よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

親父の人生(3)生まれ

2022年09月27日 | 昭和の足跡
小さいころから「熊本県玉名郡長洲町」をよく耳にした。本籍地だという。だから親父はそこで生まれたものばかりと思っていた。だが、実際は違っていた。母の死去に伴う遺産相続権確定のために取り寄せた親父の戸籍には出生地は台湾嘉儀とあり、大正5年(1916)と記されていた。

親父が台湾に住んでいたこと、親父の親父、即ち祖父が現地で果樹園を経営していたことは聞いていたが、そこで生まれたのなら納得である。

戸籍には実母は親父を産んで4年後に離婚、と記されている。死別ではなかったのだ。そこに何があったのだろうか。生前親父は実母の記憶が全く無いと話していた。唯一和服姿の写真をどうやって入手したのか、大きな額に収め、よく眺めていたのを覚えている。「これがお前のお婆ちゃんだぞ」っと。

祖父はその後、後妻を迎え、親父が8歳の時に腹違いの弟、11歳の時に妹が生まれている。このことから、離婚3年後の大正12年(1923)に後妻と結婚したのだろうと推定される。この大正12年は、親父にとっては”地獄”の始まりだったのではなかろうか。

親父の人生 (2)多くを語らぬ親父だったが。。。

2022年09月13日 | 昭和の足跡
親父は生前、自分の事は多くを語らなかったが、それでも小学、中学時代に印象に残っていることが三つある。継母にいびられたこと、高校を出てから東京へ出てきたこと、そして北支で戦車に乗っていた戦争体験。

断片的に聞いたのが、実母は、親父を産んだ後の産後の日経ちが悪く死別、親父の父は後妻をもらった。後妻は一男一女をもうけたのだが、r自分の産んだ子には手厚く、親父には冷たかったようだ。そのひとつが、ご飯は二杯目のお替りは出来なかったという。二杯目を出そうとするとチャブ台の下でつねられたそうだ。居候、三杯飯をそっと出し、よりまだひどい。継母とはそんなものか、とその時思った。

一体どんな生い立ちだったのだろうか。断片的に聞いていたことと、母が亡くなった時の遺産相続手続きで取り寄せた親父の戸籍謄本から、多少の類推が出来る。その他にも死別だと思っていた母親が実はそうではなかったということが、親父の死後、ひょんなことから明らかになった。 それらの軌跡を辿ってみたい。


ニュージャージーのThird Railとガソリンスタンド

2022年09月05日 | アメリカ通信
Third Rail? 日本語では「第三軌条」と言われ、鉄道従事者やマニア以外には聞きなれない言葉だが、電車が二本のレール上を走る際、それに平行して設置された三本目の高圧給電レールのことで、ここから電気を取り入れる。鉄道王国日本では、その後、架空電車線方式が主流となったが、東京大阪のみならず、世界中でまだまだ第三軌条方式は健在である。

さて、ロシアのウクライナ侵攻で石油が高騰し、ガスステーションでのガス泥棒が横行している。このガスステーション、アメリカではセルフばかりだと思いがちだが、おっとどっこい、例外がある。

アメリカに来た当初、バケーションでNYへ車で行った時の事。NJに入って初めての給油で驚いた。若いニイチャンがさっと出てきて、どのくらい入れるか?と聞く。初めてNJ方式を知った。セルフ給油禁止州はニュージャージーと部分的禁止のオレゴンだけである。このガスステーションにも歴史がある。

最初のセルフはスェーデンで始まりヨーロッパに拡がった。アメリカに登場したのは1915年だが、当初はガスステーションが閉鎖されている夜間に緊急に給油が必要な事態に備える補助的なものだった。もともとアメリカのガスステーションの役割は、単に給油だけでなく、オイル交換バッテリーチェックなど整備全般のサービスを提供することで成り立っていたのだが、時代とともに整備関係が独立した業態として専門特化していく中で、給油のみでビジネスを存続させる方策として1980年頃よりセルフという形で主流に躍り出た。その後はコンビニショップ併設のスタイルで今日に至っている。

では、何故NJとORはセルフに移行しないのか。セルフに反対の理由を3つ挙げている。①火事の危険②老人身障者に不便③雇用喪失。確かに間違ってはいないが、殆どの州が問題なく運用している中で、これらの主張は時代にそぐわない。識者はもはやこれは理屈ではなく”NJに深く根差した文化である”と称している。その一方で、この問題は政治的問題でもある。この問題を正面切って取り上げると選挙票を失い自滅するという。高圧電流が流れる第三軌条のレールに触れた途端感電死する、という意味だ。NJではこの問題はPolitical Third Rail issueという触れてはいけない問題なのである。