よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

Don't Ask Don't Tell

2010年05月29日 | アメリカ通信
アメリカ下院で、「Don't Ask, Don't Tell」法の廃案が可決された。簡単に言えば「同性愛者が軍に従事することを禁ずるが、本人が公表しない限り罷免してはならないし、軍は、その疑いがあるとして調査してはならない」と言うことである。93年に時の社会情勢を考慮して、クリントン大統領が署名した。

今回の廃案は、同性愛者であっても、国を守る資格が無いと否定するのはおかしいと言うもので、言われてみれば至極当然であるし、それを可能にしたのも、この国がより成熟した証か。

創世記、男と女という形でアダムとイブが創り出された。、以後の人類の繁栄は、子孫を残すという役目柄、男と女の組み合わせを求めたが、人の愛し方は別にも有ったわけで、同性同士というのは今に始まったことではない。更に、最近の研究から、男とか女とか、言葉通りの単純解釈では通らなくなってきている。例えば、性同一障害などがある。昔なら、変人とか変態とかで片付けられてしまったであろう。まだまだ我々の知らない世界があると言うことだ。

アメリカでは、9月の第一月曜日のLabor Dayに全米で彼らのお祭りがある。主だった都市に集まり、気勢を上げる。それを目の当たりにしたことがある。
そんな集会があるとは知らず、ワイフとニューオリンズへ行った時のこと。街中が彼らで溢れていた。ホテルと言うホテルは彼らばかり。街の飲食店もしかり。肩を組み、キスをする者達。街中が、底抜けに明るかった。

別の機会だったが、同じニューオリンズの有名なガンボの店で昼食を取った時の事。ワイフと席について食事を注文した。ガンボがきて、いざ食べようとしたら、ワイフのナイフとフォークが無いことに気が付いた。アレッと思って、ウェートレスを呼ぼうとしたら、隣の席に来たばかりの男性が、すかさずワイフに「これを使ってくれ」と自分のテーブルにあるセットを渡してくれた。隣の二人は、実に仲の良さそうな男性二人で、正しく恋人同士であった。
レストランに限らず、街中でも割合よく遭遇するので、アメリカでは日常に溶け込んでるような気がする。日本ではこうは行くまい。

RAIZO -コメディ時代劇

2010年05月27日 | RAIZO
濡れ髪剣法に始まり、濡れ髪牡丹で終わる全5作の濡れ髪シリーズはコメディ時代劇のカテゴリーとして非常に面白く、兎に角理屈抜きで楽しめる。雷蔵の芸域の広さを感じさせる。

最初から軽いタッチを目指しているせいか、随所に現代語を敢えて散りばめ、テンポも速いから意外と違和感は無い。雷蔵の、軽くて飄々とした演技がこれ又良い。

シリーズの中では、最後の濡れ髪牡丹が好きである。女親分の京マチコを相手役に、何をやらせても一流のスーパーヒーローを演じ、脇は常連の小林勝彦。

もうひとつ、コメディ時代劇で面白いのが、「陽気な殿様」。坪内ミキコのデビュー作でもあるが、お家騒動解決の為に、江戸から姫路までの道中を佐々十郎と、常連の小林勝彦を従えての旅となる。あの菅井一郎が、相変わらずの爺さん役で出ており、なんとも言えぬ味を出している。高田美和も初々しいし、松平長七郎の宇津井健も若い。

中村俊を外せコール

2010年05月25日 | サッカー
昨日も触れたが、日韓戦で見えたのは中盤の崩壊である。イコール中村俊介なのである。彼はとっくに旬(俊)を通り越している。故障とはいえ、エスパニョールでの大不活躍を見れば明白で、一気に下り坂を転げ落ちているのだ。前にも書いたが、よし坊は小野伸二に拘っている。人選ミスもいいところだろう。小野だったら、の思いは拭えない。

本田が試合後に、「尋常なことではダメだ」という趣旨の事を言ったと聞くが、そうだとしたら、中村を外せ、とアピールしているのだと思う。選んだからには連れて行くしかないが、先発などさせない事だ。スタミナも元々無い選手だから。

本番前のイングランド戦。勝てる相手ではないから、謙虚に勉強のつもりで、最後のアガキだがサプライズテストをするくらいの開き直りをやって見せたらどうか、オカダちゃ~ん。

日韓戦を観て

2010年05月24日 | サッカー
アメリカでは早朝の日韓親善試合を、目をこすりながら観た。よし坊の予想は、一点差で負け、うまくいけば引き分け。結果は2-0の負けである。先制はパク・チスン、決めるべき男が決めた。サッカーは決めるべき男が決めなければならない。

何故負けたかは、試合を観れば一目瞭然。ボールをキープ出来ない、ボールを獲られる。パスが読まれる。何を意味しているかは明白で、基本を疎かにしていると思われても仕方が無い。ボール回し、パス回しで中盤が殆ど機能していないのは、目を覆いたくなる現実だ。MFの中心に中村を置く事が足を引っ張っているような気がする。遠藤も精彩が全く無いのはどうしたことか。

FIFAランキングでは、いつも韓国が日本の下にあるが、実力では韓国のほうが上だし、日本はワールドカップでサプライズを起こしそうな気配は全く感じられないが、韓国には常にそういう雰囲気が漂うのは何なのだろうか。

今日だけの試合を観ての、ワールドカップ予選ラウンド。今までの予想は、うまくいけば2敗1分けだったが、残念ながら3連敗w免れないだろう。




W杯前夜

2010年05月22日 | サッカー
ワールドカップが近づき、俄然スポーツ番組もサッカーが増えた今日この頃だ。そのW杯を前に、ゲームが目白押しである。

今日はチャンピオンリーグの決勝、インターとバイエルン。例年のごとく繰り返された英国クラブ同士の組み合わせでないのが、まず良い。昨年までレアルにいたシュナイダーとローベンの対決も見もの。

韓国と日本の親善試合。ランキングでは下の韓国が勝つだろう。気合が違う。マンUのパク・チスンをブロック出来るかどうか。その劣勢(余勢ではない)をかって、W杯予選ラウンドは、3連敗、よくて2敗1分けといったところか。

女子サッカーアジアカップが始まった。なでしこジャパンは是非ともW杯の切符を取って欲しいのと、強豪北朝鮮を叩きのめしてもらいたいものだ。

今回のW杯、アメリカは注目のひとつだろう。コンフェデであのスペインに勝利した記憶は新しい。監督もまず、予選ラウンドをどう突破するかに腐心している。どこかの国の監督のように「4強」等とホラを吹かない。「全員攻撃、全員守備」などと、分かったような分からないような、へんな言葉を発しない。どうやってScoringするか、その一点のみである。岡田の言葉を聞くと、大昔、バレーボール・鬼の大松の「成せば成る」を思い出す。当時はあれでよかったが、今時、若者には響かない。
選抜選手も海外組を中心に、しかし、国内組の新顔を二人選んでいる。今が旬だからだ。そのうちの一人は、あのベッカムが、将来伸びると二年前に言っていたGalaxyのバドルだ。

W杯後の日本チームの監督選び、日本人では駄目だ。Sportsには頗る旺盛なHinting精神が無いと勝てないのだが、島国農耕民族の日本人には元来不向きと言わざるを得ない。Hunter精神を持ち、冷静で冷徹な判断を下すには外国人しかいない。選手もHunter精神に欠ける農耕人だから、コーナーキックだとか、フリーキックのセットプレーでは冴えを見せても、動きながらのCompetitionとなると負けるのである。時折Hunter精神の選手が出てくるが、農耕人ムードにつぶされる。あの中田ヒデがそうだった。今回の選手では本田がヒデに似ている。つぶされるな、本田。




ルーピーはとやま

2010年05月21日 | いろいろ
初心者マークをつけた民主党政権が最初から上手に事を運べるとは誰も思っていない。だから、大方は少々の事には目を瞑り我慢をしようと心密かに思っていたはずだ。

しかし、今回のルーピー ハトヤマの「沖縄の海兵隊が大変重要な役割を果たしていたことが初めて分かった」発言には二の句が告げない。戦後、日米安保がこの国の防衛の根幹を形成してきた事すら理解していなかったような無知レベルと言うか、まことに恥ずかしい発言である。アメリカは、この発言をどのように聞いたのだろうか。このような人物が一国の首相になれる日本は、大変間が抜けた国に見える。

そもそもの普天間騒動だが、舞台裏の交渉や根回しも無く、期限が近づいたら、頭の中の構想である「徳之島」を突然ぶち上げたものだから、地元が驚くのは当然で、交渉ごとのイロハも知らない、きわめて世間知らずのお坊ちゃまであることを、再確認させてくれた。日本の舵取りにお坊ちゃまは、もうたくさんだ。

基地問題は、日本の防衛、自前の防衛力をどうするかという大きな問題で、真正面から議論しないと前に進まない。オバマが、何もしないルーピーに「日本は戦後、米軍のお陰で防衛では十分元を取ったではないか、ちったー考えろよ」と苦言を呈したのは当然のことだろう。ルーピーには、こんなことも嫌味には聞こえなかったに違いない。

日本株式会社、社長解任は出来そうもないから、早期の引責辞任でケリをつけて欲しいものだが、ハテさて後任は? 困った、困った。




求む! Notorious MITI

2010年05月18日 | ビジネス横丁こぼれ話
かつて、アメリカから「Notorious MITI=悪名高き通産省」の名を冠せられた当時の通産省は、低資源国であるニッポンの再生の為、貿易立国の理念を掲げ、官民一体となって活路を海外に求めた。そして、その尖兵を務めたのが「ソーゴーショーシャ」に代表される商社及び商社マン達だった。内向き志向が特徴的な「島国日本」にあって、当時の学生達は挙って、海外に夢を馳せ、商社に殺到し、海外に散っていった。国と企業が一体となり、外向き志向の、実に躍動感溢れる時代だった。

しかし、90年代から始まった市場のグローバル化は、製造業の海外進出を加速させると同時に、商社不要論を吹き出させ、その結果、「商社冬の時代」を迎える事になった。「グローバル化」の名の下での製造業の欧米進出は目覚しく、学生達の海外志向は一層の拍車が掛かっても不思議では無かったはずだが、現実は逆で、商社冬の時代に呼応するように、その動きは萎えていった。学生の人気就職先ランキングにその傾向が見て取れる。70年代から80年代は、ベスト10の常連だった総合商社は、96年以降は、常連のリストから消えていった(03年と07年に単発的にベスト10に名を連ねているが)。最近の学生や若者は、驚くほど海外に関心が無いらしく、今も続いている。

グローバル化の中で、若者達の海外関心度が減少するとはどういう事か。やはり、国が、かつて掲げた「貿易立国」に代わる御旗を掲げられないでいるからではないか。次代を担う若者が限りなく「内向き志向」になり、国が無策でいる間に、日本は世界市場で益々地盤沈下を余儀なくされていくようである。

内向き志向になった(正確に言えば、戻った)日本が、世界市場で苦戦している典型的な事例が最近起こっている。原発エネルギー開発の国際ビッグプロジェクトが相次いで海外組み(韓国とロシア)に負けてしまった。蓋を開ければ、勝者国は、大統領によるトップ外交を含め、舞台裏で着々と情報収集と影響力の行使をテコに果実をもぎ取っているのが分かる。今の日本に「Notorious MITI」のような、国を挙げての積極関与のパワーは無い。

低資源国の日本が内向き志向では、なんともならぬ。内向き志向とは、極端に言えば、今有る田んぼをせっせと耕し、皆で分けて生きようと言う事だが、狭い日本、そんな事では立ち行かない。少子化も心配だが、これからの若者を、どのようにして外向き志向に導くか、大きな問題だと思う。
求む「Notorious MITI」!!

Kent Shooting

2010年05月04日 | アメリカ通信
朝、新聞を見ていたら、遠い昔の写真に気がついた。ベトナム戦争真っ只中の1970年5月4日、アメリカの大学で軍が学生デモに発砲、死者を出した事件だ。日本でもアメリカでも反戦運動が盛んで、当時それに関連する色々な事件が起こっていたが、「ケント」もその一つである。

遠い昔の話だが、この写真は見覚えがある。当時、TimeかNewsweekにも出ていたはずだ。今の日本の若者に、「反戦」の言葉を投げかけても、「それって何」と馬鹿にされるのがオチだろう。当事国のアメリカでも、年とともに風化していくのは避けられないのだが、この大学は、この事件を歴史に残すことにした。

オハイオのアクロンという、昔、タイヤ生産で有名だった街から東へ10マイルの所に、Kentをいう郡がある。ここに、州立のKent Universityがある。1970年、ベトナム戦争に壁壁していたところに、時のニクソン大統領がカンボジア侵攻を決めた為、ケントの学生がデモを張った。軍(National Guard)が出動し、それ程過激でもなかったデモ隊に発砲し、4人が射殺された事件である。この出来事を歴史に刻む為に、National History Siteに申請、認められたと言う。通常、History Siteに認められるのは、50年以上経ったものが対象になるらしく、例外中の例外と言える。それだけ、意義が大きいという証左なのだろう。

映画三昧ー The RoadとViggo Mortensen

2010年05月03日 | 映画
あの、「Lord of the Ring」の超大作で一躍脚光を浴びたビゴ。そんなビゴは、思わぬところで、ちょい役で出ていた。昔のビデオをみていると、そういう楽しみがある。
まず、ハリソン・フォードの「Witness」。アーミッシュの一人で出ていたし、ジーン・ハックマンの「Crimson Tide」にも出ていた。

さて、「Ring」後のビゴの映画だが、出ている作品が概ね、粒が揃っていて良い。派手な、大衆受けする俳優ではないが、なかなかいい俳優で、駄作が無いのが余計良い。

「History of Violence」「Eastern Promises」、それと最近の、地味ではあるが、世界が滅亡した後、蔓延るカンニバリズムに背を向けて「生きる」姿を描いた「The Road」もいい作品だった。

極限の飢餓で、人間は当然、カンニバリズムに直面する。その時、どの道を選ぶのか、何を選択するのかをじっくり考える余裕が果たして有るのかどうか、考えさせられる。

太平洋戦争で敗走する日本軍の中には、過酷な南方戦線で当然その様な事が起こったし、又、戦争とは違う事で極限状態に直面した、あの、アンデス山中での飛行機事故では、生きる為に死者を食した身近な例がある。

映画は、ビゴの父親が、息子にカンニバリズムとは別の道を教え、それを未来に託して息を引き取るのだが、親は子供に何を教えなければならないかを、この現代に於いて問うているような気がする。