蒸気鉄道日記

5インチゲージ・ライブスチーム活動の日々を書き連ねます。

福島の津波被災地

2013年11月22日 | Weblog
 昨日仕事で福島県いわき市の津波被災地へ写真撮影に行ってきました。いわき市に行くのは20数年ぶりで、今回は北半分、北端の久ノ浜から南下して小名浜まで行きました。

 福島というとどうしても原発事故が大きく取り上げられて、わたしたちの印象も強いのですが、当然のことながら津波被害も尋常でないものがありました。沿岸には砂浜が多く、海水浴場としてにぎわっていたのですが、それらのほとんどが津波で流されていました。
 残された建物の基礎を見ると、どうやら住宅ではなく民宿や海の家といった感じのものが多く、そういった業種の人々の被害は甚大だったであろうと思われます。単に流されただけでなく、原発事故の影響でここへ海水浴に来る人自体がほとんどいなくなったでしょうから、生活再建の目途などはとうてい立たないでしょう。

 いわき市は面積が広大なので、市内中央部のニュータウンに大規模な仮設住宅があります。原発の風評が影響しているためか被災地域でも復興住宅などの事業が行なわれれている様子はあまりなく、わずかに堤防の新築工事が行なわれているのが見えるだけで、三陸方面と比べるとひっそりとしているのが印象的でした。

 当地の先輩方から話をうかがったところ、この地域の津波は岩手と茨城の南北二方向から来るのが常で、隣の双葉郡も元々は「双波」あるいは「二波」という書き方だったということです。今回は二方向の津波と原発事故のトリプルパンチということだったようです。

 写真はいわき市内の薄磯海水浴場の津波被災地域です。被災前は民宿か旅館だったらしく思われます。基礎だけ残してすべてなくなっていました。地域一帯、山際まで集落ごと根こそぎ流されていました。供えられたばかりのお花が悲しさを訴えています。中心部分の遠くに見えるのは塩屋岬灯台です。

 さて、いわき市といえばいわき駅、すなわちこの間までの平駅です。平駅といえば平機関区、平機関区といえばC62、「ゆうづる」と連想するのが中高年鉄の常識ですが、元平機関区があった場所はいわき運輸区の庁舎が目立つばかりで、ここがC62のネグラだったのか、という痕跡は見当たりませんでした。20数年前に訪れたときには機関区跡地は空き地として残っていたのですが、今回は駅周辺の再開発が終わっていてほとんど分かりませんでした。

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