モルモン書とは、たまWEB、思ったんですがぁ、招待状ですね。
予言者の道への、或いは予言者への、広義の意味合いで、招待状ということになるかと・・・・
予言者たち、モロナイ、モルモン、ニーファイ、リーハイ、ヤコブ、モーサヤ、ベニヤミン、アビナダイ、アルマ、アミュレク、アンモン、ヒラマン、サムエル等等の、彼らの生き様から学んだりして、其の予言者の道を読者も歩めるようにということだすな・・・・
モルモン書とは、たまWEB、思ったんですがぁ、招待状ですね。
予言者の道への、或いは予言者への、広義の意味合いで、招待状ということになるかと・・・・
予言者たち、モロナイ、モルモン、ニーファイ、リーハイ、ヤコブ、モーサヤ、ベニヤミン、アビナダイ、アルマ、アミュレク、アンモン、ヒラマン、サムエル等等の、彼らの生き様から学んだりして、其の予言者の道を読者も歩めるようにということだすな・・・・
NJさんとこの、コメントに、故ヒュー・ニブレー氏の著作『モルモン経の新研究』、その説明が、昔、教会のテキストに翻訳となってたんだと(おそらく出版は1960年代くらいでしょうか)。で、ご親切に、その部分アップロードしたのが見れます。
“モルモン経の新研究あります。 (オムナイ) 2015-04-15 15:59:38
興味深いですね。
当該箇所以下にスキャンして置いてみました。
スマホアプリスキャンなので荒いですが・
http://www.geocities.jp/waters_of_mormon/BOMsinkenkyu.pdf
「神権時代」という訳語とその背景 モルモン教関連 / 2015-04-09 22:27:10”
“Indian giver”の意味は、白人優越の観点に立ってるわけでしょうから、「 一度与えた ものを取り戻す人,返礼目当てにサービスをする人」となるわけですが、また、以前の記事にあった、『アメリカ先住民の貢献』(ジャック・M・ウェザーフォード 1996 小池祐二訳 パピルス)の原題にもなってるわけですが。
本当のところはね、偉大なことであって、アメリカ先住民には、土地の私有財産の概念がなかった、つまりは、かつての“すべてのものを共有”していたという名残であろうと。
「03 また、彼らはすべてのものを共有したので、物持ちも貧しい者も、束縛された者も自由な者もなく、皆自由であり、天の賜物にあずかる者となった。
」
(第4ニーファイ)
「新エルサレム その2 2013-09-14 13:49:58 | ジョセフ他の予言・示現・夢等
んで、そもそも、このアメリカの民主主義の真の源流は、アメリカ先住民にありだったと、そんな伝統のある先住民であればこそ、ふさわしいのであり希望の星なんだと・・・・
アメリカは、先住民から知恵を借りずには成立しなかったんだと・・・・
米国政府の創設にまつわる、これら民衆の神話にもかかわらず、ヨーロッパからアメリカ大陸に入植した人々は、民主主義についてほとんど知らなかった。・・・・
『アメリカ先住民の貢献』p175~(ジャック・M・ウェザーフォード 1996 小池祐二訳 パピルス)
」
http://woodyoubelieveit.blogspot.jp/2015/04/being-indian-giver-and-law-of.html#comment-form
http://en.wikipedia.org/wiki/Indian_Givers:_How_the_Indians_of_the_Americas_Transformed_the_World
【付記 2015・4・14
こんなのありましたんですね、
“・・・・モルモン経とモルモン書云々は、まず文語訳と文章口語訳の違い、それに甚だ失礼とは存じますが翻訳者の能力の違いがあります。と言うのも英文はそのままだからです。日本語の能力の違いも極めて重要です。
・・・・モルモン書では最初からこれが登場してきます。現和訳は、「私ニ―ファイは善い両親から生まれたので」となっていますが、この英文は慣用句ですから「私ニーファイは良家に生まれたので」と訳さなければなりません。そうすると、この後の話の意味がもっとはっきり解るはずです。即ち、経済的に恵まれていたばかりでなく、先祖から代々優れた信仰と伝統のもとに生まれたと言うことです。それゆえに、ニーファイの兄達はある意味で「おぼっちゃま」「良家のぼんぼん」であったわけです。
慣用句の直訳では旧約にも出て来る「主は生きておられる」がありますが、これを正しく和訳するならば「命にかけて・・・」です。ですから、ニーファイがゾーラムに言った言葉は「私は命に懸けて誓う。もし私の言うことを聞くならお前の命を助けてやる・・・」です。
さて、古語の代表では、D&C84などにあるmagnifying がありますが、正しく和訳するならば「礼賛する」とか「尊ぶ」が順当です。
”
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=204651&id=44083526
】
“わたしニーファイは善い両親から生まれたので、父が学んだすべてのことの中から幾らかの教えを受けた”
モルモン書読まれてれば、これが書かれてるところ、たいてい分かると思いますが、んでね、多言語を操ってた、教会擁護の屈指の聖書(モルモン書も含め)学者さん、ヒュー・ニブレー(1910-2005)によれば、
当時の古代ユダヤ社会で、この“善い両親から生まれた”の言外のというか、通常の意味は、裕福な階級・家の出なんだよといった意味になるんだそうな。敬虔な、信心深いとか、そういう意味ではないということです。で、次の“いくらか教えを受けた”とありますが、これも、家で教育を受けたというのは、教育を受けられるというのは要するにそれだけリッチな家でしたといった意味に、取られていたということですわぁぁ。
英語のちら読みですが、(英文も単に投稿ポストの一行だけですけど)たまWEB、初めてですがな、そんな意味があったなんて、そこで、NJさんに聞いてみたいですね、故ニブレー教授の講義を受けた稀少な日本の教会員ということで・・・・
http://search.yahoo.co.jp/search?p=Hugh+W.+Nibley&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt
ここに、質問してみました:
「神権時代」という訳語とその背景 モルモン教関連 / 2015-04-09 22:27:10
前回 その3 2014-05-27 07:57:34 | モルモン書、アメリカ先住民
モルモン書にある、ヤコブの家の残りの者が、森の獣の中の獅子という予言は、旧約聖書では、ミカ書(5:8)の他に、エレミヤ書にもあるんではというのが、たまWEBも理解できるので、メモっておきます。
「4:7 ししはその森から出てのぼり、国々を滅ぼす者は進んできた。彼はあなたの国を荒そうとして、すでにその所から出てきた。あなたの町々は滅ぼされて、住む者もなくなる。
」(エレミヤ書)
獅子
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%BB%E2%BB%D2
ヤコブの家の残りの者の原義は、モルモン書でしかわからんとですよね、そして現在、アメリカ先住民族になるんですよと・・・・
「23 そこでモロナイは、彼らに言った。「見よ、わたしたちはヤコブの子孫の残りの者である。また、わたしたちは兄弟に衣をずたずたに裂かれた、ヨセフの子孫の残りの者である。見よ、わたしたちは神の戒めを守るのを忘れないようにしよう。さもなければ、わたしたちの衣は同胞によって裂かれ、わたしたちは牢に入れられるであろう。あるいは売られたり、殺されたりするであろう。
24 わたしたちはヨセフの残りの者として自由を保とう。ヤコブが死ぬ前に語った言葉を覚えておこう。見よ、ヤコブはヨセフの衣の切れ端が保存されており、朽ちていないのを見て言った。『息子の衣のこの切れ端が保存されてきたように、息子の子孫の一部の者は神の御手によって守られ、神御自身のみもとに受け入れられるであろう。しかし、ヨセフの子孫の残りの者は、彼の衣のほかの部分のように滅びてしまう。
25 さて見よ、これはわたしにとって悲しいことだが、息子の子孫の一部の者が神のみもとに受け入れられるので、わたしはその息子のために喜ぶ。』
」(アルマ書46章)
英語のビデオでも見ますかぁぁ(1時間7分もあるずらよ)・・・・教会設立から185年にもなるんですね、んぎゃ、アメリカ白人主流のモルモン教徒とアメリカ先住民のギャップは、埋まってないなぁみたいな印象を持った感じです、このビデオ見て・・・・
趣味はフリークライミングだったのかな、ジェイク・ヒルトン氏による発表だすな・・・・この程度の内容が、185年も経って、教会員向けなんですよね、アメリカ・モルモン社会でこうなんだから、ましてや、アメリカでいかに先住民は、無視されてるかということでしょうかぁぁ・・・・
「Jake Hilton ? Native Americans are Descendants of the Jews Mormon Evidence 2013/04/07 に公開
」
https://www.youtube.com/watch?v=IGOdp5zVxxY
https://www.youtube.com/results?search_query=jake+hilton
ということは、日本とか諸外国のモルモンは、推して知るべしみたいな・・・・
「‘ウィリアム・ジェックスが、1873年のいつだったか、タビオナという名のインディアン(アメリカ先住民)・ガイド(先導人)から聞いた話。彼を含めた何人かのインディアン酋長たちが、ワシントンDCに行ってビッグチーフ(合衆国大統領)や閣僚たちに会いに行った時、部屋に、白い衣装をまとった3人の見目うるわしい男性たちが入ってきたんだが、白人たちには、彼らが全く見えず、気づいていなかったが、インディアンたちは皆、彼ら天からの使者らを目で見、彼らはインディアンたちと友人であるとはっきりわかったという’。 ウィリアム・ジェックス 『パイオニア』p46~
」
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22william+jex%22++pioneer&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
うぅぅんん、白人たちの方は、友人とは確信しなかったんでしょうかねぇ・・・・いつのことか?これかな?
“1873年、チーフ・ドゥルナイフとチーフ・リトルウルフはワシントンDCに出向いて、グラント大統領に条約改定を直訴したが、主張は認められなかった。 ‘北米先住民の『居留地』解釈を支える集合的記憶’ 『立教アメリカン・スタディーズ 』、2011
”
https://www.rikkyo.ac.jp/research/laboratory/IAS/ras/33/kawaura.pdf
「ペイソン村の地域に、開拓者が初めて入った頃の話。ある人が、ドイツで伝道するよう召されました。残された妻は、ペイソン村で他から隔絶しているような農地の一軒家で、家事のやりくりをしていました。ある冬の日の朝のことです。背の高い、年取ったふうの紳士がドアをノックしていました。人口がまばらな地域に住んでいたせいか、この見知らぬ来訪者にほとんど驚くこともなく、彼女は彼を家の中に招き入れました。彼は遠くからの旅の途中で、大変お腹をすかしていると言ったのでした。彼女の家では食べ物はけっして豊かなほうではなく、特に冬場で以前にも増して事欠いていました。しかしながら、この善良なる女性は、パンの一塊を割って半分を、一種独特の昔風の模様の入った布でくるみ、異郷の見ず知らずの人に差し出したのでした。すると老紳士は礼を言って立ち去ったのです。彼女は後からドアまで行って外を見てみると、雪の上に足跡はなく彼の姿はありませんでした。これはクリスマスの前日に起こった奇妙な出来事として、なぜかしらこの若い妻の記憶にしっかりと残ったのでした。
それから数年が経ち、夫が帰還しての翌日、一緒に荷物を解き中身を取り出していましたら、トランクの片隅にきちんとたたまれた、あの見知らぬ人にあげたパンを包んだ布に彼女の目は留まったのでした。以下の話を夫から彼女は聞きました。
“あれはクリスマスの前日で・・・・住居費などの費用が未払いのまま期限は何日も過ぎ、一文無しの状態で見知らぬ町で頼れる人もなくたった一人でした。食べ物が無くなって二日経った時のことです。通りで前を見上げると、向こうから背の高い老紳士がやって来ました。道を譲ろうと脇によけた時、彼は私の腕を取って、ポケットからその布で包んだ物を取り出し私の手に押しやったのでした。それから、‘あそこの郵便局に行きなさい。今、あなたがお金を取り出せるように預けられている’と言うや否や、彼は背を向け、そばの角を曲がったところで姿が見えなくなったのでした。・・・・包みを開けると、中身は出来立てのパンの一塊の半分でした。それから郵便局に行ってみると、彼が言ったとおりで、お金を手に入れることができました。”
匿名 手書き原稿 WPAプロジェクト ユタ州歴史協会所蔵
」
こんな感じですかぁぁ、本当の話だったらいいんだが、おそらくはフィクション、創作という気がしないでもないなぁ、匿名だし、まぁ、時差は9時間、同日はOKかぁぁ、うぅぅんん、どうなのかぁぁ??・・・・信仰を鼓舞するためにぃぃ作ったとしたら、話にならんがなぁもし・・・・
WPAプロジェクト・・・・公共事業促進局(1935-43)での一環
“公共事業促進局 失業作家・研究者を動員して数々の芸術教育活動や芸術遺産調査活動、各州の歴史調査活動、元黒人奴隷などさまざまなアメリカ人の生活史の聞き取り作業が行われた。 WPAの手がけた計画の90%ほどは、未熟練労働者などブルーワーカーの雇用のための計画だった。その他、WPAは失業した音楽家、美術家、俳優、研究者、小説家などを雇い、芸術や出版などの分野が断絶するのを防いだ。
”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%85%B1%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E4%BF%83%E9%80%B2%E5%B1%80
ペイソン市(ユタ州ユタ郡)とは・・・・BYUのあるプロボ市から南14マイル/22km、車で20分。
1850年、入植開始。
1853 ペイソン市が新設される。
1860 人口830人
1870 人口1,436人
2012 推定人口18,938人 面積22.5km2 (東京都港区は、20.34km2、人口218,609人 )
http://www.distance-cities.com/distance-provo-ut-to-payson-ut
http://en.wikipedia.org/wiki/Payson,_Utah
以上の二つは、『The Three Nephites』by Ogden Kraut より(p148、p114)
http://search.yahoo.co.jp/search?p=Three+Nephites+disciples&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&x=wrt
エゼキエル37章の、ユダの木、エフライムの木が、指し示すところは、一般クリスチャン、ユダヤ教徒の解説では、モルモン教のいうところの、聖書とモルモン書であるといったことを退け、将来、イスラエルの北の十支族が帰還しユダヤ部族と一緒に合わさって一つの国になること、或いは、キリスト教徒とユダヤ教徒が一つになるといった通説の模様であります。
ネタ元は、NJさんの記事っす。
「エゼキエル37:16の二本の木 --- その解釈 聖書 / 2014-12-24 23:41:29」
「37:15 主の言葉がわたしに臨んだ、
37:16 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。
37:17 あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。
37:18 あなたの民の人々があなたに向かって、『これはなんのことであるか、われわれに示してくれないか』と言う時は、
37:19 これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。
37:20 あなたが文字を書いた木が、彼らの目の前で、あなたの手にあるとき、
37:21 あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、
37:22 その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。
・・・・
」 (エゼキエル書)
「3:12 そのために、あなたの腰から出た者は書き記す。またユダの腰から出た者も書き記す。そして、あなたの腰から出た者が書き記すものと、ユダの腰から出た者が書き記すものは一つに合わされて、偽りの教義を打ち破り、争いを鎮め、あなたの腰から出た者の中に平和を確立し、また末日に先祖についての知識を彼らに与え、そしてまた、わたしの聖約についても知らせる。」主はそう言われる。
」
(ニーファイ第2書 ‘あなた’== エジプトのヨセフ、彼の子らは、エフライムとマナセ)
「27:5 ・・・・またそのときに、わたしの完全な永遠の福音を載せた『モルモン書』を明らかにするために、わたしがあなたに遣わしたモロナイ、すなわちわたしがエフライムの木の記録の鍵をゆだねたモロナイとともに、
」
(教義と聖約)
んでね、たまWEB的には、‘あなたが文字を書いた木’(37:20)他に注目しまして、‘書いた’、‘書き・書け’ということで、何らかの記録になりましょうと。そして、この‘あなた’というのは一般的には‘予言者’であると解せますから、神から賜った言葉を話し聞かせるのが使命となり、さらには、予言者が書き記しなさいと命じられたのは、その賜った神の言葉を記録しなさいとなるわけでして、それは後々聖文、聖典となるわけなんで御座候といった理解ですかねぇぇ。
この観点ですと、時系列的には、37:26には、聖所・神殿が示されてますし、続く38章は、ゴグ、マゴグが出てきますので、末日の終わりのほうの予言となりますかぁ、としますと、木の話は、それら以前のことになりますかぁ。37章の初めの骨の予言は、両義性で見ますと、文字通りの復活の他に、離散したイスラエルの集合をも示し、36章もそういった集合の話で御座いますと・・・・ということで、木の話が、聖典のこととすれば、既に起こっており、かつ継続、現在進行形と理解できるわけです。(モルモン書が受け入れられ、改宗者が生まれるといった意味合い)
予言者ジョセフは、1843年の話として、モルモン書がエフライムの手によるヨセフの木というのはどうして? リーハイは、マナセの子孫とモルモン書に記されてるじゃないですかぁ?の質問に、リーハイの子らの配偶者は、イシマエル家の子らで、彼らがエフライムの血筋だよと、リーハイの子孫から多くの国民、多くの国々の民が生じましたよと、そして、イシマエル家およびリーハイの先祖の詳しい系譜が、マーティン・ハリス氏によって失われた116ページの原稿にはあったんですよと、語ったということだ。
(「03 そして、アミナダイはニーファイの子孫であり、ニーファイはエルサレムの地から来たリーハイの子、リーハイはマナセの子孫、マナセは兄たちの手によってエジプトに売られたヨセフの子である。
」(アルマ書10章))
http://en.fairmormon.org/Book_of_Mormon/Stick_of_Ephraim/Franklin_D._Richards_statement
http://search.yahoo.co.jp/search?p=ezekiel+sticks+%22joseph+smith%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
たまWEB的には、それに何といっても、ジョセフから聞いたという、失われた十支族は、地球から切り離された別の星・天体におり、その星が、将来、地球に向かってやって来て合体するといった話があるわけで・・・・あまりの桁外れの話なもんで・・・・
追加 2014-12-25 旧モルモンの泉掲示板投稿より ---------
「Re(4):CHOppItO訳・・・・・パート26 。WEB---- - 2010/02/16 22:25
再組織LDS教会、機関紙SAINTS HERALD紙(1879年10月1日)は、エマ・スミス(1804-79・4・30)の、布で覆われた金版を手で触れた経験を、紹介してる・・・
”厚い紙のように、しなる(曲げる)ことができた感じだった。本の端っこを、親指でめくるように、金版の端をめくってみたらと、カラカラと金属音がした”
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22and+would+rustle+with+a+metallic+sound%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
」 ---------------------------------
“金版の大きさは幅15センチメートル、長さ20センチメートル、厚15センチメートルのルーズリーフのような構造で一方を3つの輪でとじてあった。 モルモン書”
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%9B%B8
確かに、その大きさで、純金だったら100キログラム超えて、持てないわけですが。
ジョセフの日記では、“金のように見える版”( "appearance of gold")と言ってますかぁぁ・・・・
ジョセフの父は、布で覆われたのを持ち上げてみたんでしょうか、重さは30パウンド(約15キロ)くらいと言ったようだ。
んで、金のように見える合金技術に、アメリカ先住民の間に、インカ帝国前からの話だけれど、トゥンバガというのがあるんですよね。
“【トゥンバガ】 ヨーロッパの技術が伝わるよりも前から、プレ・インカ時代の伝統を受け継いで金やトゥンバガ(金と銀・銅あるいは錫の合金)を精錬する技術を持っていた(いわゆるインカ帝国の金製品は実は合金製であり、そのためヨーロッパ人の侵略により、その大部分が溶かされて純金の延べ板にされてしまった。
”
http://mizukii.blog.shinobi.jp/%E6%B5%B7/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%AC
これだと、8~12カラットの金となって、その推定重量は、約50~80パウンドになるらしい。まぁ、それでも、たまWEBのか細い腕では、重くて持ち運べないかぁぁ・・・・
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=tumbaga
http://search.yahoo.co.jp/search?p=tumbaga&aq=wrt
http://search.yahoo.co.jp/search?p=tumbaga+%22book+of+mormon%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&x=wrt
2015年の教会のテキストは、『歴代管長の教え―エズラ ・ タフト ・ ベンソン』ですかぁぁ。
たまWEBの記憶に残ってたうちのひとつに、「モルモン経で洪水のごとく地を満たす」と題した、ベンソン管長の大会説教(1988・10・1)が、ありますかぁぁ。
「・・・・
モルモン経について啓発的なレッスンや話をしたり, 本や記事を書いてくださった数多く
の方々にも賞賛の意を表すものです。
・・・・
最も大切なことですが,毎日モルモン経を読み,個人的に,また家族として生活を改め,
器の内部を聖めている数多くの忠実な聖徒をほめたたえたいと思います。モルモン経は,
「洪水の如く地をあらい去り〔主の〕選民を集め」るため(モーセ7:62)に神によって
備えられた道具です。私たちは人々に神の教えを説き,教え,伝道するための中核として,
この神聖な書物をもっと活用しなければなりません。
・・・・
ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる」(「教会歴史」4:461)書物であり,
私たちは毎日この書物を読まなければなりません。
・・・・
第一に,モルモン経には人々をキリストとその教会に導く力があるというメッセージです。
・・・・
地をモルモン経で洪水のごとく満たすべき業があまりにも遅れすぎています。
エレクトロニクス機器が発達し,印刷物が氾濫しているこの時代に,何か画期的な
方法でモルモン経を広めないとしたら, 私たちは神にその責任を問われます。
・・・・
私たちはモルモン経が持つ力,またモルモン経が今後果たすべき神聖な役割,モルモン経
をどこまで広めなければならないかということをほとんど理解していません。
・・・・
『モルモン経はすべての人に神の思い,みこころ,み声を示すものなのか』,現代人が
考えるべき事柄として, これほど重要なものはほかにない。そして私たちは『確かに
そのとおりである』と証する。」
・・・・
末日聖徒の皆さん, 私たちにはごく短い時間の内に果たすべき大いなる業があります。
私たちはモルモン経で地を洪水のように満たさなければなりません。そして, モルモン経
を軽々しく扱ったために招いた神ののろいからみずからを解き放たなければなりません。
(教義と聖約84:54-58参照)
・・・・
教会員の皆さん, どうかモルモン経寄贈プログラムに積極的に参画してください。
皆さんの代わりとして, モルモン経を伝道のために送り出してください。私は
ベンソン姉妹と共に長年それを続けてきました。これからも続けていくつもりです。
私たちは, 毎月何百万冊ものモルモン経を宣教師に送るようにしなければなりません。
・・・・
伝道の指導者は宣教師たちに, 求道者にモルモン経を読み, モルモン経について祈る
ようチャレンジするにはどうしたらよいかを教えてください。宣教師は,人々が
モルモン経に関心をもって,それを学ぶように導くために,モルモン経そのものをどう
用いたらよいかを知る必要があります。また,人生の重要な問題に対してどのように
答えてくれるかを示さなくてはなりません。
・・・・
私たちは, イエス・キリストについてのもうひとつの証,すなわちモルモン経の教えを
自分自身の生活に取り入れるにはどうしたらよいかを考えなければなりません。また,
モルモン経の教えは世の人々にとってぜひとも必要なものですが,彼らにモルモン経を
伝えるにはどうしたらよいかについても考えなければなりません。これらの事柄に
ついて祈りの気持ちをもって真剣に考えるよう,すべての人にチャレンジします。
・・・・
私はモルモン経の教えがもたらす霊的な力によって,家庭が霊的に目覚め,クラスが
生き生きとした場となり, 説教壇からすばらしい話が語られる有様を心に思い描いて
います。また, ホームティーチャーや訪問教師,ワード部,支部の役員,ステーキ部,
伝道部の指導者が,地上で最も正確な書物であるモルモン経を用いて, 人々に勧告や
助言を与える姿を心に描いています。
・・・・
神がなぜ私をこの年まで生き長らえさせてこられたのか, 完全にはわかりません。
しかし, 主が今私に, 何らかの方法を講じて必ずやモルモン経を世に広めなければ
ならないという啓示を下しておられることは確かな事実です。この責任を遂行する
ために皆さんの力が必要とされています。
・・・・
」
(聖徒の道/1989年2月号 p4~)
http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/Liahona/1989/1989-02_S.pdf
うぅぅんん、たまWEB的には、一般に、モルモン書をどう扱ったか、裁かれるわけですが、毎日、朝ですかぁ、しっかり読んで、霊感されたものが自身にとどまる様にならないとあかんということですかぁぁ・・・・最近、一日8ページくらい読むようにしてるんで御座候。
人物: カルロス・デ・シグエンサ・イ・ゴンゴラ( Carlos de Siguenza y Gongora メキシコ生まれ 1645-1700 クリオーリョ/新大陸生まれの白人 17世紀メキシコの大学者・知的巨人 メキシコ先住民の歴史・言語にも関心を持ち、多くの記録類を収集 )
彼は、メキシコ(当時、新スペイン)の原住民の起源は、ノアの孫のミツライムの子であるところのナフトの子孫であって、言語の混乱の後にエジプトからやって来た人たちと結論付けたんだそうな。(当時のドイツ人碩学、イエズス会司祭アタナシウス・キルヒャー(1601-1680)の影響も。彼は、世界中の文化はエジプト起源との説)
その資料となる先住民の記録は定かではありませんが、おそらく、後にカトリック司祭らによって異教であり、征服対象の民として、文化破壊、歴史抹消、焚書されてしまったのでしょうと。
「10:1 ノアの子セム、ハム、ヤペテの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに子が生れた。
10:6 ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった。
10:13 ミツライムからルデ族、アナミ族、レハビ族、ナフト族、
10:14 パテロス族、カスル族、カフトリ族が出た。カフトリ族からペリシテ族が出た。
」
(創世記10章)
んでですね、ナフト族は、欽定訳で“Naphtuhim”ですが、"nephet”の複数形にあたり、 "nephet"の意味が、ミツバチの巣、したたり落ちる蜂蜜ということで、まさに、モルモン書のエテルの記録に通じますがなぁぁという話・・・・
「03 また、彼らはデゼレトも運んだ。デゼレトとは、蜜蜂という意味である。このようにして、彼らは幾つかの蜂の群れを運び、また地の面にあるあらゆるもの、あらゆる種も携えて行った。
」
(エテル書)
http://inthecavityofarock.blogspot.jp/2011/08/who-were-jaredites.html
http://search.yahoo.co.jp/search?p=nephet+honeycomb&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=sb-kingbrw1&x=wrt
「King James Bible Strong's Hebrew Dictionary 5301 (naphach) to 5400 (nasaq)
(5317) nopheth [no'-feth]
from 'nuwph' (5130) in the sense of shaking to pieces; a dripping i.e. of honey (from the comb):--honeycomb.
」
http://www.sacrednamebible.com/kjvstrongs/STRHEB53.htm
「 "he boldly pronounced that the Mexican Indians were the descendants of the Naphtuhim, the son of Misraim, founder and ruler of Egypt," and further asserted that Naphtuhim was a variation on the name Neptune, the ruler of Atlantis, populated by Egyptian colonists.[36] In advocating an Egyptian origin for the ancient Mexicans・・・・」
http://en.wikipedia.org/wiki/Carlos_de_Sig%C3%BCenza_y_G%C3%B3ngora
「アタナシウス・キルヒャー アタナシウスは当時のヨーロッパでもっとも優れた古代エジプト研究者であった。 アタナシウス・キルヒャーはヨーロッパにおける中国研究の第一人者でもある。1629年には長上に宣教師として中国に行きたいという希望を出している。 著作の中でアタナシウスは、表意文字はヒエログリフに劣ると考えている。なぜなら彼が漢字は特定の意味しか持たないが、ヒエログリフはさまざまな複雑な思想を表現していると考えたからである。さらにマヤやアステカの象形文字は一つの意味しかもたないため、漢字よりも劣るとしている。ウンベルト・エーコはこのようなアタナシウスの考え方を当時のヨーロッパ人の中国人観およびアメリカの先住民観を反映しているとみた。つまり中国人というのはアメリカの先住民のように征服してもかまわない野蛮人ではなく、ヨーロッパ文明の本流から離れてしまってはいるが、依然として高度な文明を持ち、ヨーロッパへと回帰する可能性のある民族だという考え方である。
」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%BC
間違えとったとです。黙示録には2箇所言及しとったですかぁぁ・・・・
「モルモン書で、新約聖書の最後の書、ヨハネの黙示録についてふれてるのは一箇所だけですかぁぁ・・・・黙示録の解釈で真相に迫って意義を持たしめたい、たまWEBとしては、黙示録とモルモン書を関連付け得る事柄は見ておくのは必須っす。
・・・・27 わたしニーファイは、天使の言葉により、この小羊の使徒の名がヨハネであることを聞き、ここに証する。 ・・・・
」
黙示録とモルモン書 2014-09-01 21:44:43 | モルモン書、アメリカ先住民
“15 見よ、おお、イスラエルの家よ、あなたがたを恐ろしい邪悪な状態、心のかたくなな状態、思いをくらまされた状態にとどめさせるあの不信仰の幕をあなたがたが裂くとき、世の初めからあなたがたに対して隠されてきた大いなる驚くべきことが明らかにされるであろう。まことに、打ち砕かれた心と悔いる霊をもってわたしの名によって父に呼び求めるとき、あなたがたは、父があなたがたの先祖に立てられた聖約をすでに思い出されたことを知るであろう。
16 その後、わたしが僕ヨハネに書き記させたわたしの啓示は、すべての民の目に明らかにされるであろう。覚えておきなさい。あなたがたはこれらのことを目にするとき、その啓示が実際に明らかにされる時の近いことが分かるであろう。
”
(エテル4章)
書いてますね、御ひと方・・・・
英語だと、
いくつかぁありますかぁぁ・・・・
時が来れば、示されるということなんでしょうけど、こうしてブログ書きであぁでもない、こうでもないと求めれば、それなりに理解が深まるのかもですよね・・・・
しかしあれでんな、御子イエスは、十字架に上げられ殺され、予言者ジョセフは、カーセージ監獄で殺害され、モルモン書の最後の予言者モロナイは殺され、彼の父予言者モルモンも殺され、こうして主イエスへの証人として死をも厭わず守り抜き、彼らの手によってモルモン書があるわけで、そういったモルモン書が基盤となって福音が回復されて、天の父なる神、その御子である救い主/贖い主イエスそして聖霊といった信仰持ってるとされるモルモン教徒はエライもんだなぁぁって・・・・
モルモン書のヤレドの民がハムの子孫説にも触れてるビデオです。研究者ウェイン・N・メイという御仁の話。ウィスコンシン州出身、改宗者。
たまWEBの聞き取り能力は低いのであれですが、日本語字幕でもあれば面白いんだろうけどなぁぁ・・・・誰かぁぁ・・・・
「Wayne May — The Jaredites... Who Are They? 1:17:27 MormonEvidence 2014/02/27」
https://www.youtube.com/watch?v=bJOY4OtCj7Y&index=20&list=LLyg1JcY6oTw0YzQNW59CdlA
http://search.yahoo.co.jp/search?p=mormon+wayne+may&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt
”ヘブライ人キリスト―福音書はいかにして成立したか – 2013/10/1 クロード・ トレスモンタン(1925-1997) (著), 水声社, Claude Tresmontant (原著), 訳者 道躰章弘”
「福音書はヘブライ語で書かれた! 数世紀来、ギリシャ語で書かれた文書であるとの説が自明視されてきた新約聖書。しかし、福音書のテクストを厳密に読みほどくうちに、ヘブライ語文書にしか見られないはずの表現が散見されはじめた……。 フランス語、ギリシャ語、ヘブライ語を往還しながら、新約聖書の内奥に隠された真の姿「ヘブライ語文書」へと肉迫する、キリスト教研究の新たな境地を切り拓く画期的論考。
水声社」
共観福音書は、最初ギリシア語で書かれたという定説は、誤りとする学究書っすな。やはり改宗ユダヤ人が、まずヘブル語で書いてて、それをギリシア語に訳し書いてたんだと。その逆なんかじゃないと。
「共観福音書の問題 現代の聖書学者たちが広く認めているのは、四つの福音書が最初から(当時の東方世界の共通語だった)ギリシア語で書かれたということである。古代のマタイ福音書注解書のあるものが、「マタイ福音書にはアラム語原版があり、そこからギリシア語に訳された」という記述をしたことから、古代の教父たちはマタイ福音書をヘブライ人のための福音書と呼び、マルコ福音書を参照しながらギリシア語に翻訳されたため、二つの福音書には並行箇所が現れたという説を示した。しかし、アラム語のマタイ福音書は(後代にギリシア語から訳されたもの以外は)いまだに発見されていない。 」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E8%A6%B3%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C
これはモルモン書の一節にも通じるもので・・・・しかし、この初版(仏語)1983ということだ、約30年を経て初日本語訳ということだっす。いかに欧米学者世界では、ギリシア文化優越思想みたいなので、30年どころか300年以上も牛耳ってきたと、それが世界ということですかぁぁ・・・・“ブラック・アテナ”というの思い出したずらな・・・・上の方は、クリスチャンもフリーメイソンでさぁ、しっかとコントロールされちゃってなぁ・・・・
ブラック・アテナ
http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%A5%D6%A5%E9%A5%C3%A5%AF%A1%A6%A5%A2%A5%C6%A5%CA
「03 そして、わたしの言葉が響き渡るので、多くの異邦人は、『聖書か、聖書か。我々はすでに聖書を持っている。これ以外に聖書があるはずがない』と言う。」
04 しかし、主なる神はこう言われる。「愚かな者よ、彼らは聖書を持つが、それは昔わたしが聖約を交わした民、ユダヤ人から出るものである。彼らはユダヤ人から得る聖書について、ユダヤ人にどのように感謝しているか。まことに、異邦人はどういうつもりか。彼らはユダヤ人が負った労苦と労力、骨折り、また自分たちに救いを得させることになったユダヤ人の、わたしに対する努力を思い起こしているか。
05 おお、異邦人よ、あなたがたは、昔わたしが聖約を交わした民、ユダヤ人を覚えていたか。いや、逆にあなたがたは彼らをのろい、憎み、彼らを元の状態に戻そうとはしなかった。しかし見よ、主なるわたしはわたしの民を忘れたことはないので、これらすべてのことの責めをあなたがた自身の頭に求める。
06 『聖書か。我々はすでに聖書を持っている。だから、ほかに聖書は必要ない』と言う者よ、あなたがたは愚か者である。
」
(ニーファイ第2書)
やっぱ、異邦人クリスチャン社会は、杭を立ててしまうということでしょうか??
「エピローグ
ドイツ語版、英語版、フランス語版等の新約聖書の序文では、今日一般に以下の如き見解が開陳される。福音書の成立はおそく、一世紀末である。福音書の内容は文書化される前に説教の中で詳細に述べられ、口伝が先行して、文書化は遅れた、最古の福音書は最も簡略なマルコであり、マタイの成立は85-90年頃で、ヨハネ福音書は2世紀もしくは1世紀末である、等々。
読者は上記の説をすべて鵜呑みにし、何の疑念も抱かなかった。学者の記述を信じた。が、ことを仔細に検証し、様々な難問に逢着した。まったく辻褄の合わぬ話に気づいた。遂に上記の仮説の建造物は崩壊した。・・・・最古の福音書はマタイとヨハネである。ルカとマルコは後発の福音書である。四福音書並びに新約諸書中の数書は、ヘブライ語からのギリシア語訳である。・・・・
訳者後記
本書はクロード・トレスモンタン著『ヘブライ人キリスト―福音書の言語と時代』(Le Christ Hébreu : la langue et l'âge des Evangiles)の全訳である。同書の初版は1983年であるが、底本には1994年の第3版を用いた。各版の間に本文の異同はない。・・・・
トレスモンタンは何故に本書を著したのか。何故に四福音書の成立年代に関する通説と対決したのか。無論、通説が謬説だからである。・・・・福音書は一次資料である。ルポルタージュである。文学的潤色を交えた後世の創作ではない。神話ではない。キリストは多数の観察者に取り巻かれていた。敢えて己を人目に晒した。公然と生き、公然と死に、公然と復活した。・・・・すなわち「キリスト」は客観的事実を構成する。トレスモンタンは福音書の早期成立説を立て、これを科学的に証明し、根拠無き諸前提を盾に取る晩期成立説と創作説を破砕したのである・・・・
」
(同著 p339、p349~)
「【ヘブライ人キリスト(クロード・トレスモンタン/道躰章弘訳)】の勧め 」2014年1月29日水曜日
現代の新約聖書学の圧倒的な通説によれば、福音書の各文書は紀元65年~120年に成立したものとされています。特にマタイ福音書は、先行するマルコ福音書(65~70年に成立)とQ資料(文書資料としては発見されていない仮説上の資料)を元にして85年~100年ごろにギリシャ語で書かれたとされています。
しかし、古代の教会教父たちの一致した証言によれば、それ以前にヘブライ語によって書かれたマタイ福音書が存在していました。
本書は、ヘブライ語旧約聖書とその古代ギリシャ語訳である七十人訳聖書を比較対照して七十人が用いたヘブライ語=ギリシャ語辞書を再構成し、さらにそれを用いて現存のギリシャ語福音書がヘブライ語から翻訳されたものであることを極めて高い説得力をもって示した、画期的な著作です。
著者トレスモンタンはソルボンヌの中世哲学教授ですが、学生時代にパリ高等研究所でヘブライ語と聖書釈義を学んでおり、素人の適当な思いつきを書き並べているわけではありません。
読者は主がヘブライ語で語られ、まさか弟子達がそれをギリシャ語で書き留めて、それが新約聖書の原典になったとでも本気で思いますか?
以上極めて疑いのない、全く当り前のことなのですが、この本書の中で著者も何度か触れている様に、キリスト教会には本能的にヘブル語を嫌う風潮があります。
」
http://yahshua-no-deshi.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html
モルモン書で、新約聖書の最後の書、ヨハネの黙示録についてふれてるのは一箇所だけですかぁぁ・・・・黙示録の解釈で真相に迫って意義を持たしめたい、たまWEBとしては、黙示録とモルモン書を関連付け得る事柄は見ておくのは必須っす。
「18 そこで、天使はわたしに語って、「見なさい」と言った。
19 眺めると、白い衣を着ている一人の男の人が見えた。
20 すると天使はわたしに言った。「小羊の十二使徒の一人を見なさい。
21 見よ、彼は、これらのことの残りの部分と、また今までにあった多くのことを見て書き記す。
22 また、世の終わりについても書き記す。
23 彼が書き記すことは正しく真実である。そして見よ、それらのことは、あなたがユダヤ人の口から出るのを見た書物の中に書き記される。そして、それらがユダヤ人の口から出て来た当時、すなわちその書物がユダヤ人の口から出て来た当時は、書き記されたことは分かりやすくて純粋であり、また大変貴くて、すべての人に理解しやすいものであった。
24 見よ、この小羊の使徒の書き記すことの多くを、あなたは見た。そして見よ、これからあなたはその残りの部分を見るであろう。
25 しかし、これからあなたが見ることは書き留めてはならない。主なる神が、それらのことを書き記すように、あの神の小羊の使徒を任じられたからである。
26 神はまた、かつてこの世に生きたほかの人々にも、すべてのことを示され、彼らはそれらのことを書き記した。そしてそれらの記録は、主御自身がふさわしいと思われるときに、小羊の内にある真理によって純粋なままでイスラエルの家に伝わるように、今は封じられている。」
27 わたしニーファイは、天使の言葉により、この小羊の使徒の名がヨハネであることを聞き、ここに証する。
28 そして見よ、わたしニーファイは、見聞きしたことの残りの部分を書き記すことを禁じられているので、今まで書き記したことで満足するが、これまで書き記したことは、わたしが見たことの一部分にすぎない。
」
(第1ニーファイ書14章)
末日から再降臨、福千年に向けての示現を予言者ニーファイは見せられたんだけれど、彼が書き留めたことは途中までということになるのかな。で、ニーファイが書くのを禁じられた部分というのは、(数世紀後)使徒ヨハネが書き記すことになっているとありますんですが、なにしろ新約聖書の中で超難解と言われる黙示録になっちゃうわけです。なかなかほとんど誰も理解が及ばないみたいになってるわけで。
しかしながら、他の予言者たちにもすべてが示されてかつ書き記したものが、現在は、封じられていて誰も読めなくても、将来、ふさわしい時に、純粋なままで分かりやすい内容で明らかにされ伝わるとありますから、その記録に、黙示録の内容と同等のものがわかりやすく記されていて、読む人にとって容易に理解され得る内容なんだと想像するわけです。
そのへんについては、ジョセフが、金版から翻訳するにあたって、手を付けてはいけないところ、つまり、封じられた部分というのがありましたね、それは、金版を受け取った時に、天使モロナイからも言われたのかな(量的には、見た目?金版総量の2分の一ないし3分の2とも)、封じられたのはヤレドの記録の写しを含むんでしょうか、どうやら、そこに(も)簡明に記された黙示録の内容が含まれているんだというのが、オリバー・カウドリの書簡に、あるんでしたっけ。その一言は後で訳すとして、まずは、“封じられている部分”に関する聖句など、メモっておきやす。
「21 封じられている部分に触れてはならない。わたしは、自分がふさわしいと思うときにそれらをもたらすからである。そして、わたしにはわたし自身の業を行う能力があることを、人の子らに示そう。
」
(第2ニーファイ27章)
「25 主はこれらの御言葉を語ると、かつてこの世にいた地のすべての民と、これからこの世に来るすべての民をヤレドの兄弟にお見せになった。また主は彼らを、地の果てに至るまで彼に見せずにはおかれなかった。
」
(エテル書3章)
「04 見よ、わたしは、ヤレドの兄弟が見たとおりのことをこの版に書き記した。ヤレドの兄弟に明らかにされたこと以上に大いなることは、いまだかつて明らかにされたことがない。
05 そこで主はわたしに、それらのことを書き記すように命じられた。そして、わたしはそれを書き記した。すると、主はわたしに、それを封じるように命じられた。また、主がその解訳も封じるようにと命じられたので、わたしは主の命じられたとおりに解訳器も封じた。
06 主がわたしに、 「異邦人が彼らの罪悪を悔い改めて、わたしの前に清くなる日まで、これらのものは異邦人に伝わることがないであろう」と言われたからである。
」
(エテル書4章)
「01 さて、わたしモロナイは、命じられた言葉を記憶に従って書き記してきた。また、わたしが封じたものについてもあなたに告げた。したがって、封じられているものに手を着けて翻訳しようとしてはならない。そのことは禁じられているからである。しかし、やがてそれが神の知恵にかなう時が来るであろう。
02 また見よ、あなたは、この書物を出す助けをする者たちに版を見せるのを、特別に許されるであろう。
」
(エテル書5章) この‘あなた’というのは、ジョセフ・スミスのことに。
さてさて、今日、その封じられた部分は、明らかにされてるだろうか??と問えば、答えはノーということに。であれば、異邦人はまだ罪悪の中に・・・・
ここで、よくよく、能く能く考えてみたいのは、何故、全部一気に、訳すことをさせなかったのか??、封じる部分を設けられたのか??ということですよね。この問いが大切になってくるんだと・・・・封じられた箇所には、末日から主の再臨、福千年に至る状況等がはっきりと記されてるとしてですね・・・・
ニーファイは書くのを禁じられ、すべてを示され、それらを記したであろうところのヤレドの記録は、モロナイによって書き写されたわけですが、彼モロナイもまた、封じるよう命ぜられて、その封じたところを、ジョセフに告げ、ジョセフは当然封じられた部分に手を付けず、モルモン書(エテル書も含め)として翻訳、出版したわけなんですよね。
ふさわしい時に至ってないといえば、それまでですが、モロナイは、“主がわたしに、「異邦人が彼らの罪悪を悔い改めて、わたしの前に清くなる日まで、これらのものは異邦人に伝わることがないであろう」と言われた”と書いてますね。ここを深読みしますればね、この“異邦人”は、“末日聖徒”のことでもあるんだよと捕らえる視点を持っているかどうか??ということなんですよねぇぇ。そんな隠されたような見方が真相で、重要なんでは?!そうだとしたら、そんな理解が持てるかどうか、大きな信仰の一里塚、或いは、ふるい分けの地点になっている?!・・・・うぅぅんん・・・・ま、当然と言えば当然、当ったり前の話でもあるかな・・・・
やはり、ジョセフ暗殺後、ブリガムらに教会指導層が乗っ取られるのを許し、一般聖徒らの信仰を試みるという試しの状況をもたらすということがずっと続いて来てるんではないかと・・・・
ちなみに、この“封じられた部分”についてジョセフが言及した歴史記録は一つだけ。教会の信仰箇条が記されることになったウェントワース書簡に(1842年,シカゴ・デモクラット新聞編集者の質問への回答として書かれた書簡)出てるんだと。
「これらの記録は,金の様相を呈した金属板に刻まれていました。また各板は,
幅約15センチ,縦約20センチで,普通のブリキ板ほどの厚さでした。そこには
エジプト文字がいっぱいに刻んでありました。また全体が3つの輪で本のよう
にとじられて1冊になっており,厚さは15センチほどでした。その一部は封じ
られていました。封じられていない部分の文字は,小さくきれいに刻まれてい
ました。また本全体にわたって,その作りの古さを示す多くのしるしが見られ,
彫刻技術は見事でした。古代の人々が『ウリムとトンミム』と呼んだ珍しい道
具も,その記録とともに見つかりました。これは,胸当てに付けた眼鏡のつる
に2個の透明な石をはめたものです。わたしはウリムとトンミムを仲立ちとし,
神の賜と力によって記録を翻訳しました。
」
「ウェントワース書簡」http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/lds/wentworth.htm
""""
「わたしは,この大陸に住んでいた昔の預言者たちの記録を短くま
とめたものが刻まれている幾つかの版が隠されている場所〔をモロナ
イから告げられ〕ました。……これらの記録は,金のように見える版
に刻まれていました。またそれぞれの版は横6インチ(15センチ),縦
8インチ(20センチ)で,普通のブリキほど厚くはありませんでした。
版にはエジプトの文字がいっぱいに刻んであり,すべてに3つの輪が
通されていて,本のページのように1冊にとじられていました。全体
で厚さは6インチ(15センチ)近くあり,一部が封じられていました。
封じられていない部分の文字は小さく,きれいに刻まれていました。
また全体にわたって,その作りの古さを示す多くのしるしが見られ,
彫刻の技術は見事でした。また記録とともに,昔の人々が『ウリムと
トンミム』と呼んだ珍しい道具も見つけました。それはつるの縁には
められた二つの透明な石から成っていて,そのつるは胸当てに付けて
ありました。わたしはウリムとトンミムの仲立ちにより,神の賜物と
力によって記録を翻訳しました。」4
4. History of the Church,第4巻,537。原文(英語)においては,句読点は現代の
用法に修正,段落は変更。イリノイ州ノーブーで,ジョセフ・スミスがジョン・
ウェントワースとジョージ・バーストウの要請で書いた手紙から。Times and
Seasons,1842年3月1日付,707に掲載
""""
p60、“第4章 モルモン書――わたしたちの宗教のかなめ石”、『歴代大管長の教え――ジョセフ・スミス 』2007