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『神さまが教えてくれた幸福論』

2009-01-06 | 生き方

神さまが教えてくれた幸福論(致知出版社)

          『 神さまが教えてくれた幸福論 』

                 神渡良平 著 小林正観 著

 「ナガタ」「ナガサキ」の話がきっかけで対談したお二人。ヤマトの国や日本人のルーツにまでお話は続きますよ。「ナガタ」「ナガサキ」のお話は本で読んでね。

      お釈迦様の遺言を受けて 

小林 二千五百年前、お釈迦様が亡くなる前、こんな言葉を残されたそうです。
私の教えは千年の間は正しく誤解されないで伝わる。これが正法(しょうぼう)の時代。
そして千年から二千年の間はよく似た教えが伝わる。これが像法(ぞうほう)の時代。
二千年を過ぎた頃からは誤解されて正しく伝わらなくなる。これが末法(まっぽう)の世という。
ここまでは教科書に載っているのでご存知でしょう。だけど、実はそこから先がまだあって、口伝(くちづた)えのため一部の人間にしか伝わらなかったようです。

神渡 その先があるのですか。

小林 私はそれを二十二、三の頃、ある方から教えていただいたんです。末法の世からさらに五百年ほどすると、つまり、釈迦の死後二千五百年ほどすると、ということですが、インドの遥か当方にジャブトーバーという国があって、その国は夜でも昼のように明るく、道は平坦(へいたん)で、裸足(はだし)で歩いていても傷つかず、遠くにいても、近くにいるように話ができる。
その国の人々は、競うこと、比べること、争うこと、戦うことがとても嫌いな民族で、その人たちの平和な思想と相まって、自分の教えが二千五百年ぶりに正しく解釈され直す。そして千年単位の平和王国が始まるだろう、と。お釈迦様はそう言って亡くなったそうなんです。
このジャブトーバーというのは、明らかに日本のことを言っていると思うんです。そしてお釈迦様が亡くなって二千五百年後というと、ちょうど今でしょう。
私がそれを聞いた三十五年くらい前は、日本の仏教文化はものすごくレベルが高いと思っていて、お釈迦様の教えが誤解されていて、それが新たに解釈され直すなんてことがあるわけがないと思っていました。
しかしその後、一部の仏教は単なる祈願仏教に成り下がっていることがわかってきました。お願い仏教ですね。「執着を捨てる」というのを見本として示すべきプロの僧侶(そうりょ)たちも、合格祈願をしなさいとか、良縁祈願をしなさいというふうにリードするようになって、神社仏閣(ぶっかく)がお願い場所になってしまった。

神渡 これは大変な変質だ。

小林 前にも話ましたが、私たちはこれまでずっと、夢や希望を持つのはいいことのように教えられていました。
ところが残念なことに、祈祷(きとう)が今の自分の状態が不満であると漏(も)らし、神社仏閣は神仏にあれをよこせ、これをよこせとおねだりをする場にすり替わってしまった。
「健康にしてください」ということは、今の健康状態では不満足だということでしょう。金運向上をお願いするというのは、曲がりなりにも生活できている今の状態を不満だと言っているのと同じでしょう(笑)。
本来お釈迦様がおしゃっていたのは、「執着をなくしなさい。そうしたら楽になりますよ。すべてを受け入れて、笑顔で生きていけますよ」ということだったはずです。
何度でも言いたいことは、神社に手を合わせに行くのは何のためかというと、お礼を言いに行くためです。神社仏閣というのは、本来ありがとうと感謝をしに行くところだと思うんです。

小林 目が見えることがありがたい、耳が聞こえることがありがたい、話せることがありがたい、食べられることがありがたい、歩けることがありがたい。普段誰もが当たり前だと思っていることも、よく考えたら決して当たり前ではありません。私たちは日々無限の恩寵(おんちょう)を受けて生かされていることに気づくべきですよね。

神渡 つくづく思うんですけど、私たちの人生に起きる出来事というのは、意味がないものはない。感謝して受けるだけですね。
それなのに小ざかしい人間の知恵で、ああでもない、こうでもないと否定するものだから、ますます事の実相が見えなくて悩んでしまっています。
意味のないものはないと受け入れて感謝するとき、すべてが好転していくのだと思います。

小林 おっしゃるとおりです。
私たちが、お釈迦様の没後二千五百年のジャブトーバーにこうして生まれてきたということは、ものすごくラッキーなことだと思うんです。
二千五百年後、ジャブトーバーに生命体をもらった人たちがいて、神渡さんの本で「ナガタ」「ナガサキ」の考え方に触れることのできる人がいて、正観さんの話を聞くことができる人がいて、取り上げている致知出版社の出版物に触れることができる人がいる。けっこう面白い時代です。
時代的にはその「ナガタ」「ナガサキ」の話と、天照(あまてらす)の話と、釈迦の二千五百年後の話など、神さまの話を、昭和二十三年生まれの男たちが急にし出している。全部一緒くたに始まっているんです。
昭和二十三年生まれの男にもう一人、神さまのことを去年から今年にかけて急にしゃべるようになった人がいるんですよ。斎藤一人という人です。
伝え聞くところによると、斎藤一人さんが去年(二○○七年)、体調不良になって、今までのように動けなくなったところ、「伊勢神宮まで来い。そしたら治してやる」と言われたそうです。そうしたら周りの人が、「そんな体で伊勢神宮まで行ったら倒れちゃいますよ」と反対したそうですけども、「いや、神さまが呼んでるから行く」と言って、伊勢神宮に辿(たど)り着いたらしいんですね。そうしたらものの見事に治してもらった。それからはもう、商売や仕事の話はほとんどせず、神さまの話をたくさんするようになった、と何人かの人から聞きました。

神渡 斎藤一人さんは銀座まるかんの創設者ですね。宇宙の法則にのっとって商売をし、大成功していらっしゃる人です。

小林 はい。私はあったことがなく、直接話を聴いたことはないんですけども、昭和二十三年生まれの人間が、二○○七年から二○○八年にかけて、神さまの話を始めているというのが何か面白いでしょう。

神渡 なるほどね。私は斎藤一人さんの講演を聴いたことがあります。ご自分の言葉で話をされる方だから、聴衆は納得し、自分も実行してみようという気になりますね。人をその気にさせる方だなと思いました。

小林 いろんな人がいろんなところで、いろんなことを言っている。まさに『南総里見八犬伝』です。里見家に、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)の玉を持った人たちが集まってきて、一緒に歩んでいこうかというようなことが起きている。

   昭和23年生まれの人になんだかお役がありそうですね。      

            今年モゥー どうぞよろしくね 

             今日も最後までお読みくださいまして ありがとう 

                                      つながっているすべての人に ありがとう    

 



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あけましておめでとうございます (さんかん美)
2009-01-07 23:11:37
あけましておめでとうございます。
今年モゥーよろしくお願いします。

>私たちが、お釈迦様の没後二千五百年のジャブトー>バーにこうして生まれてきたということは、ものす>ごくラッキーなことだと思うんです。
わぁ~すごくラッキーなんですね。
そう聞いたことが、超超ラッキーです

まわりの昭和23年生まれの人、チェックしてみましょ(笑)
あけましておめでとうございます (カル)
2009-01-08 23:41:53
さんかん美さんへ

今日、ブログを読んでくれた方から
電話がありました
NHKのラジオ深夜便で歌手の谷村新司さんが
『まっしろ』の自分が伝えるべきこと と題して
お話をしたんだそうです。
5年前、体調を崩したのを機に、それまでの人生を振り返り、音や言葉を扱ううえで本当に大切にすべきことを悟ったというんです。
音楽活動をいったん止めた時、飛び込んできたのは中国での音楽教授の話でした。思いもよらない出来事が起きた・・・・。そんな話だったらしい。
カルちゃんも聞きたかったです。

谷村さんもなんとs23年生まれなんです
もしかして?

いつもありがとう 

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