-幻の「中国の平和的台頭」に見る米国の対中国政策の誤りと日本への提言-
ペンシルバニア大学の歴史学部国際関係のアーサー・ウォルドロン教授の講演を紹介します。
この講演は、2010年の11月9・16・17日の三回にわたって開催されました。東大・法学部の「グローバルリーダーシップ寄附講座(読売新聞社)」の公開セミナーです。
アーサー・ウォルドロン教授がこの講演での指摘
・「中国共産党政権は中国の未来像を持っていない」
・ニクソン大統領の時代から、米国は日本を軽視している
は、興味深く参考になりました。
アーサー・ウォルドロン教授の外見は、190cm以上の横幅も大きい、声もでかい人です。会場内に居る奥さんを自分で紹介していましたが、中国人のようです。この人は、米国の極端な意見を代表する人なのか、一般的な意見の人なのか、バックグラウンドはわかりません。しかし、アメリカにこういう意見の専門家が居るということは興味深いし、日本のこれからについて示唆に富む講演でした。
この講演会には、中国人留学生と思われる人も多数見受けられましたが、異なる内容を期待していたと思われ、講演は期待はずれだったと思います。
この講演は英語で行われたので理解するのが大変でしたが、日本語と英語の事前資料が配布されたのでそれを参考にして紹介します。しかし、全体を紹介するのは負荷が重いので、16日分と17日分の講演の抜粋(全体の約1/4くらい)を紹介します。なお、9日は出席していないので、ここには載せていません。
なお、見出しは私が付けたもので、事前資料には記載がありません。
なお、尖閣諸島沖での中国漁船と巡視船との衝突事件は2010年9月で、この講演はその2ヶ月後に開催されています。
【16日分抜粋】---------------------------
「平和的台頭」は幻
南シナ海の領有権問題・尖閣諸島の周辺海域をめぐる問題などの一連の事件により、それまでの世界の常識になっていた中国の「平和的台頭」という概念は幻であることがわかった。
中国が北は北方領土四島から南はフィリピンやインドネシアに達する南北に長い島々を突破し、ここに一つの海洋大国の立国を目指しているという決意の表れであるとも思われる。
今日は1970年代以降のアメリカの対中政策(特に安全保障政策)を振り返り、その失敗の原因を探ることにする。
また一方で、現状の日米同盟(特に「核の傘」)は、ほぼ空虚なものと化してしまっていることを強調したい。今後アメリカが、日本を守るために日米安保を重んじて、大規模化または泥沼化しかねない戦争に挑むとは到底思えない。
日本が米国依存から脱却し、自国の安全保障を確保できるだけの軍事力を保有することが必要である。
米中ソの三角関係
冷戦時代の1970年代は、外交の弱体化で頭を悩ませたアメリカ政府は、ソ連に対抗しうる「カウンターバランス」としての役割を中国に求めた。これにより、戦略的三角関係が構築されることになった。
天安門事件へのアメリカの対応が物語るように、ソ連崩壊(1991年)や天安門事件(1989年6月)の頃には、20年以上の歴史を有していた米中2国間関係は、三角外交という枠を超え、アメリカにとって中国はもはや単なる対ソ関係における「カウンターバランス」などではなくなっていた。
表立った発言もないままに、米中関係は3国間から2国間の外交関係へと変貌を遂げていた。天安門事件(1989年6月)が発生しても、アメリカは米中関係の維持に躍起となり、さらにはソ連崩壊後には、三角外交がもともと無かったように振舞って、中国との2国間関係の維持に努めるのは容易なことだった。
アメリカは日本を軽視していた
台湾を切り捨てて、朝鮮から撤退する覚悟を決めていたニクソン政権が日米同盟を放棄しようと考えたのは不思議ではない。
ニクソン政権は、きっとそう考えたに違いない。
(ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官が、ライシャワー、周恩来首相、佐藤栄作首相と話した内容を紹介して、ニクソン政権からいかに日本が軽視されていたか、の話が続く。その後の政権では、若干の修正が加えられたが、日本軽視は続いている。)
1970年代当時、ニクソン政権の中枢部は、日本・インド・台湾などの国を見切って、中国を最重要視する政策を構想していた。
包容政策
選挙運動中は中国政府を「虐殺者」と非難してきたクリントン大統領でさえ、1994年には「最恵国待遇」を中国に供与し、2001年には中国はWTOに加盟した。ソ連も現在のロシアもWTO加盟を実現できていないことを考えると、中ロ両国はアメリカの世論上、全く異なる評価を受けていることがわかるだろう。
少なくとも、今から数ヶ月前までは、取りざたされている「中国の台頭」は、平和的なものになると思われていた。
包容政策の終焉
昨年以前に起こった事件に関しては、チャイナ・ウォッチャーの多くが単発的なものとみなして、台湾海峡以外における中国周辺での火種・不安材料は見当たらない、というのが常識だった。
しかし、今年に入ってから相次いだ事件により、この見方は変わりつつある。
今年7月のASEAN地域フォーラムでは、中国が南シナ海での3.500.000km2にも及ぶ全海域での領有権を主張し、それに対してクリントン国務長官が、「南シナ海での領海・領土問題の平和的解決がアメリカの国益に係わる」と牽制した。
尖閣諸島における日本にとって最も重大な問題は、その資源の掌握よりも、中国の長期的目標が先島諸島や沖縄諸島から日本を追い出し、自国の支配権下に収めることにあるということである。
中国の不器用かつ乱暴なやり方は不可解であるが、中国が東アジア・東南アジア・インド・ロシアに対し、挑戦状を突きつけてきたことは間違いない。世界の覇者を目指す新たな相手が参上したことは、疑いの余地も無い。
ここで問われるのは、中国に対する日本の対応である。中国は尖閣諸島の領有権を主張し、日本の領海・領空を繰り返し侵犯しているが、日本政府はいまだに自国の安全保障をアメリカに頼りながら、自体が収まるのを待っている状態である。この受動的な対応は、不十分かつ非現実的で、これでは日本の国益は守れない。
中国の軍事態勢
(省略、中国の軍事力の増強を強調)
今後どうなるか?
今後は、アジアの二極化が深刻化すると思われる。中国は旧ソ連のような「影響圏」を有しており、最低でも中国の主権に係る案件にはその「影響圏」の国々を服従させるつもりである。場合によっては、併合もやむなしと考えているに違いない。
現在の「影響圏」は清朝の領土よりはるかに広く、その前の明朝の領土よりも大きいのであるが、その明朝の時代に確立された「中華思想」は中国の外交思想に今でも極めて重要な影響を及ぼしている。
増大する中国の軍事力は、もはや台湾を威圧するだけのものでなければ、「お飾り」でもない。
日米安保条約により、アメリカは対日防衛義務を負っている。また、尖閣諸島も日米安保の対象に含まれるということだが、同条約はアメリカが強力な勢力を誇った時代に締結されたものであるため、今のアメリカが安保条約をそのまま遵守するとは思えない。安保条約は攻撃的行為を基本的に米軍に任せているが、アメリカがその犠牲を払うとは思えないのである。仮に日本が攻撃されたとしても、国民感情や核攻撃に弱いアメリカ本土の現状を考えると、アメリカが核戦争を挑み、東京を守るためにロサンジェルスを犠牲にすることなど、もはやありえないと思われる。
ただし、中国が現在相当な無理をしている可能性を指摘しておきたい。八方塞というか、四面楚歌というか、とにかく中国は世界一多くの隣国と境を接する特殊な地政学的情勢にある。
中国がアジアの覇権を守るために、武力の行使がやむをえなくなる日がいずれ訪れるだろう。明や清の冊封国は武力によって制覇した国であることを思い起こせば、これは今に始まった事ではないと直ぐにわかる。いずれ、中国が一旦拳を振り上げれば、平和や友情を謳うそのレトリックは、空虚に響くことになることは疑う余地も無い。
日本の国益を重視した「責任ある」対応は、GDP比における軍事費の割合を高め、日本の国威にふさわしい抑止力と展開能力を備えることになるのが私の見解である。
(講演では、日本も核武装すべきと言っていたが、講演後に司会の教授は日本の公式見解を説明して、懸命にフォローしていた。なお、日本語で書かれた事前の資料には核武装とは書いてありません。)
【17日分抜粋】---------------------------
中国共産党政権への幻想
最も重要な問題を取り上げたい。つまり、過去30年間の急激な経済成長と社会情勢の変化は、中国社会そのものにどう影響するのか、と言う問題だ。
最近まで、私を含めた大半のチャイナ・ウォッチャーは、大正時代の日本や1990年代の台湾のように、中国が民主主義国家へと変貌を遂げ、「進化」していくのではないかと期待していた。しかし、その前提となった歴史観に、根本的な誤解があったことに気付かされたのであった。
まず、清朝末期と現代との共通点・類似点・相違点を検証する。
清朝政府は、現在の共産党政権と同じく、独裁政治体制であった。また、過去全ての中国政権がそうであったように、現在の共産党政権も清朝も自己完結・自己永続形の政治体制が取られていた。そのため、どちらの政権も国民から完全に隔離されていると言う点では類似する。
しかしながら、清朝は限定的であっても立憲君主制へ移行する改革計画を発布していた。
それに対して、現在の共産党一党独裁政権は、これから何をしようとしているのか、どこへ向かおうとしているのか、具体的な計画を持ち合わせていない。敢えて言えば、自らの独裁を維持しつつ、中国を「偉大」な大国にしたい、という極めて曖昧なビジョンしか持ち合わせていない。革命を、歴史や政治の最終段階と見做した当然の結果として、その後の政治、ましてや改革の道筋を示せないのである。
しかし、国内のリテラシーが高まり、政府批判や暴力的なデモ行為が拡大する現状を考えれば、この怠慢は政権の命取りになりかねない。これは、過去数十年の幅広い社会変化の当然の結果である。
中国共産党政権の暴力的崩壊
中国では、重度の汚職が蔓延しており、北京大学のある教授によると、「汚職は国民党時代よりも、どの時代よりも、中国史上最悪の状態」にあるということである。
香港のあるファンドマネージャーから聞いた話によると、彼は中国政治局幹部が三峡ダム建設に絡んで獲得した不正な資金25万ドル以上を預かっているというが、事態はこの一件だけではないはずである。
このような事件は、超富裕層の出現を示唆する。超富裕層が政治的エリートとほぼ重なり、その富が制度の存続に依存するために、彼らは現状維持に必死である。仮に自由な選挙が実施されれば落選。法が公正に執行されれば逮捕。汚職に関する言論規制をほんのわずかだけ緩めただけでも、超富裕層にとっては大打撃になるだろう。
ソ連末期のエリートは、自分たちの生活に直接の影響が無いとわかったからこそ、ソ連崩壊を静観できたのだ。スティーブン・コットキン著「回避されたハルマゲドン」が指摘するように、内乱鎮圧の為に備えてあった多数のKGB部隊が政権崩壊を傍観したのは、KGB局員たちに介入する意思が無く、幹部たちにも介入を強要する意思が無かったためであろうが、中国は同様に平和的な政権移行を達成できるだろうか。
答えはノーだろう。
いずれ、インターネットを中心とする通信網の発達も手伝って、社会的不穏が臨界点に達するであろう。そうなると、街中が暴動化して流血騒ぎとなり、軍部による一時的な鎮圧の後、中国指導部が国外へ逃亡する事態もありうる。
中国共産党政権は中国の未来像を持っていない
中国と言う国は、理解しがたいほどの激動の時代に突入している。しかし、その激動は何らかの目標に伴うものではない。トウ小平の「石を触りながら川を渡る」という名言があるが、対岸の様子も、川を渡る理由も、一切説明されていない。今の中国は、名目上の目標すら持っていないと言って良いだろう。
それでも、知識人や党幹部が、来るべき社会主義の危機を回避しようと、極秘に会合を開いて対策を練っていると言う噂は絶えない。
例えば、2006年3月4日には、学者や当局関係者約40人の出席による、制度改革を話し合う会議が開催されたと言う報告がある。ある関係者は、専門家の本音を聞くという趣旨で行われたこの会議ついて、関係者が「前代未聞の議論」が繰り広げられたと評価した。
アメリカの最も権威あるチャイナ・ウォッチャーたちは皆、地球上で最も抑圧的な独裁国家の一つを、国際社会の「責任あるステークホルダー」であると勘違いしていた。不透明で不安定な中国の内政事情に束縛された現状は、この妄想に導かれ、政治的、経済的な対中投資を増加させてきた当然の結果である。このような中国依存体制の結果、今後数十年間は世界各国、とりわけ日米台韓などの周辺各国に悪影響が及ぶ一方、中国には有利に作用する時期が続くだろうと言われている。
日本の攻撃力強化の必然性
最後に、日中関係を改めて検討してみたい。まず、私が見たところ、今の日中関係は、耐震構造になっていないように思われる。中国で発生した振動が、日本の経済や安全保障を巻き添えにするような、脆弱な体制になってしまっている。対処法はあるが、どれも容易に実行できるものではない。
まず、日米安保が日本の安全を保障するには不十分なものであることを自覚すべきである。そもそもミサイル防衛網は、完全不貫通にはなりえないのである。このことから言えるのは、不完全な防御よりは、抑止力となる武器が必要だと言うことである。
今のところ、日本にはそのような抑止力は備わっていない。しかし、「核の傘」を中心としたアメリカによる拡大抑止に頼れる時代は、既に終わった。今後の日本にとって、中国も米国も攻撃を加えることが出来ないほどに強くなる以外の道は無い。
2012/10/1