よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

イッツ JAZZ-The Bad Plus と アトランタ ジャズフェスティバル

2007年05月30日 | Jazz
毎年、5月末の週末の三日間、ミッドタウンにあるピードモントパークに有名どころが集まり、野外でのフリーのジャズフェスティバルが催される。今年は記念すべき30回目らしい。

この数年、なんやらかんやらで、行くチャンスがなかったが、今年は予定が取れたので、行くことにした。日曜日のグループに、その名前から、ちょっと興味をそそるトリオがある。その名も「The Bad Plus」。ジャズには珍しく、白人3人組のピアノ、ベース、ドラムスの典型的なコンボスタイルだ。演奏は、3人共挑戦的で、夫々が相手に挑みかかるような、ハードなノリ。観客も段々エキサイトし始めた。特に、ドラムスのディビッド・キングというのが、激しく且つ抑えながらの演奏が全体を引っ張る。久しぶりに面白いトリオに出会った。(写真はそのThe Bad Plusの演奏)

フリーのジャズだからいい。会場は場所柄黒人の観客が多く、それも演奏にあわせ、ノリノリである。よし坊よりちょっと若い世代の黒人夫婦が、目の前で演奏に合わせ踊り始める。すると周りがドンドン踊り始める。コレは黒人独特のノリだ。黒人は何故こんなに踊りが上手いのか、いつも感心させられる。白人もノッテいるが、やはり黒人のノリには及ばない。ましてや、日本人には到底真似できない。どうして、彼らは、こうも素直に自分の感情を体で表現してしまうのか。演奏を聴いていれば、このよし坊でも自然と体や手足は動き、それなりに、確かにノッテいるのだが、彼らのように、立ち上がって、狭いスペースを一杯に使い、体をくねらせる芸当は出来ない。天性なのか。見ると隣の白人のネエチャンがゴザの上で体をくねり出した。

The Bad Plusの熱演はスタンディング・オベーションを呼び込んだ。

次の演奏は、懐かしのアイアート・モレイラとフローラ・プリムのブラジルのグループだ。この二人がジャズシーンに躍り出たのは、70年代の初め、チック・コリアが当時としては挑戦的な電子ピアノで、あの「Return to Forever」のアルバムを出した時だろう。所謂フュージョンのテイストを持ち込んだ鮮烈的なアルバムだった。このグループに対しても観客は踊りだし、最後は総立ちの感。

AC ミラン リベンジ成る

2007年05月24日 | サッカー
今しがた欧州クラブチャンピオンゲームのファイナルが終わった。ACミランがリバプールに対し2年前のリベンジを果たした格好だ。スコアも2-1と一点差で、よし坊が最も望む点差である。同点でPK合戦による決着は、何とも切ないのだ。だから、PK合戦だけはあまり見たくない。

試合は、リバプールが押し気味に進んだが、やはり、ゴール前で激しく絡める選手の差であろう。リバプールはスティーブン・ジェラルドに加え、強力なのがもう一人欲しい。ACミランは2点入れたインザキとカカがキチンと働いた結果だ。最初の一点目はカカがFKを貰うチャンスを作り出し、点に繋がった。2点目は絶妙な前パスをインザキに出し、ゴ~~ル。要するにサッカーは皆がゴールに向かって働かにゃイカンが、とりわけゴール前で相手に絡むことが出来なきゃ、全てはパァとなる。昔、どこぞの国にいたFWでは何ともならんのだ。

結構ヨーロッパリーグの人気組み合わせがテレビで見れるのでありがたいが、やはり日本と違い、レベルの高さを感じざるを得ない。その中で、スコットランドリーグで活躍した俊介は、体力の無さをテクニックで補い、最優秀選手に選ばれたのは立派。

今年のサッカーの楽しみの一つが終わった。残るビッグイベントは女子ワールドカップなのだ。アメリカは、右を向いても左を見ても、野球、バスケにアメフト。このどれを見ても、「血湧き、肉踊る」感じにはならぬ。やはり、サッカーだろう。ま、戦争を起こすほど煮えたぎってはいないが。

アメリカの鏡、日本ーヘレン・ミアーズのこと

2007年05月22日 | いろいろ
ここに、「アメリカの鏡、日本」(原題名:Mirror for Americans, JAPAN)という訳本がある。

この本を求めたキッカケは、こうだ。約10年前、アメリカに来て間もない頃、年末の地域の大学の同窓会に出た折、時節柄[ニイタカヤマノボレ]の真珠湾攻撃が話題となった。毎年この時期、即ち真珠湾攻撃の日が近づくと、テレビを含むメディアが「あの日を忘れるな」と訴え、それに昂揚する一部のアメリカ人は内心で「俺達を闇討ちしたあのジャップ野郎」と瞬間憎悪の火を燃やす。そして、日本人の間では、まことしやかに「この日は外へ出ると危ないぞ」という話が伝播する。そんな時、一人の先輩が、「アメリカの鏡、日本」を是非読め、と皆に勧めてくれたのだ。

この本が凄いと思うのは、前書きにもあるように、原書が戦争の終わった1945年の早や3年後にアメリカで出版、極めて冷静かつ公平な視点で「アメリカはこの戦争で反省の上に立って多くのことを学び後世にいかさなければならない」と強烈なメッセージを自国アメリカ国民に放っているからである。読んでみると、アメリカ人から見れば相当日本を擁護しているような内容となっているので、マッカーサーが日本での訳本を禁じたのも分かるような気がする。東洋、とりわけ中国と日本に関心を持ち、戦前日本にも住んだ著者、ヘレン・ミアーズが、GHQの一員として再来日、日米の生の現場資料と接する中で、「アメリカよ、この生き方でいいのか」と大いなる疑問を呈しているのだ。又、この本は、アメリカ人が日本及び日本人をどう見ていたかを知るのに興味深いと同時に、果たして我々日本人はアメリカ及びアメリカ人をどの程度理解しているのかを考えるのにも格好の書と思う。

その後のアメリカは、ヘレン・ミアーズの指摘にも拘わらず、ベトナム戦争へ進み、そして今、イラクの終戦処理で喘いでいる。バグダッド陥落後にブッシュが言っていた。「アメリカはかつて日本で素晴らしい終戦処理統治を行い、現在の日本再生の基礎を作った。イラクでも同じような成功を収めるであろう」。全く分かってない。
ヘレン・ミアーズは、この本のお陰で表舞台から退場させられてしまったらしいが、さぞ草葉の陰で呆れて居るであろう。

懲りないアメリカ人必読の書であるが、原書は絶版になっているのが何とも惜しい。



対岸の北朝鮮

2007年05月18日 | 旅行
80年代のことだが、仕事で中国・北朝鮮国境の町、丹東に行ったことがある。

北京駅から夕方の夜行列車に乗ると、翌朝8時前くらいに丹東に着く。初めて行った時は、夜行列車の寝台に苦労した。布団が独特のニオイで寝られない。冬だったから、布団をかぶりたいが、だめだった。この列車は北京から丹東を経由して北朝鮮の新義州までの、いわば国際列車なので、車内アナウンスも中国語、朝鮮語にロシア語でやっていたような記憶がある。さすがに北朝鮮行きなので、眼光鋭く、胸に金日成のバッジをつけた連中がうようよ乗っていたのが印象的であった。

丹東は、朝鮮族の中国人が多いので、ホテル内の表示もハングルがあり、食事にはキムチも出るので、北朝鮮との近さを感じる。ホテルでテレビをつければ、あのかん高い独特の口調と能面のような表情のアナウンサーが金日成をたたえ続ける北の放送が見れる。

初めて丹東の公司を訪問した時、時間の合間に観光と称して、国境を作っている鴨緑江の遊覧船に乗せてくれた。対岸は北朝鮮、右手を見れば、北朝鮮へ入る鉄橋が見える。遊覧船は川中を横切り、北朝鮮側の川べりまで行くのだが、防波堤に座ってボケッとしている連中を身近に見ることが出来た。皆、覇気がない、暗い顔をしていた。それを見ながら、中国人が、「彼らはかわいそうな、貧乏な国民です」と言っていたのが忘れられない。当時の中国人も日本人から見れば相当低い生活をして居ると感じていたが、その彼らが北朝鮮を見てそう言うのだから、相当ひどいのであろう。

中国も近年の発展は目を見張るものがあり、地方もそれなりに発展しているのだろうし、丹東も例外ではあるまい。その丹東から見た対岸の今の景色は、果たして変わっているのだろうか。国家で犯罪をやる国に繁栄はあるまい。

日本のホテルのささやかな楽しみ

2007年05月14日 | 旅行
アメリカでは、大体どんなホテルやモーテルに泊まっても基本は、部屋にはベッドが二つのツイン。ベッドが一つのときは大きいキングサイズ位だから3~4人は寝ることが出来る。。料金は一人で泊まっても複数でも殆ど変わらない。だから、家族4人での旅行では、一部屋4人のシングル料金でよく泊まったものである。割り増しがあっても、シングルのプラス10ドルくらいである。コレが日本となると、そうは行かない。ツインとなれば5割り増しか、倍近くする。

ところがである。先年、所用で東京に行くことになり、アメリカからさるホテルの予約をした。もちろん一人である。日本に着いてチェックインしたのだが、部屋に入ってちょっと驚いた。部屋は何と、ツインである。チェックアウトした時料金を確認したが、ちゃんとシングル料金であった。これは何かの間違いか、それとも?アメリカ人にとれば、「ホテルはベッド二つ」が常識みたいなものであるから、海外客にはそのように取り計らったのかもしれない。

真相はわからぬまま、次に東京へ行く機会が出て来た。物は試しで、今度は別のホテルを予約してみたのだが、同じことが起こった。二回も同じような扱いを受けると、最早偶然とは思えぬ。だから、きっと海外客にはそういう扱いをする事になっているのだと、勝手に解釈している。

因みに泊まった二つのホテルは、決して、高級ホテルではなく、一つは7000円台、もう一つは9000円台の所謂ビジネスホテル。本当はもっと安いホテルに泊まろうと、いつもインターネットで探すが、5000円~7000円台では、かなり前から予約を入れないと取り難い。

最近、このささやかな楽しみを味わう用事がないのが残念である。



親子関係 日本とアメリカ

2007年05月11日 | アメリカ通信
俗に、ウェットの日本人、ドライのアメリカ人と言う。分かりやすくていいのだが、ちょっと待てよ、と言うことが結構ある。

アメリカ人は人前で、自分の娘は「私の美しい娘のジェーンが」とか、「私の自慢の良くできた息子のトムが」とか、日本人からはとても出てこない形容詞を使って表現する。日本人も子供を持てば親バカになるから、当然そう思って居るのだろうが、日本でそんなことを口に出せば、その場で浮いてしまうこと間違いなし。「俺の心を察してくれ」と言う日本人と、「人の心は他人には見えない。だから口に出して言わなきゃ通じない」と思うアメリカ人。素直に言えるアメリカ人が羨ましい。

アメリカでは、老夫婦が相当歳をとったりすると、そろそろ近くに住んでそれとなくケアしよう、等と、息子夫婦が近くに転職してくる。病気でケアが必要になったりすると、これまた、子供が会社を辞め、同居したり、或いは近くへ移り住んでケアしたりする。親が人生の末期を迎えるケースだと、半年とか一年くらい、近くで臨時に働きながら最後を看取ってから、新たに再就職をする。
こんなことが比較的簡単に出来るのは、もちろん、転職が可能な社会環境が整備されているからでもあるが、日本では、一たび親元を離れると、そう簡単には戻れまい。社会の制度としても、親子関係の絆を壊さない力をアメリカは与えているように思う。それが羨ましい。

ウエットとかドライとかでは一括りに出来ない一面だ。

ドーナツ戦争

2007年05月05日 | アメリカ通信
アメリカのクリスピークリーム・ドーナツが日本に第一号店を出し、連日長蛇の列だとの話だ。あのCrispy Creamで長蛇の列? アメリカに住んでいると、なんとも解せない話なのだが、そこはそれ、新しモノ好きの日本人的現象と言うべきか。

日本には、長年の実績を持ったミスタードーナツがデンと構えているわけで、この戦争の行く末はどうなるのか。

よし坊もワイフも、唯一の銘柄を除いて、クリスピークリームのドーナツは落第点である。兎に角甘い。微妙な味にこだわりを持つ日本人には合わない。唯一おススメが、ミスタードーナツにあるホームカットという一品に似たやつだ。これは、どういうわけか、アメリカのお菓子の類にしては珍しくシンプルにして甘さ控えめでよい。長距離ドライブでクイックランチをしたい時、ガソリンスタンドにコレがあると迷わずコレを買って食べるくらいである。

以前、アメリカの新聞に面白い記事が出ていた。日本へ進出するアメリカ企業は、すべからく、以下のことを心してかかるべし。「日本人は新しモノ好きだから、最初の反響はすごいが、コレに惑わされたら失敗する。日本人ほど舌が肥え、或いは目利きする人種は他にいない。だから、並みのモノを持ち込んでも直ぐソッポを向かれる。しかし、良いもの、好みにあったものを持ち込み、一たびその品質にほれ込んでくれると、固定客となる。」

このことを理解せず、今まで幾多の会社が日本に進出し、涙を呑んでいる。ドーナツで言えば、ダンキンドーナツがそうだ。進出したが失敗した。
今回のクリスピークリームがどの様な戦略で臨んでいるのか、過去の教訓に学んでいるのか。2年後が興味津津である。

映画三昧ー 忘れられない俳優

2007年05月01日 | 映画
もう10年位悩まされていることがある。その俳優の名前が思い出せないのだ。有名な、或いはちょっとは知られた俳優でもない。今は日本にいないから今時の人の目に触れることも無い。もしかすると、もうこの世にはいないかも知れない。

時代劇の東映が、70年代にヤクザ路線へ転換してからも、よく3本立てを観にいったものだが、ふてぶてしい顔で、チンピラやら、鉄砲玉の役が多かった、妙に忘れられない若い俳優がいた。映画を観ると大概出ている。あ~、またこいつ出ているな、と思ったものだ。
ところが、北朝鮮帰還船が最後を迎えつつある時期に、たまたま小さな芸能記事(当時の芸能記事と言えば、新聞なら、東スポ、週刊誌ならアサヒ芸能、或いは週間大衆だろう。ひょっとしてスクリーンかもしれない)に彼のインタビュー記事が出ていた。自分は朝鮮半島出身で、帰還船事業が終わりに近づきつつあり、コレを逃したらもう祖国に渡るチャンスは無いと、悩んだ末決断したとあった。

当時は名前を覚えていた(はず)だが、彼がいなくなり、やがて東映のヤクザ路線も下火になり、頭の中から消えてしまった。気になり出したのは、日本人の拉致問題が出始めて、北朝鮮がそれまで以上にクローズアップし始めた頃で、彼はどうしているのだろうかと思いを馳せつつ名前を思い出そうとしても、一向に出てこない。
悪名高きキム・ジョンイルは無類の映画好きだから、彼も俳優の端くれ、ひょっとしたら彼の地の映画で仕事を得ているかも知れない、等といい方に思いたいが、現実はそんなに甘くは無いだろう。むしろ悲惨な人生を送っているのだろう思うと、今更ながら、かつて北朝鮮の嘘にだまされて、帰還事業なるものを始めてしまった当時の左翼2政党の罪は重く、人道主義という言葉の前にそれを許してしまった政権党の罪も決して軽くは無い。