よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

何のためにー電車のドアの反射鏡

2007年11月30日 | いろいろ
一週間程日本へ帰っていました。昨年3月の痛風時に帰って以来一年半ぶりの帰国でした。

奇妙な事というか、物に遭遇しました。大阪へ出るのに、最寄のJR(関西線)に乗ったのですが、ドア傍に立って外を見ようとしたら、丁度、目の前に5センチx10センチの貼り付けた反射鏡、即ち鏡がドアのガラスに付いている。見回してみると、各ドアに全部付いている。え、何の為に?

女の子が自分の化粧をチェックするにはうってつけだ。しかし、JRがそんなことしないだろう。外を見ようとする人にとっては、大変うっとうしい代物なのだ。

昨日家に帰り、ワイフに話したら、それはきっと、痴漢防止だと言う。それで周りを監視するのではないかと言うのだ。だけど、その鏡を見れるのは極一部の人なのだから、本当に監視なんか出来るのか大いに疑問である。日本は余計な事が多すぎる国だと痛感す。それにしても、何の為に。

どなたか理由をご存知の方いたら、是非教えてください。

日本は誰が守るのか

2007年11月22日 | アメリカ通信
来年の大統領選は、民主党候補ではやはりヒラリーが強そうだ。そのヒラリーがこの前の演説で気になる事を言った。これからのアメリカの最重要国は中国である、と。地球儀を見ると、太平洋を挟んで対峙しているのがロシアであり中国である。他の国は日本も含め雑魚なのである。従って、今も昔もアメリカにとっての最重要国はロシアであり中国だ。彼らとキチンと話が出来る事がアメリカの国益に繋がるという認識が基本であり、主義は違っても歴史的にこの延長線上でことの処理をしてきた。かつて、アメリカは日本を最重要国と事有る毎に表明してきたが、それは厳しい東西冷戦下で前線基地を持つ必要性が急務だったからだ。あの、ニクソンの日本頭越しの電撃的米中国交回復は、アメリカの基本戦略をまざまざと見せ付けた良い例である。ヒラリーの発言は、時代の変化と共に、将来のパートナーを公言したわけだ。あからさまに公言できる時代となったと言うべきかも知れぬ。

もう一つは、すっかり影を潜めてしまったあの駄目ブッシュの「悪の枢軸」の話。あれだけ鳴り物入りで始ったイラク戦争も今ではすっかり色褪せ、かわいそうなのは今でも戦死している兵隊であろう。そのブッシュは、イラク失点の汚名挽回とばかり、北朝鮮問題に入れ込み、しかも手軽に片付けようとしている。手軽に、というのは、あれだけ「悪の枢軸」の3羽ガラスのひとつに数えていたのに、例の核開発封じ込めの目処がついたので、「悪の枢軸」から外そうというもの。がっちり中国とパートナーを組んでしまったのは、アメリカの国益に繋がるからに他ならない。日本がいくら、拉致問題を忘れるなと叫んでも、アメリカにとっては取るに足らぬ出来事である。

地球儀を見れば一目瞭然。太平洋の北西にポツンと浮かんでいる、或いは、ユーラシア大陸の東の果てに浮かんでいる、そう、極東とはよく言ったもんだが、それが日本。極東と表現するのがピッタリ。何を間違ったか、果敢にもパールハーバーを攻撃した事で、日本と言うのはどえらい国だという「間違った」印象をアメリカ及び世界に与えてしまった。そして戦後復興の過程で、勤勉と器用さで「技術」というチカラをたまたま見せ付ける事が出来たので今日までチヤホヤされてきた。日本及び日本人も本気で思い込んでしまったのではないか。日本は凄いのだ、と。再び地球儀を見よう。吹けば飛ぶような小さな国だ。全く凄さを感じないのだ。

大陸の果てに、盲腸のような朝鮮半島がある。その韓国と日本は明らかにアメリカの軍事前線基地なのである。そして、一朝事が起こった時、アメリカはそのどちらもあっさりと捨てるだろう。もし優先順位をつけるとしたら、心情的には先に捨てるの日本だろう。何故なら、韓国はベトナムを戦った戦友だからだ。そう思う。

日本はそろそろ考え時だ。世界の舞台でリーダーシップを、等と考えない事だ。なまじ経済大国になったが故にアジアのリーダーシップを、世界のリーダーシップをと煽られ続け、その気になったものの何も出来ずの今である。極東の島国をどう守るのかを考えるのは我々の義務だ。

アメリカにとっては、日本で国防論議が世論レベルで活発になるのは困るはずだ。なにせ、パールハーバーの亡霊があるからだ。そう、日本は何をしでかすか分からない民族と今も思っているから。今の所、日本に大きな兆しが無いから、安心しているアメリカだが、一たび国防論議から戦術核保有論議までが日本国内で沸いてくれば、アメリカの背筋はゾクッとするはずだ。日本の国防論議はもちろん日本自身の為にするものだが、副産物としてアメリカに大きな一石を投ずる。それでおたおたするアメリカを眺めるのも面白い。

アメリカは助けてはくれない。しからば、日本は本気で国防力を持たなければ。そうなると、憲法論議は必然。

最後に日本とアメリカの話。
日本のある家にドロボーが入った。そこの主人は格闘の末、ドロボーを殺した。世間曰く、「なにも殺さなくてもよかったに」。 これがアメリカなら、「よくやった、殺して当然だ」となる。この温度差は大きい。



モンスター X X X X

2007年11月17日 | いろいろ
最近のニュースでモンスターと名のつく二つの言葉を知った。モンスター・ペイシェントとモンスター・ペアレントである。その内容を聞いて、納得だ。確かにモンスター。

モンスター・ペイシェントと付き合う医者はさぞ大変だろう。突然キレる患者から暴力を受け、身の危険にさらされるわけだから、たまったものではない。キレる方も、心の病の患者とか893関係の方々ではなく、普通の患者らしいから、始末に悪い。心の荒涼感が漂う時代背景を感じる。

片や、モンスター・ペアレント。今や、学校の先生家業も大変な時代だ。ちょっとでも怪我をすれば親の殴りこみ。あーだこーだと、些細な事に難癖つけては、これまた親の殴りこみ。運動会で自分の子供がリレーに選ばれないのはオカシイと言っては殴りこみ。そうかと思うと、給食は学校が勝手に出しているので、頼んだ覚えはないと、屁理屈をこねて給食費を払わない不届千万な親がいるとか。昔は家が貧乏で給食費も払えない子が何人かいたが、最近の例は、普通の家でそれがあるという。あきれて物が言えない。

社会での付き合い方が相当に崩れていると言わざるを得ないのだが、一体どうしたのだろうか。アメリカも相当歪んでいるが、日本も加速的に歪みが進行している。

映画三昧ー 第四の核

2007年11月13日 | 映画
スパイ物といえば、やはり東西冷戦を背景にしたヨーロッパが舞台としてふさわしい。ロバート・ラドラム、ジョン・ル・カルレ、ジャック・ヒギンスやら、フレデリック・フォーサイス等の小説は大変スリリングである。そして、そのうちのいくつかは映画となっている。

フレデリック・フォーサイスの「第四の核」というのがある。原題は「The Fourth Protocol」という。テロリストを追い詰めていく話である。これは映画化されるなと思っていたが、仮に映画化されても、イギリス映画となるはずだから、主演がハリウッドスターとはならぬわけで、そうすると、日本上映はまずない。だから、日本で見るのはあきらめていた。

それがひょんなキッカケで見ることが出来たのは誠にラッキー。アメリカへの出張での機内上映にあったのだ。機内上映は全部見る主義なので、早速機内誌をチェック。と、「The Fourth Protocol」の字がポ~んと飛び込んできた。やはり映画化されておったのだ。米英公開が1987年らしいので、見た時期は恐らく88年頃だろう。主役はマイケル・ケイン。彼がテロリストを追い詰めていくのだが、テロリスト役をやっていた若い俳優が印象に残った。

後年、何代目かのジェームス・ボンドが発表されニュースを賑わしたのだが、顔を見てどこかで見たような奴だ。何処だっけ。あいつだ。テロリスト役のあいつだ。それがピアース・ブロスナンである。今なら007で有名になったブロスナンだから、日本のDVDの棚にも並んでいるだろう。

主役のマイケル・ケイン、好きな役者のひとりだ。今はたまに映画に出ては、フロリダでのんびりと暮らしている。

映画三昧 -幻の第二のハリウッド

2007年11月04日 | 映画
あまり世間に知られていないが、と言ってもアメリカの話だが、アメリカ人もあまり知らない話がある。1990年頃、アメリカで、第二のハリウッドを作ろうと言う構想があった。仕掛けたのはジョージア、もっと正確に言うとアトランタである。当時のアトランタは既に南部最大の都市として、更に飛躍を目論んでいた。その最大の目玉が90年のIOC東京会議で勝ち取った96年のアトランタ五輪なのである。この90年を前後して、兎に角アトランタは将来の青写真を描くべく、奔走していたのだ。

アトランタには、ご存知のCNNニュースが有り、そのオーナーだったテッド・ターナーは映画の宝庫の一つであるMGMを所有していた。アトランタはそれ以外にも音楽産業も盛んで、全米でも有数のエンターテインメント都市である。こういう素地も大いに構想に関係してたはずだ。

一本の映画を撮るのには大変な金がかかる。即ち映画を撮影する場所には大きな金が落ちると言う事なのである。ジョージアは州として、撮影の為の税優遇策を打ち出した。続々と映画のシューティングが始まり、カリフォルニアやハリウッドに住んでいた俳優達がジョージアへ移り始めたのだ。

しかし、それは大きな流れにはならなかった。第二のハリウッドと呼ばれるくらいの塊にはならなかったのだ。ハリウッドと言う映画産業は、一握りのハリウッド・マフィアとも言うべき連中に牛耳られているわけで、それに対抗するのは無謀と言えば無謀である。

それだからと言って、大失敗だったのかと言えばそうでもない。ハリウッド並みの塊にはならなかったが、映画産業も相変わらず盛んで、ジョージアに残った俳優も結構いるのだ。とりわけ黒人中心の映画は相当強力である。ハリウッドでは受け入れられなかったパワーがジョージアで花開いたとも言える。

ハリウッド映画史を飾る「風と共に去りぬ」はジョージアを舞台にして懐かしい。

日本人と韓国人

2007年11月01日 | アメリカ通信
ロスのホテルニューオオタニ(写真手前)が売却されるとのニュースが最近あった。往年の輝きをとっくの昔に失っていたリトルトーキョーの凋落に一段と拍車を掛けそうだ。そういえば、サンフランシスコの日本人コミュニティも芳しくないそうだ。アメリカのあっちこっちで、日本人パワーが衰退しているのだろう。
それに比べ、韓国人パワーは凄い。ロスのコリアタウンは最大で、次いで大きいのはアトランタではないか。アトランタの韓国人は10年前の3万人から、今では10万を超える巨大コミュニティを形成、更に増え続けている。

海外で活躍する日本人と韓国人。何がこうも違うのか。国力が違うことから来るという説がある。生活レベルが違い、日本人は裕福だから、わざわざ海外まで行って稼がなくてもよく、反対に、韓国人はそれ程裕福ではなく、従ってハングリーであり、だから、外(海外)へ出るのだという説。少しはあたっている部分があるかもしれないが、本質はどうも違うような気がする。

本質的に二つの大きな違いがあるのではないか。
一つは 島国文化と大陸地続き文化。韓国も日本も、地球儀で見れば、どちらも取るに足らぬ小さな国で大差ない。しかし、日本は島国で外敵と接しているわけでも無し、従って外へ打って出る事など考える必要が無い。韓国を含めた朝鮮半島は違う。半島文化というものは有るだろうが、外敵と接しており、異質な他国と地続きなのである。海に囲まれているから、その先は行かれないと思う文化と、歩いていけば限りなく何処までも行けると思う文化とは、精神形成で決定的に違ってくるのではないか。

他の一つは「家」である。日本も韓国も「家」を大変大事にするが、「家」の中身が違う。日本の「家」はイコール「墓」だそうだ。日本人は「墓」を守る事に拘る。韓国人は「家」イコール「血」即ち「血族」らしい。

家=墓だとすると、墓のある土地を離れることは出来ない。韓国人にとっての家は、血の繋がりだから、土地や場所は二の次となる。自分のうまれた国で一生を終えるのにこした事は無いが、それは海外でも良いのだ。だから、家族親戚の誰かがアメリカでささやかな成功を収めるだけで、他の家族や親戚があっさりと故郷を捨てて新天地へ行ってしまう。新天地で血族の絆を再び強めるのだろう。そういえば、血のつながりを大事にする民族という意味では、中国人、インド人もそのように見える。

地球儀を見ると、何故か、「極東」の海にポツンとあるさびしそうな日本列島が目に映る。