先日、ネットで2014年のノーベル物理学賞に決まった中村修二氏について、「中村氏に捨てられた日本」と書いた文を見つけました。
私は、この意見は見当違いだと思います。
60才近い、峠を越した研究者がアメリカの市民権を取ろうが取るまいがどうってこと無い。カリフォルニア大学は、別に新しいことを期待しているよりは、ノーベル賞の受賞者が多くいる大学と言う看板が欲しいのだろうと思います。 カリフォルニア大学サンタクララ校には受賞者が既に数人いますが、多いに越したことは無い。
中村氏のノーベル物理学賞受賞に関するメディアの論調も、最初に取り上げたネット記事のような、研究開発の環境を改善するべきという我田引水的な意見から、何か腰が引けたような賛美の記事が載っています。これは、中村氏の(日本人にしては)特異な性格(行い?)からでしょう。しかし、前者のような意見の例示として中村氏を取り上げるのは不適当と思う。
中村氏はこのキャラクターを続けると思っていたら、11月4日の各新聞には、中村氏の「ケンカしたまま死にたくない」という発言が載っています。記事の内容は、過去に青色LED特許で争っていて、受賞時の記者会見でもさんざん悪態をついた日亜化学と仲良くしたいというものです。「おいおい、何をいまさらキャラクターを変えるの?」という感じです。それなら、受賞時から日亜化学を批判しなければ良かったのに。日亜化学の社長はあちこちからの圧力でOKするかもしれませんが、現場はそうはいかないでしょう。
(11月7日現在、日亜化学は面会をやんわり断りました)
ところで、これは中村氏とは違う話ですが、若い時は海外に出て、それなりに海外で活躍して、年を取ってから日本に帰ってきて(海外から捨てられた?)、日本についてあれこれ発言する人がいますが、私は不満です。
「おまえに発言する権利は無い」といつも思っています。
2014.11.07