よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

アメリカに美味しいものはあるか

2020年08月23日 | アメリカ通信
世界一舌の肥えた日本人(と確信しているのだが)にとって、アメリカの食事は限りなく物足りない。アメリカでは何が美味しい?と質問されると、たちまち答えに窮する。

昔は映画やテレビドラマでアメリカの食卓風景を観て、そのご馳走のオンパレード(?)にただただ驚きと感動を覚えたものだったのだが。アメリカに住んでみると、あの頃感動していたものが、それほどたいした中身ではない事に失望し、さらに味がイマイチで更に失望する、といった具合となる。そんなアメリカでも何かあるだろうと考えると、いくつかあるにはある。

イチオシはスペアリブ。この食べ方は日本ではまずお目にかかれない。何せ牛のアバラ骨11本を肉付きで25ドル前後でBBQレストランでテイクアウト出来る。我が家では年2~3回、誕生日とか感謝祭などの節目に食べることにしている。夫婦二人では一回では食い切れないので翌日も食べることになる。タレもいろいろあって楽しめる。

チキンの手羽先を油で揚げて酸味のきいたホットソースで絡めるBuffalo Wingに代表されるチキン・ウィングは美味い。New Englandのクラム・チャウダーもお奨めだ。クリーム系の料理やスープは好みではないが、最初にこれを食べた時は即座に合格点を出した。

地域的にはフランスの影響を受けたルイジアナ料理は美味いと思う。代表的なガンボスープにジャンバラヤ。こたえられない。他の地域で美味しいものに出会ったことがない。

以上が20年以上アメリカに住んだ結論である。美味しいものは殆ど無い、ということ。従って用事で日本へ行く時は、まさに”美味しいもの”を食べに帰るというわけだ。用事にかこつけて食べに行くようなものだ。

最後に、美味しい、不味い、ということではないが、アメリカに住んで安く食べられるのがフルーツの類だろう。メロンはほぼ一年中食べられる。一個200円くらいのを買って一週間で食べる。今に季節白桃も甘くて美味しい。日本では到底口に入らない。

アメリカに比べれば日本は ”うまいもんTreasure Island” と言ってよいだろう。

昭和の足跡(16)ラジオの時代

2020年08月17日 | 昭和の足跡
家にテレビが入ったのが中二の頃、昭和36年だったろうか。それまではラジオの時代だった。

歌ありドラマありで、ラジオにかじりついていた。今も記憶に残っているのは、ホームドラマの「一丁目一番地」。父親役が名古屋章、母親が岸旗江だったと思う。

忘れてならないのが「赤胴鈴之助」。なぜそこに居たのかは定かではないのだが、公開録音の場に居たのだ。場所は恐らく日比谷公会堂野外ステージ。たまたま日比谷に行って出くわしたのか、それともラジオのお知らせを聞いていったのか。今となっては分からない。

主人公は鈴之助だがヒロインがいた。ラジオドラマが始まる時配役がアナウンスされるので当時から名前を聞いていたはずだが、その子があの吉永小百合だと認識したのは、ずっと後のことである。遠目にステージを観ていたが、やはり可愛かった。

テレビの普及につれて娯楽ものはテレビに移行したが、中学高校の受験生にとってはラジオは手放せなかった。ラジオ講座を聞き、旺文社のテキストにかじりついた。そのうち深夜放送に聞きいるようになる。高崎一郎のオールナイト・ニッポン。高石友也の受験生ブルースが流れる。

音楽もよく聴いた。当時は映画音楽全盛の頃。欧米のサウンド、とりわけ日本ではヨーロッパ映画の上映が盛んでハリウッドに引けを取らなかったから、心に残っている曲もヨーロッパ映画が多い。今聴いてもいい曲が多い。

昭和の足跡(15)映画小僧と阿佐ヶ谷界隈

2020年08月09日 | 昭和の足跡
最初に記憶のある映画は「君の名は」。当然、母のお供で行ったのだが。依頼映画が大好きで、今に至っている。

住んでいた東田町から青梅街道へ出ると、阿佐ヶ谷駅に続くスズラン通りが出てくる。この通りを暫く行くと左手に入る道が出てきて、そこを曲がると右手に東宝があった。

阿佐ヶ谷駅方面に進むと右手に松竹が出てくる。その手前を右に入ると奥が大映だった。そして、駅の向こう側に確か阿佐ヶ谷オデオン座があり洋画をやっていた。

この頃は再々映画に行けるような小遣いがあるわけではなかったので、専らの楽しみは映画館に張り出されているスチール写真を見てあれこれ想像を膨らましていた。

小学生の時分からこうだから、要するにませていた。松竹の看板で炎加代子のいささか過激なポスターに胸がドキドキしたものだ。大映のポスターでは何と言っても山本富士子の美しさにはうっとりしていた。今でも忘れないのは映画「白鷺」のポスター。確か共演が川崎敬三だったと思うが、二人並んだポスターの前で佇んでいたのを覚えている。東宝では鶴田浩二の眠狂四郎を観た記憶がある。

荻窪まで足をのばしていたのは、新東宝が荻窪しかなかったからだろう。宇津井健のスーパージャイアンツが特撮としてはちゃちだが懐かしい。

今でもインターネットで映画を漁ってはワイフと毎日のように観ている今日この頃だ。

金持ちバカ親の罪と罰

2020年08月03日 | アメリカ通信
自分の子供にはつい甘くなるのが親の常だが、親バカが金持ちだと、何でも金で片が付くと思うのか、気が付けば犯罪に手を染め、誠に惨めな結果になる。

世間を騒がしたテキサスの「AFLLUENZA」事件。2013年、金持ちの未成年バカ息子が親に買ってもらったフォード車で飲酒運転、4人が死亡、9人に怪我を負わせた。 裁判で弁護人は、”この子供はAffluenzaなのでJailではなく病院でのリハビリが相当”との呆れた弁護を展開した。AffluenzaとはAffluence(裕福)とInfluenza(インフルエンザ)の合成語で、”裕福な環境に育つと、社会の善悪や常識が理解出来ない、インフルエンザに罹ったようなもの”とでも言おうか。判決で保護観察10年とリハビリが言い渡されたが、2年後、そんな不自由な生活や嫌だ、とばかり、金持ちバカママはバカ息子を連れてメキシコへ逃亡するも、指名手配で捕まり、息子に2年の実刑、ママもJailとなった。

昨年の金持ち親バカ事件は、史上最大の、と言われる大学不正入学事件。その規模(人数と金額)に加え、有名女優の子弟がいたことで注目を集めた。当初52人中24人の親は最初から罪を認め、残りは無実無罪を言い張っていた(その後裁判が進むにつれ無実無罪を主張していた連中も観念しはじめている)。

最初に判決を言い渡された女優のフェリシティ・ホフマンは当初から罪を認め、その素直さを評価されてか、14日間のJailと軽い刑が言い渡された。

二人目はデビン・スローンという会社社長である。25万ドルの賄賂で息子を入学させた。判決は4か月のJailと95千ドルの罰金に500時間の社会奉仕。判決に至るまでのやり取りが面白くもあり、そして呆れる。

スローンは最初は悪い事はしていないと主張したが、形勢不利と見ると、弁護人は「デビンは蓄財を使って私立高での障害者の為のスペシャル・オリンピック・プログラムの創設と育成を計画している。更に2000時間の社会奉仕を行う。ケビンは今まで善行を施して来たので、これが彼に科されるべき妥当な量刑だ」とぶち上げた。要するに、障害者の為に金を使い、異例の2000時間という長時間を社会奉仕するからJailは勘弁、と弁護展開をしたのだ。これに対し、裁判官は「金で逃げようとしている態度は言語道断。善行を施す良い人だから罪を軽くしろとでも言うのか」と一刀両断に切り捨てた。呆れた話である。