職場で小学校英語教育学会のトップステータスクラスの人の講義する研修を受けた。
よく慣れた話ぶりだった。
また、小学校英語の実践家という印象を受けた。
実践内容の説明に関しては、そういった経歴が作用して、なかなか面白そうなものはあった。
けれど、系統的という点では非常に疑問が残るものだった。
目的として、この人は何をしにきたのだろう?
そういった疑念が晴れない、非常に後味の悪い研修になった。
まず始めに講師は問う。
「今の教育政策として、英語は週一回教科化されます。それを国語に置き換える方がいい方?」
挙手を求められて手を挙げる者は多くない。
これは聞き方が悪い。
講師の説明も、必要な方向性も共有されない中、個人の意見を聞こうなんて(しかも管理職の前で)、通る話ではない。
この人は下手くそだ。
「現場の人が納得いかない状況で施策が進み、授業が荒れる事を危惧します。」
と述べても、納得いく説明は一切なされない。
「小学校で英語を慣れさせるのは早い方がいい。」
といい、その一方で、
「中学英語でその効果は見られない。それは中学のカリキュラムと違うから。」
といった話をする。
そして、中学の英語は「(学習の)積み上げ」だとし、小学校は「語順の自然な習得」だという。
でも、
「先進的な小学校の例は、中学校の教科書を先取りして教えている。」
という説明も付加される。
体験的な成果は語られるけれど、決して一般化しない。
そう。
講師は教育の研究者ではない。
教育実践家なのだ。
そういったレベルの人が、あたかも教育施策について意見を持ち、語れるというようなふりをするというのは、酷いと思った。
ただ、正直に、現在の英語導入に関して、当人も揺れを大きく感じているのだろう。
ただ、その批判を現場教員の英語教育に関わるスキルの問題に矮小化しているのは、自分の実践を語る者としては嫌らしいと感じた。
ましてや自己主張をそういった方向でしないのは、とても老獪な感じがして、気持ちが悪かった。
おそらく、私がきつい突っ込みをしても、動揺はするだろうが、のらりくらりとしたに違いない。
小学校英語教育学会というのは、そういったレベルの集団なのだなというカンジ。
小学校英語教科化に関して、「語順習得」が目的というのは大雑把に掴めた。
中学校で解決できない問題を小学校に前倒ししているのだけれど、それが何なのかというイメージくらいはできたことになる。
一方で、中学校英語を改善する議論がやはり必要という確信も得られた。
特に、進学を考慮したカリキュラムを押し付けられている中学校教育は、起源的に歪んでいるという印象を拭えない。
小学校英語の課題として教員側の工学的な指導力は強要されていくだそろうし、研修も重ねられるだろう。
けれど、それは「学び」としてはレベルが低く、教員側としてはやっぱり主体的に教材観や研究を進める題材に値しないということだ。
週一時間であるし、しばらくは若い連中が育ってくるのを待つという、情報教育以下の対応になるだろう。
もう個人的には小学校英語教育についてはさじを投げたい。
つき合っていると馬鹿になりそうだ。
最後に、講師がいろいろ工夫しどころを伝え、担任が積極的に英語授業を作るよう勧めていた研修だったのに、やはりメランコリックなことを言っていた。
「担任が発音に自信がなければしゃべることはないです。えいごリアンを見せたらいい。ビートルズのCDを聞かせたらいい。子ども達をそう誘導できたら何もしなくても大丈夫です。」
これが小学校英語教育の現実だ。
いっしょに馬鹿になろう。