浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

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禅とオートバイ修理技術

2008-12-01 23:58:35 | 読書
今日って雨なんでしたっけ。夜に降るなんて聞いてなかったと思うけど。
小雨降る夜の道を自転車で走り抜ける。

ロバート・M・パーシグの「禅とオートバイ修理技術」読み出した途端で判断するのはどうかと思うが、どうしてこれを今まで手にしていなかったのか、随分前に書かれたにもかかわらずこんな本が埋もれていたのか。

俺はお前のような本をずっと探してたんだ~と、つい叫びたくなるような出会いであると僕は思う。

そう云えば、バイクでも雨で夏なのに唇が紫色になったり、凍えてクラッチが握れなくなってしまったりしたっけ。

その後下手に暖めた拳は普段の倍ぐらいに腫れ上がってしまったこともあったっけ。

バイクの旅は忘れられない思い出満載なのだけれど、実際には強烈な横風でコーナリングしているようにバイクを傾けて走ったり。

対抗してくるバスやダンプが引き起こす突風に身構えていたりする事って乗っている頃には当たり前の事であったけれど、そんな生活から離れてしまうとどんどん忘れてしまっている部分も沢山あるものなんだね。

ではどうして本書との出会いはこんなにも後になってしまったのか。

誰が書いたのか。なんの雑誌かはもうとうに忘れてしまったけれど、バイクのツーリングは瞑想に似ていると云う記事を読んだ記憶がある。

マラソンランナーのランナーズ・ハイにも似た感覚であるとも書いていたように思う。

それは自然と独りで向き合い、巡りいく景色と空。そして去りゆく過去と日常に対して深く洞察する事で
徒然に思考を巡らせている正に自分自身そのものと向き合う事に他ならない。
そうバイクのツーリングは瞑想であり、禅なのである。

もう今から30年ほども前の記事なんだけれど、僕はそれを自室で独り読んで、強く膝を打った。

また当時学校に来ていた若い英語の講師の口癖でもあった「正にそのとおり!」と叫んだりもしたと思う。

そんな考えを範として生きた時代を持っている自分としては「禅とオートバイ」と云われても若干今更感があったと云う事なのではないかと思う。

しかし、本書を読むと正にその30年前にそんな考え方の原型を生み出したものこそこの本であったらしい事に読み出して直ぐ気付いたと云う訳である。

これは恐らく間違いない。あの記事を書いた人はこの「禅とオートバイ修理技術」を読んでいたに違いない。
そして今僕は間違いなく自分自身の人生の一画を占める重要な価値観の基礎を築いている考えに辿り着いた。

これも一つの旅である。