原発事故のおかげで、今や世界中で「フクシマ」の名前を知らない人はいない。
こんなことで有名にはなりたくなかった。
とりわけ最近は、飯舘村が有名になってしまった感がある。
(メディアでは「イイタテ」と言ってるが、地元では「イイダテ」と発音している)
飯舘村は、福島県の東より、阿武隈高地という高原の、まん中より少し北側に位置する。
この村の名前を知らなかった人も、「ダッシュ村」ならご存知であろう。
そう、飯舘村には、あの「ダッシュ村」があったのだ。
ダッシュ村の場所は下のコメントの通りわたしの大きな勘違いで、正確には浪江町。
関係者の方々、申し訳ございません。
わたしは、ジャニーズのお兄ちゃんたちは、スマップと昔のジャニーズの方々以外は、
誰が誰だかほとんど区別がつかないのだが、おかげで「TOKIO」はわかるようになった。
飯舘村は高原なので稲作にはあまり適しないのだが、酪農に力を入れていて、
「飯舘牛」というブランドがある。
さらに、飯舘村で産まれた子牛たちが三重県や兵庫県に売られ、そこで育って、
「松阪牛」や「神戸牛」といったブランド牛になるのだそうだ。
大学勤務の頃、南相馬市の市立病院に出張があると、わくわくした。
なんたって、大好きな高原ドライブができるのだ。
たま~に、飯舘村のコープに立ち寄って、福島市内よりは少し安く買える飯舘牛を買って帰った。
(たま~に、ですよ、たま~に。)
阿武隈高地は、学生の頃によくぷらっと出かけた愛知県の山奥、奥三河の山々を思い出させる。
というより、たぶんわたしは、奥三河が阿武隈高地に似ているので、出かけたくなったのだと思う。
今は新城(しんしろ)市に合併された作手(つくで)村とか、茶臼山高原を通って、
長野県の飯田市に抜け、そこから中央道の長い長い恵那山トンネルを通って、
愛知県の自分のアパートに帰ってくる、というのがおきまりのコースだった。
長野の方からコメントいただいたり、恵那市のお母さまからマスクを送っていただいたりしたので、
学生の頃の懐かしい記憶がよみがえった。
ドライブのほとんどは、たったひとりだったけれど、わたしにはそれがしあわせな時間だった。
こちらの大学勤務も、そりゃあ、大学病院だからもちろん忙殺される毎日だったが、
大学だからこその地域関連病院への出張の行き帰りは、それなりに楽しむことができたのだ。
ろくでもないわたしの、たったひとつ、自慢できることは、
「ちいさなことでも、しあわせな気持ちになれる」ことかも知れない。
でも、今回ばかりは、しあわせな気持ちになることに、うしろめたさがある。
飯舘村のニュースを聞くと、あの懐かしい風景が目に浮かぶ。
一瞬、なつかしさに気持ちがなごむ。
でも。
今、その村のひとたちは、先の見通しがないまま、これからの生活をどうしたらいいのか、
それさえも、選ぶことができないでいる。
なつかしい思いは、どうしようもない憤りに変わる。
役場の方に尋ねたところ、まだ150人ぐらいの乳幼児たちがいるのだそうだ。
先日送られてきた手作りマスクは、飯舘村のお子さんたちに送った。
こんなことで有名にはなりたくなかった。
とりわけ最近は、飯舘村が有名になってしまった感がある。
(メディアでは「イイタテ」と言ってるが、地元では「イイダテ」と発音している)
飯舘村は、福島県の東より、阿武隈高地という高原の、まん中より少し北側に位置する。
この村の名前を知らなかった人も、「ダッシュ村」ならご存知であろう。
ダッシュ村の場所は下のコメントの通りわたしの大きな勘違いで、正確には浪江町。
関係者の方々、申し訳ございません。
わたしは、ジャニーズのお兄ちゃんたちは、スマップと昔のジャニーズの方々以外は、
誰が誰だかほとんど区別がつかないのだが、おかげで「TOKIO」はわかるようになった。
飯舘村は高原なので稲作にはあまり適しないのだが、酪農に力を入れていて、
「飯舘牛」というブランドがある。
さらに、飯舘村で産まれた子牛たちが三重県や兵庫県に売られ、そこで育って、
「松阪牛」や「神戸牛」といったブランド牛になるのだそうだ。
大学勤務の頃、南相馬市の市立病院に出張があると、わくわくした。
なんたって、大好きな高原ドライブができるのだ。
たま~に、飯舘村のコープに立ち寄って、福島市内よりは少し安く買える飯舘牛を買って帰った。
(たま~に、ですよ、たま~に。)
阿武隈高地は、学生の頃によくぷらっと出かけた愛知県の山奥、奥三河の山々を思い出させる。
というより、たぶんわたしは、奥三河が阿武隈高地に似ているので、出かけたくなったのだと思う。
今は新城(しんしろ)市に合併された作手(つくで)村とか、茶臼山高原を通って、
長野県の飯田市に抜け、そこから中央道の長い長い恵那山トンネルを通って、
愛知県の自分のアパートに帰ってくる、というのがおきまりのコースだった。
長野の方からコメントいただいたり、恵那市のお母さまからマスクを送っていただいたりしたので、
学生の頃の懐かしい記憶がよみがえった。
ドライブのほとんどは、たったひとりだったけれど、わたしにはそれがしあわせな時間だった。
こちらの大学勤務も、そりゃあ、大学病院だからもちろん忙殺される毎日だったが、
大学だからこその地域関連病院への出張の行き帰りは、それなりに楽しむことができたのだ。
ろくでもないわたしの、たったひとつ、自慢できることは、
「ちいさなことでも、しあわせな気持ちになれる」ことかも知れない。
でも、今回ばかりは、しあわせな気持ちになることに、うしろめたさがある。
飯舘村のニュースを聞くと、あの懐かしい風景が目に浮かぶ。
一瞬、なつかしさに気持ちがなごむ。
でも。
今、その村のひとたちは、先の見通しがないまま、これからの生活をどうしたらいいのか、
それさえも、選ぶことができないでいる。
なつかしい思いは、どうしようもない憤りに変わる。
役場の方に尋ねたところ、まだ150人ぐらいの乳幼児たちがいるのだそうだ。
先日送られてきた手作りマスクは、飯舘村のお子さんたちに送った。