだけ回ろうとするから忙しい。これは死ぬまで治らない習性だろう。

いろいろ頭を巡らすが中々思う所が出てこないが、一つの案はニューオリンズだ。最後に行ったのは9年前になるか。2005年にハリケーン・カトリーナでダメージを受けたこともあり、その後の復興を見てみたい気もする。フレンチ・クォーターは当時も殆ど被害は無かったはずだが、問題は周囲で、あの有名な、「欲望という名の電車」のストリートカーは健在なのかも気になる。

5月以降は真夏温度となるから、4月までには行ってこようか。

泣けてくる「あの人にあの歌を」

2012年03月11日 | いろいろ
ジャーナリスト森哲志氏の「あの人にあの歌をー三陸大津波物語」を読んだ。あの震災で大切な人を失った被災者の方々の、痛恨の思いと、そんな中でも”元気”を貰った、思い出の歌を綴ったルポである。ひとつひとつのエピソードが、泣けてくる。

この世の中で、大切な人を失うことは、確かに日常的に起こっているけれど、それでも、一挙にあのような多くの人を失う現実には言葉を失う。戦後生まれのよし坊は、戦争の実体験は無いが、今回の災害は、正に「戦争」と言ってもよいのではないか。エピソードの中に、沖合いへと流されていく屋根の上で、仁王立ちになり、彼を見守る助かった人々に手を振りながら、やがて波間に消えていった漁師さんの話がある。海の男は、いつ何時そうなってもいいように、きっと腹のくくり方が出来ているのだろう。よし坊がそうなったら、とても真似できまい。

思い出の歌、心に残る歌。よし坊の場合、それは何だろうか。そんな話をワイフとしていたら、自然と、昔はいい歌が多かったな、と言う話になった。今風の歌にも、きっといい歌はあるのだろうけど、よし坊にもワイフにも、心に響かない。歳を取るとそうなるのか。実のところ、そこが分からない。しかし、やはり、昔の歌は良かった。

よし坊がそうなった時、ワイフがそうなった時、思い出の歌となるのは何なんだろう。その時にならなきゃ、分からん、のだろうな。

亡くなった方々に 「冥福」。

佐藤優の「自壊する帝国」

2012年03月08日 | いろいろ
「国家の罠」以来、久しぶりに佐藤優の本を読んだ。この本には、ソ連が崩壊していく様がビビッドに映し出されている。そして、その生々しさは、やはり、佐藤優という、日本の外交官としては傑出したインテリジェンス能力を備えた外交官が、あの時あの場所に居たことによるものだったと思う。

この本を読んで、つくづく感じるのは、Intelligenceとは何か、国の外交とは何かを思い知らされる。佐藤優の対角に、「外交オンチ」の日本がある。ロシア首脳の北方領土視察計画を全く察知すら出来ず、発覚してから右往左往で、漸くロシア大使を更迭したのはかなり後のことであった。この体たらくは何だろう。日本の在外外交官は、一体仕事をしているのか、という事である。

日本の外交の相手は、突き詰めれば、今も昔も変わらない。中国、ロシア、そしてアメリカだ。外交相手とは、異種の仮想敵国であろう。その認識が無ければ外交なんか出来ゃしない。日本は戦後ボケが入ってしまって、アメリカを親戚だと思っている節がある。とんでもない話で、いつ敵に回るかも知れない、やはり「仮想敵国」なのである。ワシントンに於ける情報収集能力も格段に落ちているというし、今真っ盛りの中国外交は、見るも無残に腰が砕けているのは周知の事。

一体、現在世界中に散らばっている外交官の中で、インテリジェンスに優れたフィールド・エージェントと言える人材が何人居るのだろうか。この仕事には当然リスクが付き物だから、ある種の覚悟がいるはずだが、そこが大方欠落しているのだろう。

それにしても、日本の外交、特にロシア外交の観点から見て、佐藤優を失ったのは大きなロスなのだと思わざるを得ない。プーチンが復帰する今、またまた日本は翻弄されるのは間違いあるまい。

強いアメリカが帰ってくる、かもしれない

2012年03月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
強いアメリカが帰ってくる、かもしれない。

ボストン・コンサルティング・グループが最近出した報告書 「Made in America, Again: Why Manufacturing will return to the U.S.」は、アウトソース先としての中国から製造業が戻ってくるという明るい話題を提供してくれた。

報告書は、中国の急激な賃金上昇及び近年の燃料費の高騰による輸送コストの大幅増がアウトソーシング市場の位置付けを一変させ、2015年迄には、米中のコスト差が10%迄縮まると予想し、かつて中国に手放した製造業の仕事をアメリカに戻す流れが始まったとしている。既に南部のNCでは、かつての主要産業の一つであった家具業界でアメリカ回帰が起こっており、アメリカの基幹産業である自動車業界でも、フォードが既に約2000のジョブをアメリカに戻したと報告されている。

昔から、衣料を含む軽工業品の中国製は世界を席巻し、その後エレクトロニクス、パソコン、そして重量級の自動車が、膨大な中国国内の潜在需要と言う魅力の下に中国進出したわけだが、ここに来て、中国依存の限界が漸く見え始めたと言う事だろう。

このニュースに接した時、昨年のある出来事を思い出した。筆者は一消費者として個人的にスポーツシューズに関心が高い。折りに触れてはスポーツショップに立ち寄りSomething Newを物色するのだが、数あるブランドの中でもNew Balanceが好きである。このブランドは、ナイキだとかアディダス等の他のブランドとは異なったポリシーを昔から貫いている。他ブランド同様、ニューバランスも中国を含む海外生産に依存しているが、100ドルを超える一部のモデルだけは、Made in USAを頑なに守り続けているのだ。今もマサチューセッツのローレンス工場で作っているはずだ。ところが、である。 昨年久しぶりに「New Balance」ショップに立ち寄った時のこと。100ドルゾーンの靴にMade in Chinaが出ているではないか。これをどう読み解くべきか、その時以来大いに迷っていた。ニューバランスはMade in USAのカテゴリーを放棄しようとしているのか、それとも、Made in Chinaでハイエンドのカテゴリーを展開し始めたのか。筆者の勝手な結論はそのいずれかでもない。中国のコストがそこまで上がってしまったのだ。
これからのニューバランスはMade in USAがもっと増えるかも知れない。これはよし坊にとって願っても無い事である。