よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

アメリカの合理主義を垣間見るとき

2020年05月21日 | アメリカ通信
アメリカに住んでいると、時々”合理的なアメリカ”に出くわすことがある。国によって制度が違うから一概に言えないところもあるのだが、日本だとそうはならないだろうな、ということが実感させられる。このコロナ禍でそんなことに出くわした。

車社会アメリカでは当然自動車保険がつきもの。このコロナ禍で各州とも法律に基づき「自宅待機」命令が出た。ということは、不要不急での外出は禁止となるから、当然足である車に乗る時間もグッと少なくなる。自宅待機発令から一か月が経ったころ、保険会社からEメールが来た。先払いした保険料の15%を月割りで返却するという。恐らく待機解除まで続くようだ。

保険料は或る一定マイルを乗る前提で計算されているわけだから、このような非常事態では当然走行マイルは減る。取り過ぎ部分を返却するわけである。額の多少にかかわらず、考え方として気持ちがいい。合理性を垣間見る思いだ。日本ではそういうことにはなるまい。




コロナの後、日本は注目の的となる

2020年05月10日 | アメリカ通信
世界も、そして日本も漸くコロナ禍の峠を越しつつある。それにしても世界の先進国と言われる欧米諸国が軒並み手痛いダメージを受けたのは、何故だろうか。とりわけアメリカが、医学面経済面で予想外のダメージ様相を呈している。ひとつの原因として「政治が科学を無視した」ことが挙げられよう。

さて、今回のコロナ報道は、連日のように感染者数を前面に報じて、ある種市民の恐怖を煽っているようにも感ずるのだが、被害の実態は感染者数もさることながら、死者数で測るべきではないだろうか。それがその国が対応した実力評価でもあるはずだ。

死者数でみると、日本は驚異的とも言える程死者数が少ない。ずば抜けて少ないのだ。現在(5月9日)のデータで主要国を人口比でみると、100万人当たりの死者数は次の通りとなる。
日本と韓国が拮抗して5人、ドイツが二ケタ台で90人、アメリカが240人、英仏伊西が400~500人超となっている。

諸外国のようなロックダウンもせず 、自粛で乗り切る日本は羨望とともにヤッカミの対象になっているが、コロナ禍が収束すれば否応なしに注目の的になるだろう。世界がヤッカムのもよく理解できる。ロックダウンもしないのに何故少ない? 通勤満員電車が都市部では当たり前なのに何故少ない? などなど、日本人のよし坊でも何故?と思う。日本の当局はこの辺りを検証して、何故日本はそうなりつつあるのか、を世界に知らしめてほしいものだ。

コロナのアメリカ

2020年05月03日 | アメリカ通信
一昨年のイエローストーンに続き、ユタの有名なアーチーズへ行く予定でホテルも早々と予約していたのだが、このコロナ禍で不可能となった。この秋冬もコロナがぶり返す可能性大、とCDCがコメントしているところからすると、今年の種々イベントは殆どうまくはいくまい。来年の東京五輪も怪しくなってくる。

アメリカもどうやら峠を越したようだ。我が家のコロナ対策はご多分に漏れず、マスクに半透明の手袋で二週間に一度の買い物に行く。そろそろ来週からいつもの週一に戻そうと考えているところだ。

当初はさすがのアメリカでもトイレットペーパーパニックが起こったが、程なく鎮静化したが、パニックの最中、取り合いで警察沙汰になる光景がニュースに流れていたから、アメリカ人もいざとなると本性が剥き出しになる。

買い物でひとつ変化がある。食料品は韓国系のスーパーに依存しているのだが、カリフォルニア産の日本ブランドの米が姿を消しているのだ。お米命、の我々にとって大きな問題で、早く店頭に並んでほしいものだ。

毎日が日曜日、の我々年金生活者は、コロナ禍の自粛生活もそれほど苦にならぬが、勤めの人達にとっては相当の苦痛というかストレスに違いない。特に日銭商売のビジネス形態は”大変”を通り越しているだろう。

今回の混乱は、リーマンショック時の比ではないことはよく分かる。単なる金融不祥事による経済混乱ではないからだ。社会システムの混乱とダメージはけた外れだろう。何やら世界が疲弊した第二次世界大戦以来、イケイケどんどんの世界の在り方に神が警鐘を鳴らしたような気がしてならない。これからの未来への生き方を立ち止まって考えろ、と言っているような気がする。