よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

お天道様はお見通し

2006年10月31日 | いろいろ
「お天道様が見ている」という言葉がある。昔、小さい時、よく親から言われたものだ。「おまえ、人様の物を取ったり、変なことしたらだめだよ、お天道様が見てるからね」。今でもこの言葉はヨシ坊の中に生きており、いわば人生道行きの羅針盤である。

しかし、昨今、こんな言葉は死語と化し、今時のお若い人に話しても、「なーに、それ。バカみたい」と言われるのが落ちであろう。死語と化したということは、逆に、世の中それだけオカシクなったということか。

それかどうか知らないが、最近(と言ってもこの20年近く、いやもっと前からかも知れぬ)の不祥事には、目に余るものが多い。何処もかしこもひん曲がっているとしか言いようが無い。教育現場の歪だろう、高校の未履修問題が忽然と出てきた。氷山の一角があっという間に全国区となった。これは、どう考えても「悪いことはするな」と教える学校及び教師がもう一方で悪い見本を平気で教えている図である。どこかが悪いことを始めたら、皆真似をするのである。そこには、良いか悪いかを考える隙間も無さそうである。いじめに因る自殺に対してのしどろもどろの学校。学校組織も役所みたいなものだから、始末に終えない。無茶苦茶の極みである。

世の中、厚顔無恥もはなはだしい。ケジメの付け方を知らない、潔くない、みんなんで渡れば怖くない。皆で渡れば怖くないと思っているから、一網打尽の網の中に掛かって、塀の向こうに行く御仁も出てくる。

物事はシンプルだ。「お天道様が見ている」。この言葉を頼りにすることだ。しかし、今時、親が知らなきゃ、子は知らんわな。先生も教えられんちゅうことだから、どうすりゃいい、各々方。


旅行記ーポルトガルの闘牛

2006年10月27日 | 旅行
ワイフはスペインで闘牛を見たかったのだが、時間が無く、次の訪問地ポルトガルのリスボンに入った。ホテルのパンフレットで何かイベントが無いか見ていたら、ここにも闘牛があるらしい。早速案内で聞いたら、有るという。

スペインの闘牛は映画や本に出ているので馴染みがあるが、ポルトガルのはどうせ亜流だろうとタカをくくっていた。そんなことだからワイフも全く期待せず、の様子。

ところが大違いである。これまた面白いのである。我々が良く知っているスペインのスタイルは、闘牛士が赤い布をこれ見よがしに牛を挑発し、その突進をスルリとかわして喝采を浴びるが、これと全く違うのには驚いた。

まず、牛を殺さない。最初に二人の貴族然とした衣装を纏った騎士が馬に乗って現れ、牛と戦う。クライマックスは7~8人の闘牛士が出てきて、縦一列に並び、牛に向かって一歩ずつ近づき、牛の突進を全員で受け止め、おとなしくさせれば勝利。スペインのように、赤い布などは使わない。さながら、アメフトのタックルとラグビーのスクラムをやっている様である。

どうせ大したことはないからと、ゆっくりビデオを撮る積もりが、あまりの面白さに興奮し、後でビデオをチェックしたら、画面はブレるは、移っているのは地面やらで、肝心の場面は殆ど写っていなかった。今でも家族からのブーイングが止まない。

映画三昧ーNick of Timeとジョニー・デップ

2006年10月24日 | 映画
このところ、毎年のオスカーの常連となった感のあるジョニー・デップ。「カリブ海の海賊」で大いに人気を博しているのであるが、彼の映画でのヨシ坊のイチオシは1995年の作品、「Nick of Time」である。
ジョニー・デップがブレイクしたのは割合最近だから、今なら彼の映画と言うだけで直ぐ封切されるであろうし、そうでなくても、今は、ビデオやDVDがあるので、彼の昔の映画も結構見ている人も多いだろう。

筋書きは、何の変哲も無い普通の市民が、突然娘を誘拐され、その命と引き換えに、女性のカリフォルニア州知事を暗殺する役目を負わされる。刻々と刻まれていく時間(正にNick of Timeである)との戦いは、スリルとサスペンスである。

いかにも普通のサラリーマン然としたジョニー・デップの顔が良い。何処にでもいるような、決して強そうでもない人間が必死になる様がいい。脇も、クリストファー・ウォーケン、チャールス・ダットン、ピーター・ストラウスが固めている。映画のテンポも快調で、なかなか見応えがある。

スターが大スターになった後の映画も良いには違いないが、その一寸手前くらいの所でいい台本に出会い、いい演技をすると、弾みがつく。 「Nick of Time」はそんな作品ではなかったのか、と勝手に思っているのだが。


日帰り海外出張

2006年10月21日 | いろいろ
国内出張と違い、海外出張ともなると、明日からチョッと、というわけにも行かない。キチンと申請書を出し承認を得てから行く。今時どうか知らないが、二昔前までは、海外出張ともなると、高い金を使って、海の外へ行くわけだから、最低でも一週間くらいの仕事内容でないと、許可などしてくれないので、時には無理やり仕事を作ってくっつける。

お隣韓国は、距離的には、大阪からソウルで一時間半くらい。大阪から北海道へ行くより近い。とは言え、当然海外出張であり、毎回、実働月ー金で、日曜出発の土曜帰りのコースメニューが常となった。

ある日、突然韓国の客から電話あり、クレームっぽい。直感で、「顔だけでも直ぐ出す必要あり。行って説明すれば収まる。行かないと後に引きずる」。これが北海道なら、明日クレーム処理に行ってくるで終わるが、韓国だから海外出張。事の内容から、一日、いや数時間の滞在で解決すると踏んだ。一泊してもいいが、経費の無駄と判断。結論は日帰り出張すべし。問題は申請書だ。あたって砕けろの精神。明日にも行く必要有り、の勢いで上司に説明。こういう時、上司の善し悪しで全てが決まる。この時の上司、「日帰りでいいから行け」。よく出来た上司である。

二日後、飛行機に飛び乗り、昼前に当時の金浦空港着、タクシーで相手のオフィスへ。昼飯そこそこで、3時過ぎ迄話し、納得してもらい夕方6時近くのフライトの飛び乗って日帰り海外出張完了。

かくて、会社の海外出張短期記録の保持者となった。以後15年は記録は破られていないことを確認していたが、その後はチェックしていないので、破られたのかどうかは不明である。今やスピードのご時勢だから、破られても不思議ではないが、ひょっとしたら未だ記録保持者かも知れぬ。

旅行記 -灰色の東ベルリン

2006年10月17日 | 旅行
1988年 当時の西ドイツのフランクフルトから空路西ベルリンへ入った。ホテルにチェックインした後、初めての西ベルリンを歩いてみた。西側諸国のどこの大都会にも有る喧騒と雑踏の中に居ると、隣に東ベルリンが存在することなど全く感じない雰囲気である。

翌日、観光バスで、東ベルリンへ入った。東側へ入ると、空気というか、色が一変する。総天然色(カラー)から白黒の映画の世界に逆戻りである。
街には概ね、ソ連製の古い小型乗用車ラダが、くたびれながら走っており、兎に角、静かの一言である。

何と言っても見所は、ベルリンの壁、ブランデンブルグ門、そしてペルガモン博物館。特にペルガモン博物館は、分捕った遺跡を再現して、圧巻である。そして、忘れてならないのが、東西冷戦を舞台としたスパイ小説に必ず出てきた、東西ベルリンの唯一の出入り口である、チェックポイント・チャーリー。

だが、このベルリンの壁が、まさか一年半後に、崩壊しようとは当時は思いも寄らなかった。今ではベルリンは一つとなったが、確か、崩壊後の新年のブランデンブルグ門前での記念コンサートは指揮者は忘れたが、曲はスメタナの「わが祖国」ではなかったか。感慨深いものがある。それにつけても、自由の無い国は悲しい。

イッツ JAZZ-オイゲン・キケロとクラッシック

2006年10月11日 | Jazz
クラッシック音楽となると、白鳥の湖だとか、運命だとかの有名な曲以外に馴染みがないのだが、ルーマニア出身のオイゲン・キケロが、クラッシクのジャズ化で世に送り出した「ロココ・ジャズ」のレコードに出会った時は一種の衝撃というか、新鮮な世界が出現したという感じだった。以来30年手離せなくなってしまった。名盤の一つと思っている。

彼のお陰で、知らなかったクラッシックの旋律のいくつかを知るようになり、Jazzyな雰囲気の中で大いにクラッシックの味を楽しませてもらっている(クラッシックファンにとっては、邪道だと言うだろうが)。バッハのソルフェジオ、スカルラッティのソナタ、バッハの神よあわれみたまえ等、どれをとっても飽きない。中でもバッハのソフトリー・サンライズは、いきなりトッカータとフーガのニ短調で始まり、ジャズのスタンダード「Softly As In a Morning Sunrise」のアレンジへと突入する。なんとも癖になる曲である。

トッカータとフーガのニ短調といえば、フランスのジャック・ルーシェによる有名な「プレイ・バッハ」にも入っている。これは、VOL.5まであるが、一枚目と3枚目に演奏を入れていたように記憶する。

キケロの「Spring Song」というアルバムでは、メンデルスゾーンの「春の歌」を教えてくれる。この中のスメタナの「モルダウ」は唯一クラッシック音楽そのものとして聴いても好きな曲であるが、ジャズィーなこれも大変気に入っている。

女性でジャズを一度聴いてみたいという人に薦めるアルバムがいくつかあるのだが、この「ロココ・ジャズ」は必ずお勧めするひとつである。

事情聴取

2006年10月08日 | いろいろ
その昔、たまたま、自らの命を絶った方の第一発見者となったため、警察から「第一発見者を疑え」とばかりの扱いを受け、朝からの事情聴取は夕方4時ごろまでかかってやっと放免された同僚がいた。その日の一分一秒の行動を克明に、しかも繰り返し言わされただけでなく、前日の行動も詳しく言わされたらしく、閉口したという。その夜は、皆で慰めの酒宴と相成ったのである。同じことを繰り返し言わされると、そのうち、自分が何を言っているのか分からなくなるそうで、冤罪に絡む強要自白が時折問題となるが、彼は有りうる話だと実感していた。

所変わって、20年位前の話となるが、仕事で何度も訪れている上海で初めて西郊賓館というホテルに泊まった。後で分かったことだが、このホテル、日本や世界のVIPが泊まるところらしい。相棒の商社マン下村さんと夜遅いチェックインを済ませその日はお開き。事件は翌朝起こった。

朝食を食べ、一度部屋に戻ってからいざ出陣。タクシーに乗って目指す公司へ行きかけたところで、下村氏、「あれっ?部屋に財布を忘れた。」。急遽逆戻りで、彼は部屋に直行。私は車で待っていた。戻ってきたかと思ったら、受付の人間と何やら真剣な話。聞いたら部屋に財布が無いという。二人で他の場所に置き忘れた可能性を考えたが、昨日はチェックインの時に確かに財布は有り、それから朝まで外には出ていない。どう考えても部屋の中の紛失で、大騒ぎとなり、公安(日本の警察)がすっ飛んで来た。外国人が絡んでおり、中国側にとっても事は重大で、早速本人の事情聴取とあわせ、連れ合いのよし坊の聴取となった。

途端に、昔の同僚の話が甦ってきた。昨晩のチェックイン以降の状況を分単位で説明する羽目となった。我同僚ほど厳しくは無かったのだと思うが、それでも、3回は同じ事を言わされた。どうも、下村氏本人の状況説明と合っているかどうかをチェックしているらしい様子であった。この時、体験したのは、話に時間の要素が入ってきて、しかも、昨日のことから思い出しながら説明し、間隔をを置いて又同じ説明を求められると、こちらの説明もちょっと違ったりする。例えば、最初は「8時10分にチェックインした」と言ったのが、2回目に「8時10分頃チェックインした」と言うと、そこを突かれる。一体どっちなんだ、10分か、10分ごろか、と。こちトラは、そんなのどっちでもいい話だから、やってられないが、それが通らない。

いよいよ、犯人探しが始まった。我々は仕事もあり、放免されたが、大変だったのがホテルの従業員。3日間の滞在期間、全員ホテルの外へは一歩も出られずで、我々が夕方ホテルに帰ってくると、「お前達の為に家にも帰れない」といわんばかりの「白い目」で見られる始末。
結局、犯人も見つからず、ホテル側が金額の弁償ということで決着した。

この「事情聴取」というやつで思い知らされたのは、日頃の記憶がいかに曖昧か。若い頭でもそんな状態だから、年くって、脳がドンドン老化して言った日にゃ、覚えている方が無理というもんだ。こんな目には2度と会いたくない。

参考までに、西郊賓館は、普通のホテルと違い、広大な敷地の中にある別荘のゲストハウスといった感じである。庭園もあり実にゆったりした、当時から贅沢なホテルで、現在もVIPが使っているとのこと。

Those Were The Days

2006年10月04日 | いろいろ
人は、いつの年代になっても、稚拙だが勢いのあった、「我が青春のあの頃」を思い出す。「ビールをやたらがぶ飲みしながら、口泡を飛ばして、しょうも無い事をよう議論したものだ。そんな時があったな」。Those Were The Days.
そんな曲、「Those Were The Days」がある。大学の頃日本でも流行りに流行り、当時フォークでガンガン行っていた森山良子も含め、日本の歌手3~4人が競演していたと思う。それくらい流行ったこの歌、何と言っても本家メアリー・ホプキンのが最高にいい。当時、世界的に大ヒットし、瞬く間にイギリスのみならずアメリカのヒットチャートを駆け上った。

この歌はやはり、原曲というか、英語詩で歌い、聴かないと心に入って来ない感じがする。人生、誰しもが経験する、若ー青ー老と移ろう過程で、特に青から老への時期に歌ったり、聴いたりすると、余計、心臓の奥にギュギュッと来る、のは私だけだろうか。

この歌、時代を超えて耐えられる一曲と思っていたら、去年、あのカントリーの女帝、ドリー・パートンおばさんが、60-70年代の所謂「いい歌」を独断と偏見で選び、「Dolly Parton/Those Were The Days」というニューCDを出しよった。
早速買って聴いたが、ドリーの「Those Were The Days]も別の趣でなかなか良い。他にも、「花は何処へ行った」等、懐かしい曲が詰まっている。


この「Those Were The Days]、日本の御題は「悲しき天使」。う~ん、いいような悪いような。ちょっと違うが、ま、いいか。
いずれにしても、我がドライブには欠かせない一品、いや、一曲である。

映画三昧ーゴジラ

2006年10月01日 | 映画
記憶とは曖昧なもので、小学生の頃見た、これがゴジラの第一作目と思っていたのが、実は第二作目であった。

「ゴジラの逆襲」という作品だ。何故一作目と思い込んでいたのか分からぬが、印象は強烈だった。最後にゴジラが氷の山に埋められてしまうのだが、それは、飛行機に乗った隊員が特攻よろしく、自らを犠牲にして氷の山に突っ込み、氷山の破壊によってゴジラは氷に封じ込められるという筋書きだ。これが痛く印象に残っている。もう一つ記憶違いがあったのは、その隊員を演じていたのは小林桂樹とばかり思っていたが、ネットで調べたら千秋実だった。よく見ると役柄が小林隊員となっているから、当時他の映画でよく出ていた小林桂樹と役の小林と混同していたらしい。

ゴジラは子供達にとっては日本でもアメリカでも人気だが、何年か前のアメリカ版のゴジラは全くいただけなかった。あれではジュラシックパークの延長で、腰高のTレックス(アメリカ人は日本人より足長だからTレックスなのか、とついひねくれた考えが浮かんでしまう)が狭いビルの間をネズミや猫のように俊敏に動き回る。ゴジラは、胴長でのっしのっしと歩かなくちゃ様にならない。

今時CG全盛だから何でも出きるが、それがいけない。大体、CGの多すぎる映画は面白くない。当時は有名な特撮部隊の円谷組がいて、その辺を一手に引き受けていた。CG全盛の今見ると、確かに、なんともチャチなんだが、それが全体に可愛らしくもあってご愛嬌だ。

それにしても、第一作が1954年でファイナルが2004年。よく続いたものだと感心する。