ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

事業仕分けの疑問・学力テスト

2009年11月25日 | Weblog
政権が替わり、事業仕分けの様子が連日のように報道されます。
わたしたちの税金の使い道が、無駄のないように検討されるのは、大いに歓迎すべきところ。
でもさ。
なんか、疑問なんだよね。
一見無駄と思われることでも、
10年・100年先のことを見据えた研究なり仕事は必要でしょう。
なんでもかんでも、「まず削除・削減ありき」でとらえていませんか?

そのひとつが、スーパーコンピューターの開発の縮減と学力テストの大幅縮減。

こんなこと書くと、アンタはイシャだから、勉強ができたから、そう思うんでしょ、
って言われそうだけど、そうじゃない。

競うことは、いけないことですか?

スポーツ少年団は?
サッカーは?
野球は?
中体連は?
インターハイは?
国体は?
箱根駅伝は?
ワールドカップは?
オリンピックは?
さまざまな、コンクールは?

学問や学力は、競ってはいけないのですか?

競うことで、自分の位置がわかり、それを励みにしてさらに上を目指す。
自分のために。

人を見下すのではなく、自分の励みとして、自分の位置を知る、
そのひとつとしての学力テストなのではないですか?

勉強ができることがエライのではなく、自分自身のためのものとしての学力テストなのだ、
と、児童生徒に教育するのが、先生方のお仕事でしょう。

社会に出れば、あらゆる場面で競わなければなりません。
悔しい思いも、情けない思いもします。
そのトレーニングのひとつとしてとらえても、いいじゃないですか。

日本国憲法で謳っている「人は皆平等」という文言、
これは、「みんなが同じ」ということではないはず。
それを、何か勘違いしてませんか?

人はみんな、ひとりひとり、違うのです。違って当たり前なんです。
違うことは、悪いことじゃない。
かけっこが遅いことも、算数ができないことも、人として劣っていることじゃない。

あれは、息子が小学校に入学して初めての運動会の時のことでした。
私に似て運動神経が欠如しているひ等しい息子が、なんと、かけっこで2等賞でした。
「すごいねぇ!! 頑張ったねぇ!!」
親バカですから、心から喜び、息子の健闘を讃えました。
でもね。
よくよくその内容を後で知ると、
あらかじめ行った体力テストで、タイムの速い児童、遅い児童、のグループに分けて、
かけっこのグループを決めていたのです。
これでは、意味がないでしょう。
一等賞もいれば、ビリもいる。
それが、世の中です。
でも、一等賞もビリも、人の価値としての優劣ではないのです。
それを小学校の時に教えずに、見せかけの平等で大事な子ども時代を過ごしたら、
いざ世の中に出て、本当に競わなければならない時に、心が付いて行きますか?

わたしは、可哀想に思いましたが、息子に言いました。
あのね、2等賞は、本当のオマエの実力ではないんだよ。
でも、頑張って走ったのは、偉かったね。

1年生の息子には、はじめピンとこなかったようでしたが、
学年が進むにつれて、母の言ったことを理解していたようです。

スポーツや芸術を競いあうように(正確には、芸術は競い合うものではないと思いますが)、
学力だって、競い合っていいと思います。
そこで、人を見下すことなかれ、と教え続けること、それが一番大切なことだと思う。
わたしがかつてK先生から教わったように・・・。
いい意味での競い合いがなければ、学力の向上も望めないでしょう。
今現在の子ども達の学力が向上しなければ、日本の将来はどうなるのですか。

ここで言う学力とは、判断力や創造力につながる総合的な学力という意味です。
その基礎となるのが、小学校で学ぶ、「読み書きそろばん」なのだと思います。
学力テストは「読み書きそろばん」の力試しではなのいですか?

何度でも言います。
学力を上げるためには、学力テストは必要です。
今現在の自分の位置がわからなければ、その後の方針も立てにくい。
これは、スポーツなら当たり前のことでしょう。
マラソン選手が時々後ろを振り返るのだって、そうでしょう。
国策として子どもの学力を上げることが無駄とは、わたしには思えないのですが。
(都道府県別ランキングとかは、どうかな~、とは思うけど)