よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

ビン・ラーデン追跡の10年(2)イラク戦争の影 (Peter Bergenの本を読んで)

2012年07月07日 | アメリカ通信
2000年、ブッシュ政権の登場は果たしてアメリカにとって良かったのか。

ブッシュは、政権に就く前から「何が何でもイラクを叩く」と考えていた節がある。だから、きっかけを虎視眈々と狙っていたのかも知れない。そして、9・11が起こった。単なるテロではなく、米国本土が初めて攻撃された「戦争」と位置づけ、その矛先をアルカイダではなく、イラクに向き替えてしまった。しかもイラク討伐のアメリカ軍を「十字軍」と言い放つに及び、イスラム全体を敵に回すことになった。イラク戦争で、「強いアメリカ」を国内外に知らしめた功績は大きいが、失ったものも大きい。イラクに突っ込むかどうかで、議論があり、イラクよりアルカイダーアフガン解決を主張する声はかき消され、イラクが優先順位のトップに躍り出た。大量の軍隊がイラクに投入された為にビン・ラーデン捕捉の為のアフガンへの兵力増強が出来なくなり、トラボラの戦いでは今一息のところでビン・ラーデンを逃がしてしまう。

ここで本書から外れ、イラク戦争との関わりを見たい。9・11により、アメリカは一丸となった。一丸となったのはよいが、アルカイダに向けるべきパワーを次第にイラクに向けていくようになる。これは、ブッシュ・チェイニー・ラムズフェルドのタカ派ラインのもくろみ道理だったに違いない。しかし、2003年火ぶたを切ったイラク戦争の結末は、憎きサダム・フセインを倒したものの、御旗の印であった”大量破壊兵器の存在”は無く、再びCIAの不手際が取りざたされた。ブッシュはやりたくてやったのだから良いとして、この結果で大いに傷ついたのは、恐らく当時の国務長官コリン・パウエルだろう。パウエルは、それまでイラク侵攻には極めて慎重なスタンスであったが、政府内部の巧妙な情報操作により、次第にイラク侵攻やむなしのスタンスに移っていく。そして、大量破壊兵器隠匿の写真(実際はそうではない)を証拠として国連でイラク侵攻の正当性をEndorseせざるを得なくなって行くのである。大量破壊兵器など無く、それが身内からの巧妙な情報操作によるものと判明した時の彼の屈辱感はいかばかりであっただろうか。極めて優秀な軍人として、また黒人初の国務長官としての彼の輝かしい人生の唯一痛恨の汚点だと感じたのではないか。ブッシュが「イラクは怪しい」と見立て、それに沿って取り巻きとCIAが色を付けていった図式ではなかろうか。何やら、日本の特捜が最初に見立て、それに沿って無理やり証拠を捏造し積み上げていく手法に似ている。権力の怖い一面がここにある。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。