よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

老舗の重み

2010年11月22日 | いろいろ
日本のような政治土壌では、本当の意味での二大政党国家は無理なのではないかと最近思う。自民党独裁では駄目だと民主党を担いで見たものの、どうもこれは失敗だったと思わざるを得ない。今回の政権交代の意義は、ただ一点。自民党と民主党の実力レベルは相当違うと言う事を目の前にさらけ出したことだろう。

確かに戦後政権をほぼ独占してきた自民党の金権体質に代表される「自民党的なもの」に飽き飽きしていた所に、漸く対抗馬が出てきて、しかも、国民から見れば、自民党の全否定を掲げてのマニフェストは心地よく響き、新しい何かを期待して、票を入れたのだが。

かくして、大型トラックの荷台に「国民」を乗せて走り出したまでは良かった。問題は、ギアの入れ方とハンドルの切り方がさっぱり分からない連中の集まりが民主党だったことだ。国民もそこまでは喝破出来なかった。民主党の専売特許と言わんばかりのマニフェスト。トラックの荷台にシコタマ積んで走り出したが、途中でドンドン荷台から落ちていく。落ちていくと言うよりは自分で放り投げている始末だ。次にハンドルを握るドライバーが問題だ。最初に運転席に座ったハトぼんは、アメリカから基地問題を突きつけられ、腹痛を起こして、あっさりカンに運転を代わってもらったのだが、このカンが中国とロシアから難癖を突きつけられ、これまた右往左往している。これでよく分かったのは、民主党は外交が全く駄目な政党だったということである。これには国民気が付かなかった。今や、折角手に入れた政権だ、どんなことがあっても残り3年は譲らない、とばかりに、マニフェスト総崩れの中、言い訳三昧で政権延命に必死である。

あれだけ、ボロカスだった自民党。今思うと、戦後60年間の重みは違うと実感する。老舗の重みという事だ。概ね国会での話し方でも安定感と深みがある。三角大福戦争に象徴されるような激しい党内抗争は、かつては国民から見れば「何をやってるんだ」と非難轟々だったが、よくよく考えると、政権担当能力のある者達による、極めて日本的な自浄作用だったのではないかとさえ思う。国が思わしくない方向に踏み出せば、歯止めが掛かる仕組みが自民党の中にビルトインされていたように思う。このビルトインは、長年の経験の積み重ね、即ち老舗の強味と言うべきだろう。

それから比べると、今の民主党はキャパ一杯で、余力は全く無い。ソーリのクビをコロコロ代えるなと言う声もあるが、ここまで酷いとクビの挿げ替えだけでは駄目だろう。しかし代わるべきドライバーが居ない。野党の党首としての経験者、マエハラやオカダが居るが、国家のドライバーとしての任は重過ぎる。

政権ごと代えた方が良いのは明白になってきたが、それだけで良いかと言うと、いささか逡巡する。どうせやるならガラガラポン、保守本流中心の大連立しかないだろう。それには、最後のご奉公の意味でオザワに党を割ってもらうしかあるまい。

「政治主導」で墓穴を掘った民主党

2010年11月18日 | いろいろ
「政治主導の政治の下にマニフェストを実現する」と格好よい打ち上げで民心を掴み、政権を奪取した民主党だが、一年後の現在、末期的惨状は目を覆うばかりで、あと3年は持たないのではないかとさえ思われる。

政治主導と声高に言うが、自民党時代はそうではなかったのかと言えば、そんな事は無い。要するに、政治主導が出来る政治家と出来ない政治家が居るだけで、政党そのものは関係ない。

自民党時代はよく、「族議員」という言い方で表現されたが、結構な事で、郵政やら、厚生やら、防衛の問題に深く関与=勉強していたわけで、その道の専門家と言ってもいい。そういう人が、晴れて専門分野の大臣にでもなれば、役人も無視出来ない。役人にとって組み易いのが素人大臣だ。何も知らないから、手取り足とり洗脳しながら、役人の都合のよい路線に誘導していく。

あの、ヤナギダ法務大臣の、呆れてものが言えない、トンデモ発言がそれを如実に語っている。「議員になって以来、法律案件に関係した事が無い自分に法務大臣のイスが回ってきてまずビックリ。だけど・・・・」と問題の発言となったものだが、素人大臣に役人が二つのことを言えばよいと吹き込んだ。この時点で大臣ロボット化は完了した訳で、業務と言えば、恐らく役人が差し出す書類にメクラ判を押すだけなのだろう。

政治主導の解釈を間違っている。ただ、役人を奴隷の如くこき使えば良いと勘違いしているのではないか。その表れが、自己都合の隠ぺい工作の為に海保全体の士気を低下させても何とも思わないこと、さらに国防を担う自衛隊に対し、官房長官が何と「暴力装置」と言い放ったこと。口が滑るということは、日頃からそう信じているから、思わぬ時にポロッと飛び出す。ホンネが出る瞬間である。

自民党より少しはマシかと思っていたが、自民党以下と言わざるを得ない。加えて、やはりセンゴク官房長官が「左」では駄目だ。「暴力装置」とは左翼思想でないと出て来ない言葉だろう。その意味では、かつて、政権維持の為とは言え、社会党を篭絡してムラヤマ内閣を作った事は当時の自民党の快挙と言っても過言ではあるまい。今時社会党の流れを汲む政党が太っていたら、大変な事だ。お蔭で社会党は解体し、今ではフクシマ何がしがチョコチョコ動き回っている、あのくらいの規模で適当に吼えさせて置けば丁度良い。

政治主導と言えば言うほど、役人は巧妙に落とし穴を仕掛けるものだ。今の民主党は見事に嵌ってしまった。穴から抜け出るのは容易ではないだろう。

Colorado Rapidsの「奇妙な二人」

2010年11月14日 | サッカー
アメリカサッカー、東部地区の決勝コロラド・ラピッツとサンノゼ・アースクウェイクは1-0でラピッツに軍配が上がった。この1点は、右サイドから、木村光佑が切り替えしてゴール前のオマー・カミングスに絶妙なクロスを上げ、オマー・カミングスが放り込んだかに見えたボールは直接ネットを揺らした(写真は、27番の光佑とカミングス)。DF木村の予期せぬゴールだった。

以前木村光佑の事を紹介したが、今年は髭を蓄え、顔も精悍になり、一段とパワーが出てきている。この木村とカミングスはコロラド・ラピッツでは「奇妙な二人」と言われているらしい。「The Odd Couple」。昔の、ジャック・レモンとウォルター・マッソー主演の同名映画を思い出す。

二人とも所謂アメリカ人ではない。木村は英語が全く喋れないレベルでアメリカに来て苦労している。カミングスも貧困のジャマイカからアメリカを目指した。ラピッツで、日の目を見るために、Room Sharingしてお互い助け合い、親友となったとある。

MLSカップの挑戦権も掛かった東部地区優勝で、再三の好守とゴールでMan of The Matchに木村が選ばれ、皆から祝福を受けていたが、多くの日本人サッカープレーヤーがヨーロッパに目を向ける中、貴重な存在である。日本の国際試合やワールドカップがらみでは、ヨーロッパで活躍する選手のコールアップが話題になるが、木村はコールアップされてもおかしくない選手だと思う。公平に見て、アメリカのサッカーの方が日本のJリーグよりレベルは高い。


民主党の得意技、梯子外し

2010年11月10日 | いろいろ
国民の期待を大きく裏切りつつある民主党。この政党をどう表現したらいいだろうか。考えた末「梯子外しの民主党」がぴったりくる。プロレス的表現で言えば、その得意技は「梯子外し」である。

第一の特徴は、兎に角全てにつけ、第一声が勇ましい。歯切れよく「やります」「中止します」を連発し、この梯子を上がって二階から素晴らしい景色を見てくれ、と大風呂敷を広げられ、こちらもその気になって梯子を上がる。ところが、上がる途中に突然振り落とされる者続出。二階に上がったまでは良かったが、二階からは何も見えず、降りようと思ったら梯子が無い。倒れた梯子を掛けなおしてくれると思いきや、ただ見ているだけで掛けなおそうとはしない。ひどい時は、その梯子を持ち去ろうとさえする始末。

普天間では、梯子を外して沖縄県民に総スカンを食う始末。
事業仕分けでは、埋蔵金掘り起こしをチラつかせ、終わって見ればショボイ話。
「法に則り粛々と」。気がつきゃ「法に則らないで粛々と」。

極めつけは、例の映像流出問題。国民周知の事実を、最初は、勇ましく国民にも見せると息巻きながら、途中で「これは秘密だ」とコロッと変える。そして、秘密を破った者には罰則だと?冗談じゃない。

会社でも梯子外しがたまにあるが、ここまでひどくは無いだろう。民間会社の社長が梯子外しを繰り返せば、やがて役員会で問題となり、退任を余儀なくされる話だ。しかし、民主党は、それを得意技、会社で言えば社是としているから、自浄作用は全く期待出来ない。自眠党よ、眠っている場合じゃないだろう。

情報を開示するオープンな政党とは全くの騙しであり、正反対の隠蔽体質丸出しの政党であることがよく分かる。それも、言った端から、やった端からバレバレの稚拙なやり方だから、呆れるを通り越して、笑ってしまう。

このまま、あと3年間も梯子を外され続けると思うと、うんざりする。


自己主張しない人間は軽蔑される

2010年11月08日 | アメリカ通信
最近オザワ一郎がネットニュースに出て、いい事を言った。「自己主張しない人間は軽蔑される」。自己主張しない国は軽蔑されると言う事である。

これは言ってみれば世界標準なのだが、井の中の蛙の日本、いや日本人には何故かピンと来ない。分からないのだ。日本全体がこの体たらくだから、政治家くらいは、シャンとして欲しいが、それもままならぬ。メディアも、問題が起こると、もっと相手にハッキリ物を言えと吼えるが、自己主張できない人間は軽蔑されるとまでは言わない。言わないのか、それとも言えないのか、はたまた、そんな事さえ知らないのかも知れぬ。

サッカーの本田圭佑の言葉に耳を傾けなければならない。彼がオランダのチームでキャプテンを張れたのは、自己主張しないと埋没する事を身を持って経験したからだろう。日本ではビッグマウスなどと言われているが、外の世界はあれで普通なのだ。

自己主張が出来ない日本人の性向は、ビジネス界、特に海外ビジネスの局面で、「軽蔑される日本人」を造りだしている。期間限定で駐在と言う形で海外に派遣される駐在員。日本人は会議で議論を吹っかけてもニヤニヤするばかりで、何を言いたいのかさっぱり分からない、とアメリカ人は言う。まるで掴み所の無い、気味の悪い軟体動物のように見えるのだ。昔も今もこれは全く変わっていない。アメリカ人は最初は議論をしようとするが、議論にならないので、そのうち面と向かっては言わなくなる。内心では軽蔑しているのだ。そして、駐在員は軽蔑されている事すら知らない現実。

間違っていても、堂々と自分の意見を言える人間には、彼らは敬意を表する。これがリスペクト(RESPECT)である。よくこんな言葉が聞かれる。「I can not agree to your comment. There is a gap between us, but I respect you and your opinion.」

アメリカもヨーロッパも中国も、そして韓国も同じロジックの持ち主だ。こう考えると日本は大海原を彷徨っているただの孤島に過ぎぬ。たまたま、戦後の技術立国政策が功を奏し、世界が日本の技術を欲した為に、この間チヤホヤされて来たに過ぎないとも言える。

資源の無い島国だからこそ、外の世界に存在感を示さないといけないニッポン。それに反して物言わぬニッポン。「日本人の国民性だ」という言葉で片付けてよい問題だろうか。

映画三昧 - 秋津温泉

2010年11月04日 | 映画
1962年の松竹の文芸作品に、岡田茉莉子と長門裕之主演の「秋津温泉」がある。君の名は、の岸恵子の後は、間違いなく松竹の看板は岡田茉莉子だった。

脇に誰が出ていたのか、すっかり忘れていたので調べてみたが、今考えるとそうそうたる役者陣が出ていて、当時の映画は、みなこうだったんだな、と改めて実感する。男優では、宇野重吉、山村聡、殿山泰司、小池朝雄、神山繁、東野英治郎等。女優では、日高澄子、小夜福子、芳村真理、清川虹子等など。芳村真理などは、若手も若手だ。曲者殿山泰司は、いつ見てもいいね。

人生に絶望し、死に場所を求めていた男が山間の温泉場に辿り着く。出会った女は逆に生きる力を与え、そして時間が全てを変えていく。かつて男に生きる力を与えた岡田の新子が、皮肉にも自ら命を絶つ最後のシーンはやはり切ない。

この作品が忘れられないのには理由がある。この作品のお蔭で、岡山に有名な温泉郷があり、その一つの奥津温泉が映画の舞台になったのを知ってから、一度は訪れてみたいと長年思っていた。関西に居を移した時、奥津温泉が近くなったと、頭の隅が鳴った。次に思い出したのが、丁度島根県へ出張するのに、岡山からの姫新線を使った時だ。列車に揺られながら、ここから程遠くないところにあの舞台がある、そう遠くないうちに来ようと思った。

何のことは無い。今はアメリカ暮らしで、思い入れとは裏腹に段々遠のいていく。



大阪府警東警察署

2010年11月01日 | いろいろ
昔は、拾い物は交番に届けろ、と教えられた。だから道端で5円が落ちてても、交番に届けたものだ。届けた後は、なにやら途轍もなく良い事をした気分に浸ったのだが、今時、大人がうっかりこれをやると、犯人扱いにされ、エライ目に遭うから、やってられない。検察を見たら、捏造集団と思え、が昨今の見方だが、警察を見たら暴力団と思え、は昔から依然として変わっていないらしい。そう言えば、マルボー担当の刑事は、893と区別がつかないのが相場。

この間ニュースになった府警東警察の取調べは無茶苦茶の一語に尽きる。録音を聞くと、最大限の言葉の暴力のオンパレードで、口ぶりは893ソックリだから、ビビらないほうがおかしい。それにしても、落し物の財布を届けてこんな目に遭うなら、誰が届けるか、となる。教訓は「見てみない振り」をすることで、ますます世の中が曲がっていく。

この東警察には、ちょっとした思い出がある。会社が堺筋本町にあったので、管轄は東警察。ある朝、隣の課の課長と担当が、9時来客応対の為、早めに別階の会議室に向かった。担当のHさんが、ドアを開けると、何やら人形が吊るされている、と思ったと言う。一二歩近付いて、これは人間だと気が付いた。会議どころではない。後で分かったのは、腹いせからなのか、所謂総会屋の一人がクビを吊った事件なのだが、早速広報部隊がブラックジャーナリスト対策よろしく手を打ったので、あまり週刊誌ネタにならなかった。

さて、第一発見者は疑え、だから、Hさんは、そのまま事情聴取の為に、東警察署へ。帰ってきたのは午後の4時過ぎであった。早速、Hさんの周りに輪が出来、あれやこれや。兎に角憤慨していたのは、同じ事を何回も聞いてくるが、少しでも前言と違う表現をすると、それについて延々と突いて来るらしい。さすがに、犯人前提のような態度の聴取ではなかったらしいが、それでも腹の虫がおさまらなかったらしい。最後に、「警察に関わると、たとえ善人でも碌な事は無い」。実感がこもっていた。