よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

Copa Oro メキシコが制す

2011年06月26日 | サッカー
北中米選手権の決勝が今終わった。予想通りの対決メキシコ対アメリカ。4-2でメキシコが制した。

今回のアメリカは、久しぶりにフレディ・アデューが先発をした。準決勝で途中から出場し、決勝進出への貴重なアシストが、この先発に繋がったのだろう。アメリカチームには少ないウィンガーとしての能力は高く、もっと多用されていい選手だが、この数年間はお呼びが掛かってもベンチウォーマーで出番が無かった。未だ22歳だから、今後に期待出来る逸材だ。

さて、メキシコだが、あらためて、ドス・サントスは上手いと思った。4点目の、ゴール前でドリブルで競り、右前から放った浮かし玉のシュートが左上隅に吸い込まれた。芸術だ。

メキシコが、身体は小さいが世界ランキングの上位にいるのは、スペイン程ではないにしても、やはりドリブルやボール回しの細かい所のテクニックに優れているからだろうと思う。相手からボールを奪うのもアメリカを凌いでいた。

チチャリートも、今日は得点こそなかったが、マンUで活躍しているだけのことはある。

一度日本とメキシコを戦わせてみたい。どんな試合になるだろうか。やはりメキシコかな。そう感じさせる今日のメキシコだった。

今噛み締めたい、藤沢武夫の言葉

2011年06月23日 | ビジネス横丁こぼれ話
ホンダの創業者の一人、藤沢武夫が残した言葉がある。「肩書きは偉さのランキングではない。しかし、これを勘違いする者が出てくる。そういう意味では、社長というのは一番厄介な肩書きだ」。噛み締めないといけない言葉だ。

何故厄介かと言うと、社長と言う肩書きは、絶大な権力を伴うから、それを勘違いするトンデモナイ輩の手に渡ると、トンデモナイ事が起こる。

何しろ、人事権を持つから、回りが手が出しにくくなる。文句(正当な)も言わなくなる。婉曲に人事権をちらつかせられたら、誰だってへこんでしまう。誰かが鈴をつけて辞めさせる事が出来ればよいが、本人が辞める気が無ければどうしようもない。そこで、堪忍袋の緒が切れた取締役達が反旗の狼煙を上げ、解任動議を出し、解任することがある。かの有名な三越百貨店の岡田社長追放劇が、これにあたる。しかし、普通の常識と、いささかの恥の心を持ち合わせていれば、解任に至る以前に自ら辞任という事になり、矛が納まるものである。

日本を会社に見立てれば、社長が即ち内閣総理大臣である。この総理大臣がトンデモナイ輩のために、国全体が混乱の極に達しているのは、なんとも情けない。本人は辞める気さらさら無く、さりとて、取締役にあたる閣僚には、根性と言うか、憂国の心無く、御身可愛さで、閣僚役得を出来るだけ享受しようとしている風にも見える。一人くらい、閣僚の中から辞表を叩きつけるのが出てくれば、多少の希望を持とうと言うものだが、それも今の政権党では100%無理だろう。

トンデモナイ輩が権力を握った時に、それを引き摺り下ろす手段をどうするか。大きな問題だ。


娘と私のDNA

2011年06月21日 | いろいろ
親子は似ている。あたりまえの事だが、確かに似ている。

よし坊には娘が二人。顔立ちで言えば、上の娘はよし坊、即ち父親似で、下の娘は母親似である。大方の娘がそうである様に、上の娘も「母親似でなくてガッカリ」などと言う。父の日があったけど、やはり母の日のほうが格上で、母親は得だな、とつくづく思うのだ。

上の娘は、身体的特徴のひとつである顔立ちだけが似ているのではない。小さい頃から教えた訳でもないのに、何故かやることが似ているので、ビックリである。

最初に気が付いたビックリは、箸の持ち方である。気が付いたのは、娘が18位の時だ。ワイフと下の娘は正統派で、正しい持ち方をしているが、よし坊は中指の位置が変則だ。小さい頃からよし坊の食べ方、持ち方をじっと見ていたわけでもあるまいが、中指の位置がソックリなのであるから、やはり驚きだ。それが分かってから、娘は正統派にさっさと鞍替えしてしまった。

拳を握るには、親指を中に入れるか、外に出すかの二つ。よし坊一派は中へ入れる。ワイフ一派は外に出す。普通は外に出すのだろう。これも教えたわけではない。

手巻き寿司の巻き方にも驚いた。ワイフ一派は、正統派と言うか、ご飯を海苔で三角錐状に巻く。よし坊一派は、巻寿司を巻くように、横に巻いていく。小さい時、ワイフが子供に正統派巻き方を伝授しているはずだと考えると、いつの間にか、上の娘はよし坊流になっていった事になる。それほど、よし坊のやり方を見ていたとは思えないから、これも不思議で驚きだ。

ワイフ一派に言わせると、他にも似ているところがイロイロとあるらしい。因みに血液型もきれいに分かれていて、ワイフ一派がA型に対し、こっちはO型なのである。ま、似たもの親子というのは、ここまで似るのか、ということか。今頃娘は、さぞかし嘆いていることであろうが、よし坊は、やはり親子だ、と思わず口元が緩む。


ハリケーン・カトリーナのアメリカ、東北大震災の日本

2011年06月17日 | ビジネス横丁こぼれ話
組織が順風満帆にいっている時は、少々ボンクラなリーダーでも、なんとか務まる。多少のミスも大目に見られたり、周りがうまくサポートしたり。
しかし、本当の意味でリーダーの真価が問われるのは、問題が発生した時の対応の仕方にある。問題点を把握し、対処法の検討と解決への道筋(方向性)を可及的速やかに策定することに尽きる。あらゆる方策を検討して「この方向で行く」と決断する。結果論として、全てが狙い通りにうまくいくとは限らず、失敗すれば後から非難も起ころうが、それは仕方あるまい。決断はリーダーしか出来ない。又、その決断が無ければ物事は前には進まぬ。震災後の日本を会社に例えれば、社長(総理大臣)に「決断」力が欠如し、右往左往している様である。普通の会社であれば、とっくに大規模負債を抱えて倒産しているところだ。

5年あまり前、ルイジアナに大型ハリケーン・カトリーナが襲い、未曾有の被害をもたらした。多くの人々が家を失った。アメリカとて、全てがうまくいったわけではなく、問題は噴出した。その中で、住居の手当ての顛末は興味深い。
家を失った人達への住居確保として、全米からコンテナーハウスを集めるよう檄が飛び、そして続々と集まった。

一年も過ぎた頃であろうか、集めたコンテナーハウスがたくさん余っている、と言うニュースが報じられるようになった。当然、何故こんな事になったのか、税金の無駄遣いだ等など。住居調達に携わった人達が、何らかの処分をされたかどうかは知らないが、足りないで、イライラ、ギクシャクするより遥かにましである。

かたや、日本。未だに圧倒的な数の仮住居が不足しており、計画は遅々として進まず、その主たる原因は、緊急事態の下で中央行政を迅速に動かさないといけない政治の決断の無さにあるという。会議だけが踊っている、とう話も聞こえてくる。

緊急事態に於いての、この日米の違いは何だろうか。人命と生活の確保を優先し、「拙速を尊んだ」アメリカと、口では生活優先を唱えながら、「拙速」の向こうから、襲ってくるかもしれない轟々たる非難を恐れ、足がすくんでしまった日本のリーダー達。

物事は、「進む」、「留まる」か「退く」の三択である。リーダーたる者、これを決断し、決断の理由を発信しなければならない。これが出来なければ、その地位に居るべからず、である。

やっとこさ民朱党の終わりが見えてきた

2011年06月09日 | いろいろ
あの民主党は、一年で民醜党となり、更にこの一年で民朱党となってしまった。民朱党、即ちアカである。昔のような、宮本顕治の共産党や成田知己の社会党のような、分かりやすい左翼の時代とは異なり、例えば今の共産党は「今の時代」に寄り添うような共産党となった。党是だかなんだか分からんが、共産党の名を冠している意味があるのだろうかとさえ思う。社会党は、同じ社会主義政党でも、ある意味、共産党より性質が悪いと思っていたが、あっという間に自民党の罠に嵌り、消失した。用意周到の奇策だったのか、それとも、一か八かのそれだったのかは分からぬが、村山内閣を誕生させ、社会党に天国を見させた後、一挙に地獄行きとなったのは、戦後政治の中で、自民党の成した最大の快挙だったのかも知れぬ。

問題は、この社会党の残党達だ。表舞台では「反自民」を旗印に左から右まで、群雄割拠する中、金持ちハトぼんがオーナーの民主党の下に集約されていく。政権交代が悲願の党是だから、主義主張はどうでもよい。社会党やその親戚みたいな残党達もどっと押し寄せたわけだ。問題は表の顔としての残党議員もさることながら、裏方事務方に、大挙して筋金入りの残党達が、人知れず入り込んだ事だろう。立法素案の作成段階で、巧妙に罠を仕掛ける事などわけないのだ。

トロイカの三人をみればよく分かる。まず、ハトぼんとオザワは真ん中から右に居るだろう。しかし、カンは明らかに左なのである。このカンが首相の座に着くや否や、官房長官は、これまたセンゴクときた。これも筋金入りの左だ。それまでの民醜党が、民朱党に変わった瞬間だ。アカに乗っ取られた様なもの。

左翼の特徴は、アジるのが飛び切りうまい。だから相手を攻撃するのはお手の物である。そして、都合が悪くなると、徹底的に逃げまくる。厚顔無恥にして、情限りなく薄く、昨日の友は明日は敵で、簡単に裏切る。その究極が、総括で葬る事。あの赤軍派による総括殺人事件を思い出す。

今の時代、何となく一億総民主的、自由主義的、中道的な世の中だと、皆思い込んでいる。ホンワカなオブラートに包まれ、その向こうの正体が中々分かりにくいからだろう。

さて、民朱党の次は、今よりマシなはずの自民党という事になるのだが、この二年間、どの様な反省をしたのであろうか。今度自民党が政権を担う時には、斬新な自民党であって欲しいもの。例えば総理には小池ゆり子、重要閣僚に進次郎を大抜擢するとか。そのくらいの太っ腹を見せずして何とする。


日本 VS 韓国

2011年06月07日 | サッカー
このところ国際試合があっちこっちで行われているが、日本と韓国について印象を書いてみたい。

ワールドカップ以降の日本は、目出度くも14位にあり、ライバル韓国はランクを上げたものの31位である。FIFAランキングのシステムは正確に実力を反映していないと言う分析もあるが、一応良しとしよう。

良しとした上で、なお思わざるを得ないのは、やはり、日本の14位はインフレ14位と言うか、過大評価のような気がしてならない。

最近の試合である。韓国は格上のセルビア(16位)、ガーナ〔15位)にいずれも勝ち、日本は、格下のペルー(54位)、チェコ(32位)とNil/Nilのドローに終わった。負けよりはましには違いないが、点が取れない。対戦相手との戦績をベースに日本と韓国を査定すれば、韓国が上となるわけだ。
韓国と日本との直接対決では、日本がやや優勢ではあるが、韓国も日本戦ともなると、異常なくらいの敵愾心に火がつき、知らず知らずのうちに力むのかもしれない。

負けは面白くないが、ゼロゼロのドローもまた面白くない。
ランクは下だが、明らかに韓国は点を取る試合をしている。だから韓国の試合は勝っても負けても面白いから、つい見てしまう。日本と韓国。この違いは何なんだろう。

韓国の試合を観ていると、仮に相手に先行されても、どこかで同点にしよるで、と期待が膨らむから不思議だ。これが日本だと、先行されたら、もうあかんな、で期待は萎み、その状態で後半の中頃までいけば、スイッチを切ることになる。

何が違うのか。何も科学的根拠があって言うわけではないが、韓国には「もぎ取る力」が備わり、日本にはそれが欠けているように思えてならない。そして、この「もぎ取る力」と言うのは、文化的民族的な背景のもっと奥の方から来ている気がするのだ。

竹島は今や捥ぎ取られつつあり、北方領土はロシアの捥ぎ取りに乗っかって、恩恵に被ろうと動いている。こういう芸当は日本人には出来ない。この「捥ぎ取り」の精神は、実は国際標準なのだが、日本人にはなかなか理解出来ない。






日本を駄目にする、日本語の曖昧さ

2011年06月04日 | アメリカ通信
外国語を能くする人にとって、曖昧な日本語を通訳翻訳する時ほど、難儀な事は無いと痛感していることだろう。

民族的且つ文化的特徴なのか、日本国内や日本人同士であいまいな言葉を使っても、違和感は無いし、「何となく」分かるから、内輪で使う分には問題は無い。
便利な言葉に「どうも」というのがある。日頃無意識のうちに多用しているのに気が付かないくらいによく使う。感謝の言葉に使ったり、挨拶に使ったり。とりあえず繋ぐ言葉としても有効だ。

日本人はストレートに言うことを憚る民族だから、曖昧な表現を多用して、相手にわかって欲しいと願う。ストレートに言えば、大抵嫌われ者のレッテルを貼られるから、それを避ける。この事をもって、気配り、気遣い上手の日本人と「褒められる」ことがある。果たして本当に褒められた事なのか。疑問符が付かざるを得ない。

さて、国内的には賞賛される「日本語の曖昧さ」も国際社会では、マイナス以外の何物でもない。昔から言われ、今でも言われ続けている「日本人は何を考えているのかさっぱり分からない」とか、「日本人は薄気味悪い」とか言われるのは、この辺に起因しているとみて間違いない。要するに、何が言いたいのか、何を言っているのか輪から無いと言うこと。昔、T総理大臣を称して「言語明瞭意味不明瞭」と腐された事があるが、さしずめ日本人は「言語不明瞭意味不明瞭」か。

この壁がある限り、日本が世界で一流国としてのプレゼンスを今後発揮していくのは相当難しいのではないかと思うのだが。