よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

No News is Bad News

2010年02月26日 | ビジネス横丁こぼれ話
「便りの無いのは良い知らせ」、これがビジネスの世界だと、ちょいと事情が違ってくる。

報・連・相のという言葉をよく聞くし、普通、何処の会社でも啓蒙実践をしているはずだが、現代のように極端に対面コミュニケーションが少ない時代では、いかに有効な報・連・相を実施するかは、重要な課題である。

たまに、問題がなければ、報告しなくても良いと勘違いしている人がいる。特に、ルーティン業務などに携わっていると、何か問題が起こった時だけ報告すればよいと勝手に判断してしまう。ところが、ルーティン業務というのが、中々の曲者で、業務慣れしているから、ちょっとしたミスを見逃し、それが後々大きな問題の引き金になったりする。ルーティン業務は簡単業務、と軽く見ていると思わぬ落とし穴にはまってしまう。

上司と部下の報・連・相を上司の側から見ると、部下からの報告を漫然と待っているだけでは芸が無い。やはり、部下にそうさせるように仕向ける努力や工夫が必要だろう。しかし、中々上手く行かない。日系企業の日本人幹部は一人何役もやらされているから、どうしても忙しさにかまけてタイムリーなフォローが出来にくくなってしまう。 

ある日本人セールスのマネジャーが、久しぶりにお客を訪問した。最近注文が減少しているからである。そして驚いた。半年以上前に二回ほどデリバリー担当者のミスがあり、その時は代行担当者の手配で事なきを得たのだが、不安材料となり、購入先を複数に増やしたとの事。早速帰って調べると、ミスは事実であった。問題が発生したが、お客に損失を与えずに収まったから、直接担当者も代行担当者も上に報告を上げなかったのかもしれない。或は、アメリカ特有のもので、問題を起こした事実を報告すると罰点が付くと思った可能性もある。しかし、現実は後になって注文減という大きな問題になってしまった。 

二回のミスを検証すると、いずれも休暇取得直前に対応した時にミスが生じ、翌日代行担当者が苦情を受けていた。この直接担当者は、休暇取得直前は、注意散漫になるらしい。最初のミスで日本人セールスに異常報告は上がっていれば、お客さんに電話の一本も入れ、詫びることによって、先方も一安心するものだ。更に、社内の異常報告義務を徹底する仕組みやルールを考え、いち早く業務改善が出来たかもしれない。

もう一度、報・連・相のあり方を再検証してみては如何だろうか。

外圧で動く国

2010年02月25日 | アメリカ通信
いよいよ、当地アメリカの本日、トヨタの御曹司の公聴会登場である。今までアメリカの公聴会を見てきたが、凄まじいものがある。日本では決してお目にかかれぬ鋭い質問を浴びせ、公共の下に晒す。我々普通の人々でも見ていれば、嘘っぽいかどうかが分かるから、される方にとってはキツイ。

世界の、と言っていたトヨタの殿が、このような場に引きずりだされるのは、今後の日本の為の大きな節目になって、大変良い事だとおもう。

それにしても、ペリー来航が日本開国に繋がっていったように、外圧が無いと動かない、動けない国の伝統を、相変わらず守っている日本の姿が浮き彫りになっている。今回の騒動に触発されて、お膝元日本でも、公共機関の原因調査が始まったと伝えれれた。日本でも、同様の事故や不具合が発生していた可能性があるが、日本で、そのような報告を一消費者がしても、全く相手にされないのが目に見えている。国を背負って立っていると豪語する自動車業界の傲慢さが出るのであろう。

悔しいが、自助努力の出来ない国民としては、これからも、せいぜい外圧を姑息に利用するしか無いのだろうか。

映画三昧ー田宮二郎

2010年02月24日 | 映画
田宮二郎は惜しい俳優の一人だった。彼の場合、強い自我が災いして、永田雅一の逆鱗に触れ、男では五社協定の犠牲者第一号のはずで、ここから彼の下り坂(もちろん、テレビでの白シリーズのヒットはあったが)が始まり、あのような形で亡くなったのは残念だ。

あの重厚な、「白い巨塔」は別として、彼の映画で好きだったのは、準主役というか、勝新と共演の「悪名」シリーズだ。八尾の浅吉親分と丁々発止の田宮の清次。河内を舞台に、このなんともいえないコンビの味は、格別のものがある。

主演級を張れる役者では、海外に出しても恥ずかしくない英語の使い手第一人者だったから、本当は、もっとチャンスがあればよかったのだろう。晩年、自主制作で、英国を舞台に「Yellow Dog」を撮ったが、興行失敗は残念。英語といえば田宮の次が丹波哲郎か。

映画三昧ー時代劇と悪役スター

2010年02月20日 | 映画
時代劇には悪役が欠かせない。主役目当てで映画を観に行くのだが、楽しみのひとつに悪役がある。最初に配役が出始め、主演助演級が終わると脇の名前が出てくる。今日はこの悪役か、と思わずニンマリしてしまう。

東映大映華やかりし頃、いろいろな悪役がいた。上田吉二郎。あの顔と独特の台詞回しが懐かしい。吉田義男もいた。山形勲もワルだった。悪い殿とか家老役で、出ていたのが、澤村宗之助、伊藤雄之助の兄貴だ。目がクリっとして、可愛らしいがワルだった。月形龍之介もいたな。だけど、東映のロングシリーズ、水戸黄門になってからは、善人一筋になっちゃった。東野英治郎も同じ様に、善人に変身した。それ程目立たない所では石黒達也ってのもいたね。

臍の下と人格者

2010年02月20日 | いろいろ
さすがに、臍の字を書けと言われても、辞書のお世話にならないと書けない。漢字検定の合格を貰っている人は、このレベルは難なく書けるのだろうか、そうだとしたら、尊敬に値する。
さて、「あの人は人格者だから」と言う。こういう台詞を吐かれると、途端に困惑するよし坊。何を持って人格者と言うのか。学歴か、会社の地位か、それとも他にあるのか。よし坊にはサッパリ分からない。

そもそも、この台詞は、「あの人は人格者だった」と過去形で使うべきである。但し、表面には出なかった非人格者的行動は、深層部分に隠されていて、神のみぞ知る、を前提にしての事だ。人生を全うする前には、いろいろ起こるから、最後の一息まで予断を許さないから、現在形では決して使えないはずだ。

最も厄介なのが、「臍下三寸」である。昔から、そこには人格無しとされている。こればかりは、時に制御不能となり、折角、人格者候補だった人が、そのリストから落ちていく。世の中、社会的地位があると、つい人格者と錯覚しがちだから、用心しなくてはいけない。いくら社会的地位のある人でも、また、教育の徒であろうと、早計に人格者などと呼ぶべからずである。

よし坊自身は人格者になれそうも無いが、周りに、そう呼べそうな人が一人いた。長い人生で、人格者に出会うのは仲々難しいようだ。

映画三昧ーLakeview Terrace

2010年02月19日 | 映画
封切の時には、あまり見る積もり無く、たまたま何かの時に観て、意外と面白い、と言う映画がある。サミュエル・ジャクソンの「Lakeview Terrace」がそれだった。

サミュエル・ジャクソンは、主役もあるが、脇というか、主役の敵役も非常に多く、そのせいか、出る映画本数では、ハリウッドのベスト3に入るのではないと思う。従って、稼ぎも相当いい俳優だ。

このLakeview Terraceはテーマが面白い。アメリカは差別の国だから、それをテーマにする映画は事欠かない。この映画は、黒人警官が、隣に越してきた白人男性と黒人女性のカップルに差別嫌がらせをする話で、Iこの映画を離れても、Interracial marriageに対する、やっかみから差別に行くことは有るだろうなと思う。おなじInterracial marriageでも、白人女性と黒人男性の組み合わせは、受ける差別はもっときついはずで、映画の中でも話題として出ていた。

映画のテーマから離れるが、このアメリカ、アメリカ人といえば、もともと白人と黒人を指す(もちろん、出だしは主人の白人と奴隷の黒人ではあるが)。そこに黄色いアジア人や、やや褐色の中南米人(もちろん中には、白い肌も居るが)が入ってきて、先住黒人アメリカ人を蹴落として、白人の次に居座ってしまった。最初のオリジナル・アメリカ人のうち、黒人がボトムに押しやられるという現実は、考えさせられる。

フロアマット事故、今更言いたくはないが

2010年02月17日 | アメリカ通信
我が家の車はトヨタ。熱烈に好きだったわけでもないが、日本で初めて乗ったのが、カローラ。結婚した時、嫁はんが、ご祝儀で持ってきてくれた。次にグレードアップしてカムリに代えたところで、アメリカに来てしまった。当然カムリとなり、今は4ランナーだ。最初のトヨタがそのまま続いている。

今回のリコール騒動で、またまた対応のマズサを指摘されたニッポンメーカーだが、事の起こりがアクセルがフロアマットに引っ掛かるという現象。それが、今では単に引っ掛かるのではない構造的欠陥があるのではないか、との疑念がもたれているという。

実は、95年モデルのカムリにずっと乗っていたのだが、たまにアクセルが引っ掛かることがあった。オカシイなとは思っていたが、気に留めるほどではないと思っていた。しかし、今回の事故を考えると、そもそも、この欠陥は以前からあったが、事故にもならず、発生件数も極めて少なかったから、表面化するまでには至らなかったと考えてもおかしくない。要するに、英語で言う、Marginalな所でギリギリセーフだったのだと思う。それが、品質管理が落ちたのか(間違いなく落ちてきていると見るが)、検証システムに奢りが出てきたのか、Marginal lineを超える数が多くなったという事ではないだろうか。ひょっとしたら、今まで、そのような苦情なり問い合わせが届いていた可能性もあるが、無視されたか、闇に葬られたかのどちらかしかない。会社勤めをした経験があれば、闇に葬る事の簡単な事ぐらい想像はつく。

ジハード(聖戦)とテルアビブ乱射事件

2010年02月16日 | アメリカ通信
今日、わが友テッチャンと日本を憂うる話をしていたのだが、一つの問題は日本の孤立化だ。世の中のグローバル化に背を向けて、日本はどんどん孤立化の方向に言っているような気がする。どういう事かというと、確かに海外で活動するという意味ではインターナショナル化、国際化が進んだが、それとグローバル化は違う。持論であるが、日本のような「島国体質国家」では国際化は出来ても、グローバル化は非常に下手なので、どんどん取り残される。従って孤立化する。

何故こんな話をするかと言うと、孤立化する日本が世界にどう映るか。世界が抱くイメージは、普段大人しい、優等生のような子が、ある日突然切れて、とんでもない事を仕出かす、そういうイメージなのではないか。それがアメリカから見た、かつての真珠湾奇襲であり、カミカゼのような気がする。限りなく不気味なのである。学校では優等生の子が、ある日突然ブッチギレて、とんでもない事件を起こし、その恐怖の後に来る、あの不気味さに似ている。

カミカゼといえば、日本人が書いたのか外国人が書いたのか忘れたが、大分以前に興味深い記事を目にした。確か、例の9.11テロがあった後だ。イスラムの自爆テロは日本の輸出品だという。そのきっかけは、1972年の岡本公三達によるテルアビブの赤軍派空港乱射事件にあり。あそこで、行われたカミカゼ的自爆テロの精神が引き継がれたと言う。
それまで、イスラムのジハードには、自爆の考えは無かった。この赤軍が、その後、パレスチナに入り込み、例の重信房子一派が広めた結果、イスラム過激派がジハードにカミカゼ自爆を基本戦術を取り入れて行ったという。そうだとしたら、日本はとんでもないものを輸出してしまったことになる。

日本から、世界を見ていると、おなじ土俵で相撲を取っている錯覚に陥るが、世界から日本を見ると、様子は違ってくる。これに皆気が付かない。
世界の孤立化で有名を馳せている北朝鮮。ここで思い出すのは、6~7年前の国連のアジア地域の英語力のランキング。日本は北朝鮮と並び、堂々の最下位。なにやら、象徴的なランキングで、背筋がブルっとくる。

もう岡田はいいだろう

2010年02月14日 | サッカー
最近は、日本が格下に負けても怒る気もすっかり失せているよし坊である。東アジア選手権も中韓の後塵を拝しているのだから、相変わらずと言うしかない。節目節目での責任が重要で、機を逸してはいるが、もう岡田はいいだろう。W杯を目前に控えているからこそ、代えないと。今の実力だと、予選ラウンドを突破できそうも無い。そこで、W杯のみの監督職を公募するか、ヘッドハントする。外人がいい。全く日本人とは違った目で見ることが必須だろう。日本人の仲良しクラブでは到底世界のエグイサッカーには付いていけない。報酬は、ベースは抑え気味にし、予選ラウンド突破ボーナス、決勝ラウンド一勝につきボーナスを出す。このくらい大胆なことをやらないと駄目な日本。個人的にはトルシェをもう一度使いたい。

まず、もっと大胆に海外組みを重用する。稲刈りスタイルニッポンではだめで、ハンターの如く獲物を追わないと点など取れない。何故海外組みかと言うと、精神的にハンターだ。海外で定位置を確保するには、遠慮は無用の、オレがオレが、の厚かましさが無ければ無理。彼らには少なくてもそれが国内組みより遥かににあるはずだ。海外組み偏重と言われても構わない。要するに、今までの延長では困るわけだ、応援している方としては。

大体、中国戦で、ドローちゃだめだ。あれは負けていた試合。格下相手には勝たないといけない。

今まで海外組みのフォワードやミッドフィルダーが日本代表チームで殆ど活躍が出来ていないのには、何かチームに欠陥があるとしか思えない。日本人的「和」では最早世界には通用しないのに、未だそれが分かっていない気がする。これは、協会も同罪だろう。

なぜか、今までの海外組みとか海外経験者が日本へ帰ると、すっかり埋没する。あの、ドイツで活躍した高原はどうなったか。さっぱり話を聞かない。怪我とかいろいろ理由はあるかもしれないが、外から見ると、海外組みは凹まされているような気がしてならぬ。

もう、岡田にはうんざりだ。今が代え時だ。

ラジオの時代、赤胴鈴の助だ

2010年02月13日 | いろいろ
先日、昭和30年代を舞台にした古い映画を見ていたら、画面は、ラジオから、「剣をとっては日本一の」赤胴鈴の助の番組の冒頭の歌が流れていた。

当時は少年画報とか冒険王が我々の月一の楽しみで、よし坊は少年画報を買っていた。読み終わったら、冒険王を買っている友達と交換だ。

赤胴鈴の助には思い出がある。当時、公開録音というのが、どこかの遊園地であり、わざわざ見に行ったことがある。何処の遊園地だったか、思い出せないのだが、たぶん豊島園ではないだろうか。後に、そんなに有名な女優になるとは思ってなかった、吉永小百合と藤田弓子が舞台の上で、マイクに向かってドラマを展開していたのを覚えている。大映で、梅若正二主演で何本か作られており、せっせと観にいっていた。

ラジオの時代。あの頃、夜寝ながら、枕もとのラジオを置いて、ボリュームを絞り、耳を研ぎ澄ますように聞き入っていたものだ。他に思い出せるドラマは、「一丁目一番地」これには、名古屋章が出ていて、後年テレビで初めて顔をみて、このオッサンだったんかと思ったものだ。誰が主役だったか覚えていないが、「宮本武蔵」。それと、題名は覚えていないが、島倉千代子主演のドラマを聴いていたような気がする。それと、「少年探偵団」。

そのうち、テレビの時代が到来し、ラジオの地位も相当下がったが、お世話になったのは、あの受験勉強というやつだ。何とかハリスが担当の「旺文社英語講座」だっけ。懐かしいといえば懐かしい。そういえば、深夜放送は全開だった時代かも知れぬ。高石友也の受験生ブルースも流れていたっけ。それで思い出したが、売り出し前の吉幾三の「俺は田舎のプレスリー」を聞いたのも深夜放送だった。