よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

考え物だ、外国人参政権

2010年01月28日 | いろいろ
民主党政治がどこに落ち着くのか、もう少し時間がかかるので、見守らなければならないが、民主党の掲げている旗の一本に「永住外国人参政権」がある。この旗だけはいただけないから、早く降ろすか、いっそのことボキボキに折って欲しいものだ。

大原則は、参政権の行使は、その国の国民によるものであり、その国の国民でなければ、国民になれば良い話だ。帰化して、国籍を取得すればよい。アメリカで言えば市民権を得るわけだ。これは、ごく普通の常識の話であり、決して突拍子も無い話ではない。

お坊ちゃま総理の「友愛」なんて言葉でやられては困るし、底流には朝鮮半島に対する贖罪意識があるのではないだろうか。そんな気がする。これを支持する政党も、宗教色の強い公明党から、革新の伝統党だった、共産党やら、社民党と、気に食わぬ。最後は船に乗っかってしまったから同罪だが、あの北朝鮮帰還事業が当時の社会党主導で、革新団体が一挙に乗り合わせ、最後は自民党が押し出した時のことを考えるべし、だろう。人道的立場とは聞こえが良いが、贖罪意識丸出しだ。この件に関しては、長い蜜月時代に公明党に骨抜きにされてしまった一部自民党の面々を除く勢力、国民新党、自民党を割って出たみんなの党の渡辺嘉美達の方が筋が通っている。

日本に永住している外国人、といっても、その殆どは在日の方々。よし坊は彼らに偏見や恨みがあるわけではない。だからといって、日本国籍でもないのに、参政権付与はないだろう。在日の方々は、歴史を忘れてはいけない、とか、日本での差別問題などから、帰化することは、村八分につながったり、日本人には想像出来ない困難な事が立ちはだかるのかもしれぬが、それと引き換えに渡すのは筋が通らない。

よし坊は、現在、永住権を貰ってアメリカに住んでいる。唯一無いのは参政権である。それ以外は殆どアメリカ市民と同じである。もし、この国の政治活動に加わりたくなれば、市民権を取得するまでだが、その域には達していないから、永住権、グリーンカードで十分なのである。

JAL破綻に思う

2010年01月20日 | いろいろ
世界では、ヨーロッパでも早くから航空会社の淘汰が起こり、アメリカでは、古くはユナイテッド、最近のデルタ、ノースウェストの会社更生法適用と再生と、荒波が襲っている中で、世界の(?)JALが大変ではない、はずがないと長年思ってきたが、とうとうと言うか、漸くと言うか、整理の時期に到達した感がある。整理といっても、消えて欲しいわけではない。存続して欲しいのだが、この際会社も行政も膿を出すことだろう。

映画にもなったが、山崎豊子の「沈まぬ太陽」が発刊された時早速読んで、ドロっとした体質(ま、何処の会社にも似たようなことはあるが)で身動き出来ない、謂わば、航行不能になった戦艦大和が太平洋の真ん中で、何処へ行けばよいかもがいているようだった。

巷間伝えられている社員の特典だが、昔こんなことがあった。ヨーロッパ出張を終え、アムステルダムから帰るその日、空港ロビーでバッタリ大学時代の同級生に出会った。JALに入社していたことは知っていたが、仕事かと聞くと、バケーションで10日ほど遊びに来たという。社員特典を利用できるからというので、聞いてみると、飛行機が殆どタダ。その後、席が取れない時に何度かお世話になったから、あまり言えないが、社員となると破格の待遇であることが良く分かった。これを何千人という人がやれば、そりゃ、コストも高く付く勘定だ。

しかし、諸悪の根源は今まで航空行政を牛耳ってきた政治屋連中だろう。大体、大阪近辺になんで三つも空港が必要か。神戸空港の意味がさっぱり分からない。せっかく作った関空も見事に沈没している。全くもったいない24時間空港だ。やり方一つで、金の卵になったかもしれない。アジアのハブにも成りえたのに、アジアのハブを韓国の仁川に奪われたのは記憶に新しい。最近の茶番劇は静岡空港だろう。適切でない土地に建てて、後は知らん顔の相変わらずの行政。作っちゃったから、壊すわけには行かない。そんなハチャメチャが堂々とまかり通るのだから、ツケを回される庶民はやりきれない。

日本の官僚は馬鹿ではないはずで、諸案件に対する国としてのグランドデザインを描く、参謀としての連中がいるはずだが、ひょっとして政治屋連中がそれをグチャグチャにしてきたのではないか。今求められるのは、老獪な政治屋ではなく、愚直な政治家だろう。兎に角、青臭い方よい。


ココ・シャネル

2010年01月17日 | いろいろ
Nature gives you the face you have at 20. Life shapes the face you have at 30. But at 50 you get the face you deserve.

有名なココ・シャネルの言葉だ。この言葉に出会ったのは、大学生の時、今から40年くらい前だ。当時はTimeやNewsweekをよく読んでいたが、ココ・シャネルの記事がTime誌のEntertainmentのコラムに掲載されていた。内容は、頂点にまで上り詰めたココ・シャネルの破天荒な生き方の記事だった。この時の記事で、「Fashionは変わるがStyleというのは変わらない」という言葉も印象に残っている。

何故、ココ・シャネルの言葉を思い出したかというと、確か、ココ・シャネルの映画が封切られるはずと思い込んでいたので、調べたらとっくに昨年封切られた後だった。

上の言葉、シンプルで、いい言葉だと思う。変に訳さず、そのまま覚えておきたいものだ。


アメリカサッカー文化論

2010年01月14日 | サッカー
過去のアメリカサッカーの歴史を見ると、まさしく「不毛地帯アメリカ」という気がする。いくら、アメリカが野球でワールドシリーズと銘打って試合をしようと、所詮アメリカ国内のスポーツイベントに過ぎないし、日本等、他の国も参加してのワールド・ベースボールと言っても、これも地方イベントに過ぎない。後にも先にも、「世界のスポーツ」と今もって声高に言えるのは、やはりサッカーだろう。

そのアメリカが世界をアッと言わせたのが、1950年のワールドカップで、頂点に立つイングランドを下したことだったが、アメリカでは、その頃でさえ、サッカーなんて知らない連中が殆どだったから、恐らくニュースにもならなかったのだろう。この記念すべき試合は「Miracle on Grass」と呼ばれている。日本にも、「マイアミの奇跡」というのがあったが。そんなアメリカが20年後に、再び世界をアッと言わせた。プロチーム「ニューヨーク・コスモス」の誕生だ。神様ペレ、皇帝ベッケンバウワー等、身震いする選手を集めたから、沸きに沸いた。土台の無い悲しさから、短期間で終わってしまったが、こんな仕掛けが出来たのは、実はアメリカが移民の国であることによる。同じ移民でもオリジナル移民とも言えるイギリス系ではない移民の存在が有ったからこそ実現した話である。

長らく不毛地帯と言われたアメリカも、日本人程の性急さではないが、着実に底辺を拡げている。そして、アメリカの4大スポーツに続く第5のスポーツと期待され始めた。

1970年台の「ニューヨーク・コスモス」の誕生と終焉から、30余年経って、漸くアメリカが動き出した。スポーツが沸くにはヒーローが必要だ。そのきっかけを作ったのが、女子サッカーだ。殊に、ミシェル・エイカーとミア・ハムの出現が大きい。瞬く間に小中高にサッカーが広がり、試合に行くと、皆ミア・ハムのジャージーばかりと言う現象だ。サッカー熱は小中高の男子にも広がった。サッカー不毛地帯だったアメリカが女子ワールドカップでは常に世界をリードしているのだから、面白い。

アメリカは、今や、世界ランキングでベスト10まであと一歩の所まできている。過去、何故「不毛地帯」と言われてきたのか、分かったようで分からなかったのだが、いろいろな人のコメントから、最近漸く見えてきた。

1)サッカーはイギリスが故郷みたいなもので、そこから脱出してきたイギリス人の末裔たるアメリカ人としては、独立戦争を戦った如く、決して彼らの真似だけはしたくないという心情。
2)アメリカ人は弱いものには見向きもしない。
3)物事全てダイナミックに動くものしか興味ない。ヘトヘトになりながら漸く1点を取るスポーツなんか見たくもないのだ。アメフト、バスケ、ホッケーはシーソーーゲームの如く点が入り続ける。野球は引き分けの試合もあるが、ヘトヘトにはならない。
4)観るスポーツは、リラックスして、適度の休憩があって、食べたり飲んだりできないとアメリカ人は満足しない。そう言えば4大スポーツは全てこの条件を満たしている。

以上は、今までよし坊の中でも既に理由付けていたが、極めつけに出会って積年の課題が解けたような気がする。
アメリカのサッカー関係者の言葉だが、「アメリカ人というのは、長い時間緊張感を維持することが出来ない民族だ。45分間も、何時その1点が入るか緊張し続けて観るなんて出来ない」。

確かに、サッカーを観戦すると分かるのだが、決定的なシュートが何時出るか、試合中は席を立つことが出来ない。最後の10秒で入ることがある。日本の、あの「ドーハの悲劇」は正にそれだ。

アメリカも、そんな最後の10秒に酔う楽しさを覚え始めたということだろうか。移民のDNAが息づいているから、大ブレークするかもしれない。そうなった時のアメリカは怖い。

映画三昧ーPRECIOUS

2010年01月12日 | 映画
PRECIOUSという映画を観た。10代の黒人の女の子の悲惨な、そしてちょっぴり希望を抱かせる、見応えのある物語だ。

Preciousは貧困のハーレムに生まれ育ち、読み書きも出来ず、小さい頃から父親の性的虐待を受け、子供を二人も生まされ、しかも父親からエイズをうつされる。世の中の不幸を全部背負わされているようなものだ。しかも、母親からも日常的虐待を受けるから悲惨だ。二度目の妊娠発覚で学校を追われるが、代理学校で読み書きを覚え、先生や友達に助けられながら自我に目覚めていく。

名前のPrecious、まさに人間とは「かけがえの無いもの」、作者はそういいたいのだと思う。母親役のモニークという女優、この演技が冴えている。子供を虐待する自堕落な母親、娘に向いてしまった夫に対する憤りを、娘の虐待で晴らす、鬼のような母親。

実の子への性的虐待の実態は、日本もアメリカも、さして変わりは無いだろうが、決定的に違うのは、アメリカの方がはるかに顕在化しやすい。そして、表に出てきた事実を出来るだけ客観的に捉え、考えようと努力しようとする国民性だ。

アメリカは、性的虐待に対しては、非常に厳しいが、性的犯罪者に対しても厳しい。 刑期を終えて出所しても、所在地が一般に公開される法律があるので、監視されているようなものだ。1994年、ミーガンという7歳の女の子が誘拐レイプの上殺害された。この事件で、被害者の親の訴えと運動が大きなうねりとなり、別名、ミーガン法といわれる法律が出来、性的犯罪者の居場所を公開できるようになった。立法化まで進んだのは、性的犯罪者のリピーターになる確率が圧倒的に高いことによる。日本でもこのような法律が出来たらどうだろうか。日本は狭く、何処へ行っても居場所がオープンになるわけだから、抑止力としては相当効くのではないだろうか。そう考えたが、日本のように、セクハラに甘い国では、とてもじゃないが、そこまで到達は出来まい。

余談になるが、ソーシャル・ワーカーの役でマライヤ・キャリーが出ていた。殆どスッピンのような顔(実際にはそうではないが)なので、自信がなく、ワイフに意見を求めたら、自信満々に、違う女優や、他のドラマでたまに観るでぇーとのお答え。後で調べたらマライヤだった。どこから、あの自信が来るのだろうか。分からん。

虎の林は落ちた偶像

2010年01月09日 | アメリカ通信
「単なる自動車事故」に端を発したタイガーウッズのスキャンダルは大きく膨らみ、彼の本当の姿が明るみになるにつれ、商品「タイガーウッズ」を虚構の世界で演じてきた人間の哀れさが漂う。虚構の世界でうまくコントロールしてきた人間が、めったに無い人間らしい出来事(事故)で一挙に普通の世界に戻っただけでなく、そのまま、どん底に落ちてしまったようなものである。「単なる自動者事故」は、当初、事故った車から奥さんがゴルフクラブで窓を割り、助け出したという美談に造られたが、その実は、浮気での喧嘩で、車で逃げるタイガーを奥さんが追いかけ、事故ったという事らしい。

ここにきて、今まで様々な理由で封印されてきたエピソードが明るみになっている。全く哀れなものだ。

まず、思うのは、20歳そこそこの、これから人生のイロハを学ばなければならない人間がひとつの世界の頂点に立ってしまう凄さとその後の怖さだろう。凡人の我々では計り知れない世界が待っているわけで、そういう未知の世界に世間も知らない20歳そこそこの人間がどう対峙いくのか。Mentorというか、よき指南役が必要だが、彼に居たかどうか。居なかったからこういう事になったとも言える。

下ネタ話というのは、常にセンセーショナルに取り上げられるが、彼の性的趣味や、プレイの内容も相当なものだ。取りざたされている人数も10人以上と半端ではない。忙しい日程の合間に、教会の駐車場の車の脇で極めて短時間の行為に及ぶ離れ業も暴露されている。愛人達とのテキストメールも暴露され、その幼稚で猥雑な言葉使いから、品の無さを露呈してしまった。

彼の本当の姿は彼しか分からない。頂点に達したあたりから、彼は本当の姿が世間に知れるのを恐れて、演技を始めたらしい。
常にスポーツのPerfectなアイドルとして、白い歯を見せてニコッとするが、インタビュー等では人を寄せ付けない、無感動無色な雰囲気を作り、ボロが出ないように周到にコントロールする。ビッグタイトルの後の記者会見では、他のプレーヤーは気楽にストレートに、例えばミケルソンなどは、喜怒哀楽を表し話すが、今も昔もタイガーは決して乱れず、範を押したような優等生を演じきたと言われている。唯一彼だけが、記者会見に警備を含めた側近を同行し、全ては側近の合図で会見が始まるという段取りを一環して続けてきたらしい。
すべてを虚構で作り上げる為のもうひとつの材料が結婚だったと言う話だ。別に好きで結婚したわけではなく、あの時期に台本として、妻が居る台本でないといけなかったらしい。付き合った女性達にそう漏らしている。

世間もスポンサーも、彼の一世一代の演技に酔ってしまった。無理も無い。あれだけ実力だから、敢えて見抜こうとはしないだろう。ましてや、最善の注意を払ってコントロールしているのだから、なかなかボロは出ない。しかし、いつも冷静に見ている連中が何処かにいるから、ここぞという時に一挙に現れる。虚像と実像のギャップが大きいほどダメージも大きい。

相も変らぬニッポン代表

2010年01月07日 | サッカー
格下イエメンに先行され、危うい所で3-2の勝利。喜べない展開だ。しかも、3点は、久しぶりに紙面を飾った平山相太のハットトリックというから、もうひとついただけない。

もちろん、ハットトリックの平山は、気合を入れてよく頑張った。これはこれで良い。しかし、格下130位に2点も入れさせては駄目だ。中盤から後方ラインが弱いのだろう。最早、ニッポン代表に多くを期待することは止めたが、それにしても、47位のチームが130位に2点も取られりゃ、屈辱以外の何物でもない。

スポーツライターの杉山茂樹がいい事を言っている。ニッポンが、世界のサッカー地図で何処に位置するかを考えた時、分かりやすいのは、日本でいうと、九州か東北の弱小チームと同じ位置付けだという。Jリーグ風に浮かれ、その現実直視の認識が欠けていると見たい。昨年だったか、インタビューに答えた監督曰く、目標はベスト4。言うのはタダだが、現実離れはいかん。昔の大松方式、成せばなる、の精神構造が幽霊のごとく出てくるようだ。

来るワールドカップ、予選ラウンドは当然突破し、決勝ラウンドでは旋風を巻き起こして散る。これに限る。ブラジルを叩いたマイアミの奇跡。もう一度見たいものだ。それ以上のことは望まない。

映画三昧ージェニファー・ジョーンズ

2010年01月06日 | 映画
先月、クリスマスの数日前に、ジェニファー・ジョーンズが逝った。懐かしい女優さんだ。何しろ、ロック・ハドソンと共演した「武器よさらば」での最後の別れのキスシーンの印象は強烈だった。

「終着駅」は秀作だろう。殆ど全編を、ひとつの駅だけを舞台に映画を最後まで持たせるなんて、今時出来ないだろう。監督、ヴィットリオ・デ・シーカが素晴らしいということか。共演のモンゴメリー・クリフトもこの映画で初めて観た。濃いめの甘いマスクの彼も、その後の顔面事故で顔付きが変わってしまったのは残念としか言いようが無い。駅も、あのテルミニ駅が舞台だ。何年か前ローマを旅行した時、あ~、これがあの映画の舞台かと、感慨深いものがあった。

「慕情」は音楽も有名になり、この映画も見ごたえがあった。アメリカやヨーロッパから見ると、当時の東洋とは香港であることを実感させる。ウィリアム・ホールデン。この役者も一世を風靡した。「偽の売国奴」もよかったし、サム・ペキンパーの「ワイルド・バンチ」も面白い。

ジェニファー・ジョーンズの主演作は3作しか観ていない。最後はマックウィーンの「タワリング・インフェルノ」で、ちょっと観かけたくらいだ。


RAIZO -池上本門寺

2010年01月02日 | RAIZO
早すぎるスターの死。彼が世を去ったのは大学3年の時だ。既に入院していたのは知っていたが、残念な7月17日であった。

真っ先に思ったのは、当たり役狂四郎はどうなるのか。よし坊としては当然打ち切りにして欲しかったが、暫くして、大映は松方弘樹で続行するという。ちょっと待てよ、と言いたい所だったが、ぐっと堪えての封切の日。新宿大映の前に立っていた。ポスターを眺めること暫し、そのまま家路についた。やはり、もう狂四郎は居なかった。

雷蔵は池上本門寺に眠っている。大田家の墓に入っているので、よく探さないとわからない。先年、ファンクラブの集いの後で、お墓参りをさせてもらった。帰りにお茶を飲むコースが用意されていて、銀座界隈まで戻り、ある喫茶店に入った。店主らしき人が向こうの方で忙しそうに働いていたが、確かに雷蔵の面影があった。そう、息子さんの店なのである。この店はよくよく雷蔵周辺を知っている人でなければ、まさか、雷蔵ゆかりの店とは知る由もない。雷蔵やその家族の生き方は、芸能人にありがちな派手さはなく、地味に生きることを身上にしているようで、それは、彼の自伝「雷蔵、雷蔵を語る」にも考え方が表れていると思う。

お墓参りで心残りがひとつある。この時、当時流行っていた写真週刊誌のフォーカスだったと思うが、雷蔵ファンクラブは珍しいと、写真を撮って翌週掲載したのだが、それを買ってしまっておいたら、アメリカ転勤のドサクサで、どこかに行ってしまった。返す返すも残念だ。