怒りのブログ

憤りを言葉にせずになんとしようか。

杉並区の不当労働行為?

2007-12-29 17:39:26 | ニュースから
この和田中、サピックスと組んで塾を開講すること自体驚きなのだけれど、どうやら内部の教職員へ事務負担などを求めているようだ。

本来の任務でない事をさせるのはどうなのか?
しかもこの施策は3月に辞める校長の我が侭で、実行するサピックスは宣伝効果抜群でノリノリだろう。
上にとってこれほどおいしいやり方はない。

結局は全生徒のための施策ではないのに内部は動かなければならないという寒い事態のようだ。
和田中を出るために異動希望者が増えたというのは藤原校長の後任に対する不安以外のものかもしれない。

杉並区の保護者って、そんな場当たり的な施策を見過ごし、政治性に弱い部分をいろいろ見せてしまっている。
「見識を疑ってしまうね。」と突っ込まれても仕方がないのではないだろうか?

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区立中で平日夜に塾開講へ 東京・杉並、受験を支援(共同通信) - goo ニュース

教育から降りる

2007-12-29 17:08:21 | 教育
管理職の降格が異常に増えた。
そんな記事を思い返してちょっと来年のことを考えた。

おそらく、自覚的にも無自覚的にも、いろいろな場面、いろいろな立場で、来年はもっとそういう年になるのではないかと思う。

休職者が増えたというものも思い出す。
それも「降りる」と言えるかもしれない。
けれど、それは望んだものではない。
かなりの苦しみ。

さて、そうでない人ももうそろそろ燃え尽きるころかもしれない。

07年問題は多くの経験と知恵、そして伝承の方法の損失となるだろうし、それによる決断力や判断力、そして対応能力が低下するだろうし、すでにその兆候は見えている。
それも「降りる」という形の一つかもしれない。

もちろん若手の台頭はある。
けれどもそれで丸く収まるのは冬の時代の後、しかもその時代をどう生きるかによる。
これは経験的にわかっていることのような気がする。
自動的なことなのかどうかはシステムによるのだろうし、どうだろうか。

一方で、時代背景の違いも意識されるだろう。
ということは、新たな模索も必要で、そこいら辺を見極めながら生き抜くことになるだろう。
それは「降りない」努力かもしれないけれど、一方で「降りる」傾向性を改善できないだろう。

再雇用だとか非常勤だとか、管理職の増加、事務職の(微々たる)増加なんてのはたいして力にならないだろう。
問題は教員が主体的に自己改革できるかどうかだ。
上意下達と格差主義、新自由主義的なものが批判され、別な方向性を打ち出せなければ無理だろう。
なぜなら外的な背景、要求、要因が多すぎて、何が自分で行っていることなのかの峻別がしにくい状況にあるからだ。
これは「降りる」ことを狙っているのかと見紛う。

「いいものは全てやる」というのは自己判断ではない。
「実態に合わせて軽重をつける」というのが自主的な判断。
でも、「軽重をつける」ことが目的化されるとそれは異なった内容に至るだろう。
それを「降りる」というのだと思う。

それは静かに行われるけれど、大きな動きとなって還って来るかもしれない。
どうだろうか。
別に私は占い師ではないので、いい加減な茶飲み話として想像したまでなのだけれど・・・。

私のように「降りたり、復帰したり」という人もいるのだろう。
たぶんね。

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どろろはん

2007-12-29 02:01:08 | 映画
ああ、また観てしもた。
きっと暇なんやろうな。
レンタルビデオの冬やな。

せやけどダンさん、原作のまんまの設定やね。
なんかダイジェストになるんか思ったら、ケツのケツが「はあ?」って感じやった。

やっぱり、あの雰囲気は原作の方が楽しめる気がするちうわけや。
設定もきちんと背景からわかるし、漫画を読まのうてはや。

手塚はんもここまでエンタメしたかてらったらええ気分なのとちゃうかな。
そやけど、もっともっともっと(?)カイキュートーソーチックな雰囲気もあり、エゴイスティックな親父がおるのもありちう世界とちゃうやろかな?

踊り子の衣装もCGも、なんか違和感ある緑で、そこがいっちゃんヘンなのとちゃうかな。

大阪弁フィルタ使用

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