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『臨死体験 生命の響き』

2009-02-20 | スピリチュアル

 

            『 臨死体験 生命(いのち)の響き 』

                   鈴木 秀子 著 

 

   鈴木秀子さんの不思議な臨死体験。人生の原点として感じとっているのが伝わってきますよ。今回は眠りについてとりあげてみます。

 

 眠りの本当の意味

 

私が意識ということを実感させられたのが、四十七年間も眠りを奪われたある女性のエピソードでした。
もうだいぶ以前のことですが、あるテレビ番組でその人のことを知りました。その人はロシアの女性で、そのとき、彼女はすでに九十歳近い年齢で、老人ホームで暮らしていました。


そのころには眠ることができるようになっていましたが、かつては一睡もできない状態のまま、四十七年間も生きてきたといいます。夜、横になると気分が悪くなり、どうしても眠れなかったそうです。そこで、家族が寝静まったあとも、一人でロッキングチェアに座り、本を読んだり、編み物をしたりして過ごしていたというのです。
テレビのインタビューに答えた彼女のコメントは、非常に印象的なものでした。たしか次のような感じだったと思います。


「いま振り返ってみると、それはどんな病気よりもつらいものでした。眠れないということは、肉体的な痛みや苦しみよりもっと深いつらさです。それは孤独というつらさです。単に夜の闇に閉ざされた中で、たった一人目を覚ましているという孤独感ではありません。はてしない、たとえようのない深い深い孤独でした。
どうしてこれほど深い孤独を味わうのか、それはあとでわかりました。眠りを奪われた孤独とは、他の人から完全に断ち切られた孤独だったからなのです。


人間は、寝ているあいだに、深い意識を超えた世界に入ります。その世界では、人間同士が現実やエゴの世界から離れて、単に人間としての存在の世界に入っていきます。そして、みんなが同じ状態で眠りを通して共通の生命を生きるのです。そこには生命のつながりがあって、みんなが無意識の中であたたかい思いを交換しあっているのです。


だからよく眠れた朝は、どの人も蘇ったようにはつらつとして目覚めます。それは単に眠りによってからだの疲れを癒したというだけでなく、もっと深い意味があるのです。魂の栄養を、眠っているあいだに、無数の人びとと分かちあっているのです。眠りという状態の中で、生命のつながっている無数の人びとと愛を分かちあい、エネルギーをもらい、心とからだの疲れを癒し、新しい息吹に満たされて目覚めるからです。これがほんとうの眠りの意味です。


そうした愛のつながりを断ち切られた状態が、四十七年続き、真の孤独を体験した私は、いま、ふたたび眠りを取り戻すことによって、愛というものがどんなにすばらしいものか、理解することができました。
それは行為ではなく、生きているとういうだけで無償で与えられるものです。互いに結ばれた人間同士が、伝えあえる愛の大きさ、かぎりなさを、私は深く理解したのです。
いま眠りを取り戻した私は、やがてこの世を去って、眠りよりもっと深い、愛のつながりの世界に帰っていける。それが毎日のかぎりない希望と喜び、生きる源泉です」


彼女がそう語り終えたとき、私は修道院の真夜中の祈りのことを思い出していました。
昔から、修道院では徹夜の祈りをする伝統があり、いまでも続いています。私も修練しているころ、よく真夜中に祈っていました。その修行の意味が始めてわかったような気がしたのです。


いま、世界各地で、徹夜の祈りを続けている修道者が大勢います。日中、他者のために祈りつづけている無数の人がいます。


祈りとはおそらく、人びとが眠っているあいだに、愛を波動のようにめぐらせていくものなのでしょう。また、日中、人間として生きていくうえでの支えとなっている見えない力なのでしょう。


それは、この世の中で、池の底に湧きいずる清水のような役割を果たしているのではないでしょうか。池の底にある清水は、目に見えない水面下で濁(にご)った水を浄化し、生命をいつくしんでいるのです。

 

  今夜もおやすみなさ~い     

   

 

              最後まで読んでくださって ありがとう 

 

 

                                つながっているすべての人に ありがとう 

 

 

                           



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