よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

イッツ JAZZ-European Jazz Trio

2011年10月24日 | Jazz
ヨーロッパのジャズも中々よくて、全般にリリシズムに溢れるものが多いように思うのだが。盲目のテテ・モントルーとか、アンドレ・プレビンとかよく聴いたものだ。

MJQが好きで、レコードを買いあさっていた頃、European Jazz Trioが旗揚げしたので、当時早速デビューアルバムを買った。ビートルズのノルウェーの森をフィーチャーした「Norwegian Wood」と言うアルバムだ。
95年にアメリカに来る時に、手持ちのレコードを全部テープに録ってきたのだが、このトリオのアルバムテープを久しぶりに聴いた。ピアノのカレル・ボエリーは初期に脱退し、以後メンバーが変わって現在に至っており、今のトリオもいいが、やはりデビューアルバムは外せない。

CD全盛の今、レコードの傷とか、たまに擦れる音なんかが入っていて、レコードの懐かしさみたいなものが伝わってくるのが、なんとも楽しい。日本ではどうか知らないが、アメリカの電気屋へ行くと、今でもレコードプレーヤーが商品棚に有って、日本にあるレコードを持って来られたら是が非でも買いたい一品だ。そういえば、この前日本に帰った時、古いパイオニアのステレオセットでレコードを聴いてみたがまだ使えたから、ついでにド演歌まで聴いてしまったが。このふるいステレオは独身時代に買ったはずだから、かれこれ40年近くになる。

レコードと言えば、日本企画らしいが、ブルーノートの復刻版をレコードで出すニュースが先日出ていた。カンザスの片田舎でプレスしているらしい。日本と言うのは、兎に角色々な企画を仕掛ける大した国だ。

”外れている国”ニッポン

2011年10月21日 | ビジネス横丁こぼれ話
グローバル経済、グローバル社会などと、グローバルと言う言葉があたりまえの昨今だが、日本は、そのグローバルな世界の中でどの様な位置づけにあると皆考えているのだろうか、と思った時、時々分からなくなってしまう。ちょっと遅れていると言うか、少し世界標準からずれていると言うか、経済大国ではありながら、世界の潮流から外れている、やや異質な国なのではないか、そして、その事が世界の中での日本の地位をドンドン沈下させているのではないか。そんな気がする。

世界に冠たる技術立国だった日本は、かつてJISと言う工業規格で自信に満ち満ちていた時代があった。しかし、世界はISOという共通ルールで統一化に乗り出した。 当時、関係者の間では、ISOの統一ルールなどで上手くいくはずがない、等と言う人も結構いて、その背景には、「日本の技術は世界一だから」と言う、いささか的外れな議論も横行していたような気がする。ところが、ISOは広がり、ISOの認証無くしてビジネスが成り立たない勢いとなるに及び、日本列島が挙ってISO研究に大忙しとなった。「ISO狂想曲」とでも命名したくなる騒ぎであった。これが無ければ商売が出来ないとなれば、貿易立国日本も“待ったなし”で追随せざるを得なくなった顛末である。

国際経理の場面では、数年前の海外子会社の連結決算化で、当時の日系各社の混乱は記憶に新しい。国際経理人材(初歩的には英語が出来る経理マンであるが、高等レベルでは、国際経理に精通し、かつ英語が話せる経理マン)が圧倒的に手薄な日本サイドの現実は、現地子会社での日本人経理人材の現地雇用を促進させ、それは現在も続いている。

連結決算化も軌道に乗った今、次に来る問題は、世界標準である会計原則への統一化だが、日本は既に遅れを取りはじめている。お隣の韓国は、早々と一歩踏み出したが、我が日本は、政治混乱もあって、2014か2015年の目途がさらに延期となるらしい。今や、企業は世界横断的に運営されているから、その実力を統一基準で見るのは当然で、日本だけ別のシステムでは、世界から相手にされない。
どうも日本と言う国は、世界の中でどう位置づけていくかを常に考える視点がずれている、いや、ひょっとすると欠落しているのかも知れぬ。

ヒラリー待望論

2011年10月17日 | アメリカ通信
二期目にも引き続き立候補を表明しているオバマではあるが、有効な景気浮揚策を打てなかった事が響き、今季限りが既成事実になりつつある。内政の失敗に加え、外交面でも取り立てての成果が無い。スタート当初からオバマの外交は”平和主義的外交”を目指した為にパワーダウンを引き起こし、途中から若干タカ派路線に変わったものの、時既に遅しの感が否めない。

一方の共和党はと言えば、テキサスのペリー、マサチューセッツのロムにーが早々と名乗りを上げ、舌戦を展開したものの、重要州の一つであるフロリダでの仮想投票実施の結果、二人とも地元の議員の後塵を拝したことから、候補者としての弱さを露呈してしまった。

今、アメリカは「弱いアメリカ」になりつつある事に相当な苛立ちを覚えている。その苛立ちは、景気が回復しない閉塞感の中で益々増殖されつつあると言っていいのではないか。

今季でその職を退き、時期大統領選には出ないと伝えられているヒラリー・クリントン。彼女への待望論が根強くある。そして、それは今後益々強くなるだろうと思う。その最大の理由は、彼女なら「強いアメリカ」の再生を実現してくれるかも知れぬ、という期待感である。かつて、英国に「鉄の首相サッチャー」が出現し英国を見事にリードしたように、ヒラリーにアメリカの再生を託したいと願う人は多いのではないか。

いろいろ批判を浴びるアメリカだが、世界のポリティカルマップを見れば、アメリカが強くなければなんともならないのは明らかだろう。中国の覇権拡大、ロシアの復活、欧州の地盤沈下を見れば、かつての西側パワーは相当落ち込む事になる。

よし坊もヒラリー待望論者のひとりだ。


スーツが眠っている

2011年10月13日 | アメリカ通信
衣装クローゼットに入るたびにため息が出る。スーツは7-8着あるだろうか、他にブレザーと称する上着が3-4着、ズボンが6-7着、ネクタイに至っては、30本余り、それとボタンダウンのカラーシャツが何枚あるだろうか。遥か昔の入社以来、全て所謂”トラッド調”で固めてきたのだが、それも10年前にサラリーマンを止めてからは、滅多に着用する機会無く、この10余年眠ったままである。

NYなら別だろうが、それ以外のアメリカで働くなら、スーツは1-2着、ジャケットは一着あれば20年は大丈夫というもの。それも毎日着る訳ではない。普段は襟付きのポロか普通のシャツを着ていれば仕事になる。ネクタイなど2-3本有れば十分だ。と言うことで、クローゼットに眠っているスーツの類は棺おけまで持ち込まねばならないはめとなりそうだ。

アメリカで、何が苦労(?)、いや気に食わないかと言うと、衣料のサイズが合わない。「Big & Tall」などと言うようなキングだけでは足りない、キングキングサイズの連中の為の店が幅をきかせているのだから、164センチのよし坊としては、何所へ行ってもサイズが合わない。アメリカのMサイズは日本のXLに近い。それでも5-6年前までは、大人コーナーの横にボーイズのコーナーがあって、これは、日本的に言えば中学生位だろう、よし坊になんとか合うサイズが有ったのだが。不景気で軒並み中途半端なボーイズのクラスをやめてしまったから、今や選択肢が無いのだ。

かれこれ7-8年になろうか、長らく愛用していたスエットパンツが破れてしまった。これもトミー・フィルフィガーのボーイズで買った物だが、最早アメリカでは調達出来ないサイズなので、8月に日本に行った折、早速探しまくった。ブランド物はさすがに日本では高く手が出ない。漸く探し当てたのがダンロップブランドの、両ポケットファスナー付きの物。このファスナー付が絶対条件なのである。ファスナーが無いと車の乗り降りの際に大事な物が落ちてしまう。過去これで往生した事があるので、大事なポイントである。3000円は悪くない値段だ。アメリカに居ると、こんな物でも宝物のように思えてくるから不思議だ。

羽ばたけ 李忠成

2011年10月07日 | サッカー
格下ではあるが、ベトナム戦で久しぶりに李忠成が貴重な一点を入れて日本が勝利した。このところ、ゴール前ではいい動きをしていたのだが、中々自己の点に結びつかず、代表入りしてからさぞ焦りが出てきていたであろう。アシストで貢献しても、FWとしては、やはりゴールの数で査定されるから、兎に角彼にとっては待望の、そしてホッとした一点である。

サッカーに人生をかけ、生まれ育った日本での代表入りを果たす為国籍を取った彼には、今後大いに国際レベルで羽ばたいて欲しい選手だ。よし坊は、この李忠成が好きである。

前回のW杯前後からの代表戦での彼を観て来て、一つだけ気付いた事がある。この一点だけで、前から気になっていた李忠成という選手を益々好きになったと言ってよい。それは選手交代時に起きる。彼が途中で下げられるシーンだ。彼は、必ずピッチの外へ出た後、フィールドに向かって、丁寧にお辞儀をする。他の選手では見たことが無い。

彼は、明らかに、代表に選ばれた事、試合に参加出来た事に感謝すると同時に、仕事場としてのフィールドに敬意を払っているように思える。これは、どこから来ているのだろうか。親の教育か、それとも儒教の教えが根づいているのか。こういうことは、昔の日本人が持ち合わせていた美点のひとつだったと思うが、現代の日本には、そのカケラさえも見出せぬ中、李忠成の、一瞬見過ごしてしまいそうなお辞儀は、なんとも心地よい、爽やかな姿である。そんな事もあって、李忠成は愛すべき、気になるプレーヤーなのである。

なでしこジャパンとなでしこリーグ

2011年10月04日 | サッカー
なでしこジャパンの余韻はまだ続いているらしく、誠に結構な事だ。しかし、最近のブログに警鐘をならす記事が出てきて、漸く出て来たかという思いだ。

現在のなでしこリーグは、なでしこジャパンに選ばれた選手7人を擁する神戸がダントツにトップを走っている。加えて、来期は若い有力選手が神戸に入団すると言う。強いところに有望選手が集まるのは世の道理と言えばそれまでだが、ブログ氏は、これでは強弱の変則二極化が起こり、女子サッカーの人気底上げどころか、リーグの分解がどこかで起きるのではないかと危惧している。よし坊も全くその通りだと思う。女子サッカーが陽の目を見ないまま今日まで来た事を考えると、この人気を底上げする為に"何か”を仕掛けないといけないのだが、日本という社会的土壌では、恐らくポジティブな手は打たないだろう。

ダントツの女子サッカー人気を誇るアメリカでさえ、女子サッカーのプロリーグの維持は大変である。2001年に始まった第一期プロリーグも3年で頓挫した。観客が爆発的に増えず、資金が続かなかったのである。そして苦節6年のマーケット調査を経て、今第二期を迎えているが、その維持はそう簡単ではない。

そんな厳しい中、アメリカがリーグ維持を目指して取っている手法は誠に興味深い。スポーツを観ていて、決まった一握りのチームだけが勝ち続けるのでは、全く面白くないのは当然で、弱いチームの試合には観にいかなくなる。そこを毎年レビューして、一握りのチームに力が偏らないように選手を移動させるのだ。それでも勝ち続けるチームは出てくるが、少なくとも全体のレベルを平均化しようと協会が率先して引っ張っているから、翌シーズンに楽しみを見ることが出来る。

非営利団体の活動以外は、どの様な活動でもビジネスであり、ビジネスであるからには、成長しないと意味が無い。その点では、アメリカ人はビジネスモデルの全体像をまずデザインし、その中で最適な組み合わせを求めていく事に長けている。

なでしこジャパンがもたらした女子サッカーのブームを定着させる為には、何かを仕掛けないといけないだろう。何も、アメリカのマネをしろとは言わぬが、将来を見据えたチエを出さないと、ブログ氏が言うように、早晩陰りを見せる事間違いなし。