ひょんなことから「毛利治郎」というギター弾き語りのアーティストと顔馴染みになった。
とっても気さくな、嫌味のない優男(やさおとこ)である。(最高の褒め言葉を贈っているつもり)
昭和30年1月生まれというから現在55歳。
高校2年、深夜放送でフォークソングと出会い、大学時代も演奏活動を積極的にやってはみたが、結局は地元に帰って銀行マンとなることで演奏活動を封印。結婚、育児と普通に生活してきた。
40歳を迎えたとき、父との死別。ここに大きな転機が訪れたという。
「オヤジの一生は幸せだったのだろうか・・・」と。
そして、好きでたまらない音楽を封印した自分の人生はこれでよかったのか、と問いかけた。
やっぱり諦められない。残された人生全てを賭けて音楽をやりたいと思い立ったのが5年前。
50歳にして本格的な独立音楽活動。田んぼのトラクターステージ、わらぶき屋根の軒先コンサート、散髪屋ライブ、菜の花畑音楽祭。ありとあらゆる場所での弾き語りを続けて5年たった今、。作詞作曲も50曲を数える。
4カ所の定期ライブを持ち、ラジオコメンテーター、CD販売などようやく落ち着いてきたという。
彼には彼の生き方がある。誰にでも勧められる生き方でもないと思うが、どちらかといえば「よくやったね~」ということか。格別羨ましいとも思わない。
そんな彼の強い思いに裏打ちされた詩の力には、つい引き込まれるものを感じる。
「考えているだけじゃなにも始まらない」という彼のギラギラしないしっとりした輝きを、静かに見守っていたい。
とっても気さくな、嫌味のない優男(やさおとこ)である。(最高の褒め言葉を贈っているつもり)
昭和30年1月生まれというから現在55歳。
高校2年、深夜放送でフォークソングと出会い、大学時代も演奏活動を積極的にやってはみたが、結局は地元に帰って銀行マンとなることで演奏活動を封印。結婚、育児と普通に生活してきた。
40歳を迎えたとき、父との死別。ここに大きな転機が訪れたという。
「オヤジの一生は幸せだったのだろうか・・・」と。
そして、好きでたまらない音楽を封印した自分の人生はこれでよかったのか、と問いかけた。
やっぱり諦められない。残された人生全てを賭けて音楽をやりたいと思い立ったのが5年前。
50歳にして本格的な独立音楽活動。田んぼのトラクターステージ、わらぶき屋根の軒先コンサート、散髪屋ライブ、菜の花畑音楽祭。ありとあらゆる場所での弾き語りを続けて5年たった今、。作詞作曲も50曲を数える。
4カ所の定期ライブを持ち、ラジオコメンテーター、CD販売などようやく落ち着いてきたという。
彼には彼の生き方がある。誰にでも勧められる生き方でもないと思うが、どちらかといえば「よくやったね~」ということか。格別羨ましいとも思わない。
そんな彼の強い思いに裏打ちされた詩の力には、つい引き込まれるものを感じる。
「考えているだけじゃなにも始まらない」という彼のギラギラしないしっとりした輝きを、静かに見守っていたい。
無事なご帰還何よりです。
ある意味、フーチャンさんと共通する生き方を感じます。
それに奥様が素晴らしいことも共通しています。
前向き思考、これが大きな魅力に感じられるのでしょうか。
またどこかで聞いてみたいものです。
さだまさしを思わせるソフトな優しさを感じさせる伸びのある声。
小洒落た、余り飾らないトーク。
ギラギラしていないでしょ。なんとなくホンワカ・・・。
飽くまでも彼の人生。誰にも彼にも勧められ派しないですよね。
確かに奥様が・・・。
「エリート銀行マンだったのに、またどうして」と思っていましたが、歌声を聴いたら納得。
母親のこと、故郷のことを思った歌声を聴くと、涙が出てしまいます。
見た目に似合わない?優しい歌声にうっとりします。
それにしても、彼の生き方に賛同した奥様が偉いなあとつくづく感じました。
皆がみな真似できることでもありませんよね。
分かっちゃいてもついついわきまえを忘れたり・・・。
どっちにしても、人生を賭けるということは生活を賭けること、勇気は要ったでしょうね。
考えていることを全て行動に移せたらいいのかも知れません。でも移せないからジレンマに陥ってまた新たな考え方を模索する・・・。
そうやって色んな状況を見極めながら年齢を重ねて行くのでしょうね。
考えてることが多い、これだけで結構。考えない人よりは遙かに豊かな生き方ですよ~。
僻む??なんのなんの。
でもやっぱり自分の人生、あれこれ考え悩み、その上で楽しいことを多く積み重ねるよう願って生きていく・・・自分の思うがままには行かないから楽しい・・・なんてね。
ですが、「残された人生すべてを賭けて」となると、決断には勇気がいるでしょうね…。
自分なりの価値観を持って生きる、その表れといえるのでしょうか。
「考えているだけじゃ何も始まらない」
瞬間的な反応や感覚はいいけど、それを支え、裏付けるものが足りなかったりする場合もあります。考え方の奥行きなどがしっかりした人もいます。
うまく合わさって行動に移せたらよいのになあと、考えてることが多い人間は僻んでおります。