ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

「ひまわりの種」

2011年07月12日 | 東日本大震災
ブログ名の「ひまわりの種」の由来は以前にも書いたが、
http://blog.goo.ne.jp/yi78042/e/a16f8bae25490ad263983e4bcd876f3f
そのヒマワリは、土壌の放射性物質を吸収する効率が良いのだとか。
もっとも、育ったヒマワリの処理だとか、実際の効果などはまだ研究段階だ。
「ひまわりの種」で、学生の頃は苦手な科目だった「放射線」のことを話題にすることになるとは、
本当に、不思議なことだ・・・。
「ひまわり幼稚園」の園長先生は、あちらの世界でこの出来事をどう思ってらっしゃるだろう。

もともとわたしのブログは、日々のつぶやきのつもりで始めたものだった。
毎日出会うお子さんやお母さんを通して、わたし自身も心が温かくなる、
そんなエピソードを載せたり、
季節毎に流行する疾患のことを書いたり(これはあんまりなかったけど・・・(^^ゞ)、
今の医療に関する憤りをぶつけたり、
家族のできごとを書いたり・・・。

毎日の、ささやかな、くだらない、泣いたり、笑ったり、怒ったり、
後になってしまえば、どれもこれもみ~んな、あはは・・、と笑い飛ばせてしまえるような、
そんなことばかりを、ちまちまと、ほそぼそと、書いていくつもりだった。

・・・・・それも、3月10日までだった。
震災以降、そんな日常は失われてしまったように思う。

もちろん、今の「非日常」のような日々のなかにも、ほのぼのとした出来事はある。
予防注射ではお子さんを泣かせてしまうけど、
おなかを抱えて笑っちゃうような、お子さんとの楽しい会話もある。

でも、そうやって笑いながらも、
そのお子さんひとりひとりの後ろにいる親御さんたちの、言葉にできない苦悩を感じる。

みんな、必死な思いで、今、暮らしている。
避難した方も。ここにとどまっておられる方も。

「福島で暮らすということ~」は、そんな状況に対するわたしの思いを綴ったものだった。
思いもかけず多くの方々の目に触れることになってしまったが、
これも何かのご縁なのだと思う。

あぁ、なんということだ・・・

2011年07月12日 | 東日本大震災
一昨日から、あまりのことに言葉も出ない・・・。

南相馬市から出荷された肉牛から、基準値をはるかに超えるセシウムが検出された。
原因は、こともあろうに、
原発事故以降、田んぼに放置していた稲わらを飼料に混ぜたためだった・・・!!!

酪農家を責めてはいけない、という意見もある。
わたしも、責めたくは、ない・・・。

でも、でも、これはあまりにも杜撰ではないか。
国の指示に従わず、与えてはいけない飼料を与えざるを得なかったことは、
東電や原発事故のせいではない。(おおもとの原因ではあるにしても)
すでに起きてしまった事故後の対策をするのは、国と、地方行政と、生産者だ。
今後の福島県のことを思うのであれば、良心に基づいて対応しなければならなかったのではないか。

爆発以降、なぜ、県内全域で農産物が出荷停止になったのか。
当時、まだ放射線の影響が及んでいない会津地方のものも含めて、全て。
なぜそのような措置をとるのか、県は農家に説明したはずではないか。

配合飼料が足りなくて、買えない農家があるのなら、行政は支援すべきではなかったか?
県の畜産課は、飼料が行き渡っているか、正しく使われているか、チェックしていたのか?
原発事故の対応で忙殺されていたことは、理由にはならない。
農家の支援とチェック体制も、原発事故の対策のひとつではないのか?。

事故直後、まだ規制がかかる前ものを食べてしまった、
これについては、医学的に心配はないであろう、という説明はできる。

けれども、今回の出来事は、医学的に健康上問題なかろうが、許されることではない。

出荷停止の時期を耐え、良心的に農業を続けていこうとしている方々は、今どんな思いでいるだろう。

厚労省は県内肉牛全頭を検査対象と「検討」しているそうだが、
「検討」の前に、県は、ただちに県内の肉牛すべての出荷を停止すべきだ。

福島県の信用は失墜した。
情けなくて言葉も出ない。


「いつか君がこの町で暮らしたいと 言ってくれたら幸せだろう」

2011年07月12日 | 東日本大震災
表題は、福島市出身のave(エイブ)さんという方の歌の冒頭の歌詞だ。

「福の歌」~頑ばっぺver」
http://www.youtube.com/watch?v=M_U1WB7fq7o

 福島だけではなく、宮城・岩手・ほかの被災した地域で、
 今、復興に向けてがんばっていらっしゃる方々へのエールもこめて・・・。
 


避難することを決めた方は、その選択に自信を持って欲しい。
そして、いつか戻って来ることが出来る日が来たら、堂々と戻って来て欲しい。

残ることを決めた方々は、ここで出来る限りの工夫をして、堂々と暮らして欲しい。
そして、戻って来た方々のことも、さりげなく、何事もなかったように出迎えよう。

(歌手の方の表記に誤りがあったことを指摘いただきましたので、訂正いたしました)