よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

自動運転装置なんかやめちまえ

2018年03月23日 | アメリカ通信
ウーバー・テクノロジーの自動車自動運転装置搭載車のテスト運転で、こともあろうに人身事故を起こし人命が失われた。テストは普段から人通りの少ないクリアな環境で、よくテスト道路として使われる場所であった。

そもそも車の運転に自動運転装置が必要なのか、ということである。

技術革新が過去様々な形で人間のサポートに寄与してきたことは否定しない。人間には出来ない機能、或いは危険な機能を技術で補助するのはむしろ必要だろう。しかし、あの狭い日本に自動運転車が蔓延した時の事を想像すると寒気が走る。何も人間が普通に出来る事をわざわざ機械にやらせる必要はあるまい。

科学者や技術者・研究者は社会の為になるから、としてその研究や技術革新にやっきになり、想定される危険性も「法の整備や効果的な予防策を講じれば安全性は確保出来る」という論理で推進してきたのが今までの歴史である。

よし坊が思う技術革新における懸念は、認知症との関係だ。世間で、いや世界中で認知症が人類の大きな問題になっているが、技術の進歩が認知症発症増加に深く関わっているとしか思えないのだ。

人間楽すれば身体を動かさず、工夫する必要が無いから脳で考える度合いも減ってくる。現代は便利で溢れているからその分怠惰になっていくわけだ。要するに便利になるにつれて脳が退化しているのではないか。この便利さは技術革新のたまものだから、我々はそれらを有難く、称賛さえするが、実は知らず知らずの内にとんでもない世界へと引き込まれていく。

よし坊の車にはGPSナビゲーターが無い。それ程高くないから付けようと思えは付けられる。しかし、どんなに小さな道でも道路標識があるアメリカでは地図さえあれば全く問題ない。それと地図を見る楽しさがある。次に行く時は前の記憶を検証しながら運転する楽しさが加わる。時として記憶違いも起こり、それはそれで楽しいのだ。その点、日本の地理は複雑怪奇だから、確かにナビシステムは必需品だろう。必要なら装備すればよいが、そうでなければ遠ざける勇気を持たないと、いつの間にか「便利品」の奴隷に成り下がってしまう。だから、自動運転などやめちまえ、だ。

今年の桜はいささか早咲き

2018年03月11日 | アメリカ通信
2月の馬鹿陽気のせいで3月になってあっという間に桜が咲いてしまった。早過ぎである。桜の種類がサクランボのなる木なので、例年他の桜より早く開花するが、それにしても早い。

昨年は雨で当地名物のコニヤーズの桜を観に行くことが出来なかった。今の天気も初夏と真冬が日替わりメニューの如く、目まぐるしい変わりようだから、ダメかもしれない。

本日は雨。これで大分散るだろう。


そして誰もいなくなりつつあるトランプ政権

2018年03月05日 | アメリカ通信
トランプの最も信頼する部下であったコミュニケーション・ディレクターのホープ・ヒックスが辞任した。トランプの意を汲み、忖度し、適度な虚偽をちりばめた情報操作で、不都合を闇に葬ってきたのだが、議会の査問委員会でも闇を語らず辞任した。

トランプは誰よりもヒックスを信頼してきたと言われている。モデルあがりの29歳の影の権力者として、彼女がOKすれば正規ルートを飛ばして直接トランプへ上げられ、トランプもノーと言わない構図となっていた。

いまだに閣僚ポストが全部埋まっておらず、重要スタッフが次々とスキャンダルに塗れて去り、娘夫婦を重要スタッフに任命するなど、身内で固めたトランプビジネスをそのまま公共の場に持ち込むという、今までに例を見ないような、まさにネポティズムの塊のような政権である。

しかし、その娘夫婦、イバンカとクシュナーも足元が揺らぎ始めている。クシュナーはロシア疑惑の調査の真っ最中だし、イバンカは自分のビジネスに不正疑惑が出てきて、特別検察チームにこれまた調査対象にされてしまった。

こんな事態がいずれ来ることは当初から言われていた。素人大統領ゆえに周囲をプロフェショナルで固めなければならないのに、その逆をやったわけだから予想通りになったと言うべきだろう。

通常、大統領の評価は後世の評価に委ねると言うが、この大統領だけは後世の評価を待つ必要もなさそうである。「失われる四年」のツケは大きそうだ。

Mass Shooting 繰り返されるアメリカの悪夢

2018年03月02日 | アメリカ通信
先週、フロリダの高校で17人がMass shootingの犠牲になるという痛ましい事件が起きてしまった。アメリカでは日常生活レベルで銃を身近に見ることが出来る。天下のウォールマートへ行けば銃コーナーに何種類もの銃がショーケースに陳列されており、そこで簡単に手に入る。日本で言えば、イオンで銃の買い物をするようなものである。

かつて、クリントン政権時代、日本の高校留学生の服部君がハロウィーンで不審者と見間違われて射殺されてしまった。家人が不審者と思い、フリース(止まれ)と言ったのだが、プリーズと聞き取った為の不幸な出来事である。日本人にはフリースなる単語には全く馴染みがないから、プリーズととるのももっともなことだが、なんとも悲劇である。この事件を契機にクリントン政権で銃規制の時限立法を通したが、これも期限切れとなり、今では昔に戻ってしまった。

銃に関しては伝統的に全米ライフル協会の影響がとてつもなく大きく、それは献金という”毒”で政治を支配し続けている。だから今までどんなに悲惨な銃発砲事件が起こっても、結局何も改善されることなく来てしまった。金を貰っていれば立法化やその内容に手心を加えるのは当然の成り行きだろう。

そんな中、CNNのバックアップでフロリダの高校生を中心に過去の事件で生き残った学生や親達と全米ライフル協会及び献金を受けていた議員との間で銃規制討論会が開かれたが、その内容は圧巻であった。浮き彫りになったのは、法律を盾にした銃規制とその管理の徹底化を叫ぶ協会や議員に対し、法律の網をかいくぐって銃が手に入らないようにする具体策の提示を求められても何も言えず、献金を今後も受けるのか、という議員への質問にも煮え切らない態度に終始していたが、全米に放映された意味は大きい。

その影響だろうと思うが、ライフル協会のスポンサーに名を連ねていた大手企業がスポンサー契約終了を次々と打ち出し始めた。時代の国を背負う高校生達は企業にとっては潜在的重要顧客であり、彼らからそっぽを向かれたら影響が大きいことをよく心得ている動きである。

日本は銃とは殆ど無縁の生活環境だが、アメリカ社会は異質である。かつて異質な社会だったオーストラリアは見事に銃社会からの脱皮に成功している。20年前のポート・アーサーで起こった35人殺戮事件を契機に銃の販売禁止に動き、以来、5人以上の大量殺戮事件は一件も発生していないという。時の首相は言う。国民のサポートと政治に勇気があれば克服できる問題である、と。

アメリカには国民のサポートはあっても政治の勇気が無い、と言っているようなものである。世界政治の旗振り役を自負するアメリカへの痛烈な一撃である。