よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

旅行記ー垣間見たキューバ

2006年12月22日 | 旅行
東西冷戦が終わって大分日が経った。今ではパッケージツアーで行けるキューバも昔はそう簡単には行けなかった。

財界の外郭団体で日本キューバ経済委員会なるものが、貿易振興の為に民間企業の視察ミッションを派遣することになり、取引先の商社の伝でそのミッションに潜り込んだ。

日本からメキシコシティで乗り継ぎ、ハバナへ。

ホテルは、その名も「リブレ」。”自由”である。
車窓から見ると、昔のアメ車が、相当くたびれた姿で、走っていたり、路端のあちこちで、その残骸が散在している。

ホテルの前は昼も夜も音楽に合わせて踊る若者であふれている。同じ社会主義のソ連東欧や、中国とは雰囲気が全く違うのは、ラテンという国民性か。

内海の周りには、ビル群が立ち並ぶが、海のきらめくような青さと比べると、革命後の貧しさが影を落とし、さびしいたたずまいである。

映画で見た、革命前の、資本主義的自由主義的繁栄と堕落が混在する風景を頭に描きながら、当地に長く駐在する商社マン氏の案内で、有名な「トロピカーナ」の踊りを堪能。聞けば、奥さんはここの踊り手だとか。観光名所とは言え、昔はこれの何十倍の喧騒か、と想像する。

あれから25年、カストロもそろそろ舞台を降りる気配である。時代は変わる。

旅行記ー「四足で食えないのは机くらい」の話

2006年12月18日 | 旅行
後にも先にも、犬の肉を食べたのは韓国の一回のみで、その後は食したことは無い。その時も、最初は犬の肉だとは分からなかった、というより、知らされていなかったと言った方が良い。

お得意様の宋社長にソウル近郊のレストランに連れて行ってもらったときのこと。寒い季節で温いものを食べようと、出てきたのがチゲ。思いっきり食べた後、社長はおもむろに、「今日の肉はどうでしたか?」と聞いてきた。正直言ってチゲは好きだし、大変美味しかったので、その旨言うと、「実はあの肉、赤犬でした」。

所変わって、中国。ここでは、「四足で食えないものは机くらい」と言う世界。要するに四足で歩く動物は全部食べられると言う話。
訪問先は同じなので、通る道も又同じ。ある場所に必ず犬が居た。三回目の訪問の時、その場所に犬の姿が見えなかったので、「あの犬、居ないな。どうかしたんだろうか」。中国人が、事も無げに「胃袋に納まってしまいましたね」ときた。

美味い不味いは別にして、確かに四足で食べられないものは無いのだろうが、犬猫の類までくると、食べるのにはかなり勇気がいる。冒頭の韓国の話も、事前に言われていたら、恐らく、食が進まなかったと思うのだ。

アメリカでは、犬を「Man's Best Friend」等と言っているくらいだから、犬を食べると言おうものなら、最低に見られること間違いなしだろう。

イッツ JAZZ -アランフェス協奏曲

2006年12月12日 | Jazz
クラッシックのギター協奏曲としてあまりに有名なホアキン・ロドリゴの「アランフェス協奏曲」に出会ったのは、ギター好きの同僚が、是非ギターの名手ナルシソ・イエペスのレコードを絶対聴け、損はない!と半ば強制的に買わされたからだ。そして、同僚の言葉通りであった。

何と言っても、ジャズにのめり込んでからも、あっちこっちでこの曲が聴けるから楽しいことこの上ないのだ。

いろいろなジャズメンが奏っている。トランペットでは、マイルスが「Sketch of Spain」の中で吹いている。ジャズギターでは、ケニー・バレルやローリンド・アルメイダが夫々にいい味を出している。MJQのアランフェスもいい。ジョン・ルイスのピアノとミルトのバイブが交互に掛け合っていく。MJQはこの曲を好んで演奏している。

しかし、何と言ってもお勧めは、1975年のジム・ホールのアランフェスだろう。彼をフィーチャーして、ピアノのローランド・ハナ、ベースのロン・カーター、トランペットのチェット・ベーカー、アルトサックスのポール・デスモンド、そして、ドラムスのスティーブ・ガットがスウィングする。

最近はいろいろなグループがこの曲を演奏しているので、久しぶりに他のアランフェスを楽しんでみよう。

映画三昧ー封切館2番館3番館

2006年12月09日 | 映画
映画を観るとなると、昔は封切館は2本立て、2番館3番館になると、3本立てだった。ところが、映画が斜陽となり封切館は一本立て興行に踏み切って今日に至っている。

斜陽と共に2番館3番館は、とっくに姿を消しているが、どっこい、まだ生きているところもある。今も残っていると思うが、10年くらい前、単身赴任で東京は亀戸に1年位いた頃、浅草探検で3本立てをやっている浅草新劇場を見つけた。3本立てで昔の古い映画を掛けてくれる。鶴田浩二や高倉健のヤクザ物、勝新の兵隊やくざシリーズ等等。記憶では600円か800円だった。

映画ファンとしては、こんな映画館が残っているのはうれしい限りだ。今時ビデオやDVDで見りゃいいが、というが、映画を観る独特の雰囲気と言うのがあって、これを無視するわけにはいかないのだ。言葉では説明できない「雰囲気」。そういうものだろうと思う。

この映画館、場所が場所で、直ぐそばに場外馬券売り場があり、決して周りが綺麗ではなく、又この映画館に入るのも、ちょっとゾクっとくる雰囲気があり、一応心の準備というか、やや斜めに構えて入る必要がある。3本立ての長丁場、周りに気を配り用心しながらの鑑賞はスリル満点。時折酒臭い匂いが漂ってきたりする。

所変わって、アメリカは何と言っても映画のメッカ。このアメリカでも場所によって、2番館がある。よし坊の住んでいるところには3箇所くらいあるが、料金が安い。今、封切は8ドルくらい(午後4時以前だと6ドル)だが、この2番館は1ドルで1ヶ月遅れくらいの作品が観れるので、映画好きのよし坊にはもってこいである。だから、殆ど毎週観にいくこととなる。

そういえば、長らく住んでいた関西では、2番館などが残っているのだろうか。有るとすれば通天閣界隈か神戸の新開地界隈か。今度帰ったら探検する必要がありそうだ。

ブッシュの罪

2006年12月06日 | アメリカ通信
毎日、テレビでブッシュの顔を見ていると、ついこの間まで(中間選挙まで)の得意満面、自信過剰気味の顔付きがすっかり褪せて、駄々っ子のガキが「おとうちゃん、オレ困ってるんだ、助けておくれよ」と言わんばかりの情けない顔で、それでももう暫くは主役を張らねばならないから、一生懸命の出演だ。

それにしても、イラクは内戦状態になり、イラク国民の死亡数も増え続け、アメリカ兵の死者も一向に減らない。お国の為と身体を張り、死んだらヒーローとして迎えられるが、真っ平御免だろう。ここまで来ると、治まりがつきそうにも無く、何の成果も無いとなったら、死んだ兵士は犬死だし、死んだイラク国民は浮かばれないだろう。

結局アメリカは、非常に不適格な大統領を戴いてしまった、アメリカ国民はそういう人間を選んでしまったということだろう。

まず、2000年のイカサマなフロリダ選挙がけしからん。あれを有利に捏ね回して当選へ担ぎ込んだ。次は、マージャンの後付けではないが、根拠の無理やり後付けであっという間にイラクに突入。更にまずかったのは、例の十字軍発言。これで一挙にイスラム世界の反感を買った。この大統領、古代から世界はキリスト教徒イスラムの壮絶な戦いがあり、今も続いているとの認識が無い。

早い話が、きな臭い手を使って社長となったアメリカ株式会社のブッシュ社長は、取締役時代からやりたくてウズウズしていたイラク・コーポレーションの買収を強引にやったが、大きな含み資産が有ると睨んでいたイラク・コーポレーションは実は大赤字で、しかも、会社の不祥事の数々が次から次へと噴出し、手が付けられない状態となった。会社建て直しに送り込んだ社員も「やってられない」として、ドンドン辞めていき、周りは社長の辞任を待っている。そんな話に近い。

ブッシュの罪は重い。

会社のいじめ

2006年12月03日 | いろいろ
学校のイジメに加えて、最近は会社でのイジメが問題になっている。

約30年のサラリーマン生活の中で、よし坊がいじめられたりした経験は無いが、会社の中で起こった2件のイジメは、身近だけに今でも鮮烈に覚えている。

最初の例は、ある課長代理の上に新任の課長が来た。この新任さん、あまり来たくない部署に来たので、面白くないらしく、課長代理のやる事、提案に対し、ことごとくイチャモンをつけていた。しかも、この新任さんの悪い所は、皆の面前で課長代理を大声で罵倒することだ。 入社2-3年の駆け出しのよし坊としては、ただ見ているだけであったが、それにしてもひどかった。課長代理の同期や他部署の上役が折に触れて慰めているのが救いだったが、やがて課長代理は転職して行った。

もう一つの例は、最後が悲しい結末となった。
ド真面目、一言居士のこの技術課長の上に、新任の事業部長が来た。当初から事業部長氏はこの課長と肌が会わないらしく、やがて課長職を外し、専門職へ追いやり、これもことごとくイチャモンをつけ始めた。やがて彼はノイローゼに陥る。ある日、会社から帰った彼はお風呂に入った。あまり出てくるのが遅いので、奥さんが見に行ったら、バスタブの中で溺死していた。  

イジメは醜い。イジメの加害者はやはり、人格的に問題があるといわざるを得ない。 人間は本来、孤独で、傷つきやすい動物だから、お互い気をつけないといけない。ちょっとしたことで人を傷つけ、人は傷つく。

よし坊が日頃気をつけていること:ある人には何でもないことでも、別の人には大いなる侮辱であったりする。だから、言葉は選ばないといけない。