山代中ブログ~伊万里市立山代中学校~

学校の日常の様子や山代の行事・歴史や自然等について、いろいろな記事を掲載しています。

上棟式

2010年04月25日 16時30分57秒 | 自然と歴史

 昨日、近所で新築祝いの上棟式がありました。棟上の日は、近所の人を招いてお祝いをやるのが、昔からの慣例です。

 その際、「もちまき」があります。新築の二階や屋根の上からビニール袋に包んだもちがたくさん投げられます。下で待ち受けた人たちは先を争ってそれを拾います。中にはなかなか拾うことができない子どももいますが、大人が拾ってあげたり、自分が拾ったものをあげたりで、この短い時間に、競争と思いやりの精神が発揮されるのです。

上級生が下級生に自分のもちを分けてあげることもあります。家に帰って、兄弟でもちの個数を自慢しあったりもしたものです。近頃はお菓子や、穴の開いた硬貨(5円玉や50円玉)がまかれて、得した気分になります。

 伝統行事にふれたひと時でした。

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山代エンサイクロペディア(改2010/2/20)

2010年02月20日 08時16分46秒 | 自然と歴史
この山代中ブログでは、山代町の歴史にまつわることや名所旧跡・お祭り・地名の由来、そして、自然について紹介しています。

 それらの記事を「山代エンサイクロペディア」としてまとめてみました。下の0~⑳#21~#25の索引をクリックしていただければ、紹介文を見ることができます。

※ ブログの中の動画は、生徒が作成した作品です。

<山代エンサイクロペディア>

0 学校紹介  地名の由来  小島古墳
 城山・飯盛神社  楠久津の漁民  伊万里県と西山代村

⑥-1 山代町の炭鉱1

⑥-2  山代町の炭鉱2
    (動画有り)

 川南造船所
  (動画有り)
 佐代姫伝説
    (動画有り)
 ミニミニがらくた資料館 
(山代の隠れた名所)
⑩ 伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気
 久原の大念仏  霧寄(きりよせ)神社まつり  楠久穴海岸の塩生植物 (珍しい・・・)
 伊万里湾総合開発計画 -1- 伊万里湾大橋 ⑮  伊万里湾総合開発計画 -2- 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区  チューリップ畑
 (来年の春も・・・)
⑰  石炭と地滑り
   (おすすめ)
⑱  山代の地名1
  <山代町
⑲  山代の地名2
  <楠久(くすく)

⑳ 山代の地名3
<城(じょう)・峰(みね)
・鳴石(なるいし)>

#21 山代の地名4
 <城山>
#22 山代の地名5
  <久原>
#23 山代の地名6
   <立岩>
#24 山代の地名7
  <地名の特色>
#25 youtube に
見る山代町の動画

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山代の自然と歴史24~youtube に見る山代町の動画~

2010年02月07日 10時58分58秒 | 自然と歴史

 このブログの『自然と歴史』のカテゴリーでは、山代町にまつわる事をいろいろと紹介しています。

 今回は、youtubeという動画サイトから山代町に関係ある動画をいくつか紹介したいと思います。なお、ここから先に示しているアドレスのページは、パソコンで見ていただくことになります。

○ 二里町から山代町方面(山代東小前)へ自動車の車窓から
   http://www.youtube.com/watch?v=HnvOAs_XC-A&feature=related

○ 瀬戸町から伊万里湾大橋を渡って楠久へ自動車の車窓から
   http://www.youtube.com/watch?v=AbonmVKgCjI

○ 伊万里湾大橋をわたった後から浦ノ崎方面(久原踏切、川南造船所前を通って)へ自動車の車窓から
   http://www.youtube.com/watch?v=fttXvbg76jo

○ 歌の背景にイメージビデオとして浦ノ崎周辺が映っています
   http://www.youtube.com/watch?v=EDyC03EMLJU

○ 伊万里から平戸を経由して佐世保まで走っている松浦鉄道の映像です
  http://www.youtube.com/watch?v=0FClO5GTvi0

 インターネット上には、山代町にまつわる画像や動画が、まだまだたくさんあるようです。

 最後に、以前紹介した「久原大念仏」について、『ひびの』(佐賀新聞 情報コミュニテー)に昨年12月1日の山ン寺「党祖まつり」の記事がありますので紹介します。
  http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1486469.article.html

※ 関連記事:23~山代の地名⑦地名の特色~22~山代の地名⑥立岩~ /21~山代の地名⑤久原~20~山代の地名④城山~19~山代の地名③城(じょう)・峰(みね)・鳴石(なるいし)~18~山代の地名②楠久(くすく)/17 山代の地名①山代町16 石炭と地滑り15 伊万里湾総合開発計画 ② 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区14 伊万里湾総合開発計画 ① 伊万里湾大橋 /13 楠久穴海岸の塩生植物 /12 霧寄(きりよせ)神社まつり /11 久原の大念仏 /10 伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気 /9 山代町の炭鉱 その2 / 8 佐代姫伝説 /7 川南造船所 /6 山代町の炭坑 /5 伊万里県と西山代村 / 4 楠久津の漁民 / 3 城山 飯盛城址 / 2 小島古墳 / 1 城山・伊万里湾大橋

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山代の自然と歴史23~山代の地名⑦地名の特色~

2010年01月17日 21時22分59秒 | 自然と歴史

私たちの住む山代町は、山と海に挟まれ、谷あいには川が流れ、そして、松浦党をはじめとして、いろいろな歴史をたどってきた町です。このような地域に住んだ私たちの祖先は、それぞれの土地にどのような名前をつけたのでしょうか。

○岩・石・樹木などをあらわす地名
「岩」のありさまが地名になっているものとして、「立岩」。樹木の名前が地名になったと思われる、「楠久」があります。

○狩り・漁・牧にちなむ地名
波瀬」は、江戸時代に干拓されるまでは遠浅の入江で「竹波瀬漁」という漁が行われていたことによる地名と思われます。立岩の「牧ノ地」は、古い牧場のあとでしょう。

○人がつくった施設にちなむ地名
楠久津」は江戸時代はじめから港町として発展しました。ここは佐賀藩にとって重要な港だったので津方役所がおかれていました。

○信仰の対象がつけられている地名
昔あった寺や坊の名がそのまま地名として残ったものとして、「ぶつ尺寺」があります。

○史実や伝説に由来する地名
久原には、「御手水(おちょうず)」と「休石」というところがあり、江戸時代に平戸藩主が通るとき、いつもここで休憩していたといわれています。

○人の名前にちなむ地名
立岩の「駒次郎」、西分の「筒次郎」は開発者の名前がつけられた地名と思われます。

その他の地名には、何か言われがるのでしょうね。

「山代町」内の詳細は、『山代エンサイクロペディア』をご覧ください。

<このブログに用いた写真や地図、内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第7集 地名編ー」から引用しています。>

※ 関連記事:22~山代の地名⑥立岩~ /21~山代の地名⑤久原~20~山代の地名④城山~19~山代の地名③城(じょう)・峰(みね)・鳴石(なるいし)~18~山代の地名②楠久(くすく)/17 山代の地名①山代町16 石炭と地滑り15 伊万里湾総合開発計画 ② 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区14 伊万里湾総合開発計画 ① 伊万里湾大橋 /13 楠久穴海岸の塩生植物 /12 霧寄(きりよせ)神社まつり /11 久原の大念仏 /10 伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気 /9 山代町の炭鉱 その2 / 8 佐代姫伝説 /7 川南造船所 /6 山代町の炭坑 /5 伊万里県と西山代村 / 4 楠久津の漁民 / 3 城山 飯盛城址 / 2 小島古墳 / 1 城山・伊万里湾大橋

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山代の自然と歴史22~山代の地名⑥立岩~

2010年01月09日 18時52分23秒 | 自然と歴史

立岩」は、山代町の北部に位置し、石倉山のりょう線で長崎県松浦市に接しています。

炭鉱があった「向山」と海にのぞむ「浦ノ崎」は立岩の小字名で、川南造船所の社宅あとが「川南」の地区です。

「立岩」の地名は石倉山のふもとの洞窟に「立っている砂岩の柱」からとったとされますが、立岩の集落は、佐用川をはさんで南側にある丘陵地帯に集まっています。

立岩の浜には松浦佐代姫(佐用姫)が漂着した伝説にちなんだ「佐代姫塚」や「佐代姫神社」があります。また「佐代田原」や「佐代ノ上」「佐代搦」「黒藻」「黒藻搦」「佐代川」の地名があります。

松浦党の時代には、山代氏の家臣、内薗氏にゆかりの地名、「内薗」や「門ノ上」「屋敷内」「上屋敷」「馬場」などがあり、「牧ノ地」は久原の「牧ノ地」に接しています。

「山代町」内の詳細は、『山代エンサイクロペディア』をご覧ください。

<このブログに用いた写真や地図、内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第7集 地名編ー」から引用しています。>

※ 関連記事:21~山代の地名⑤久原~20~山代の地名④城山~19~山代の地名③城(じょう)・峰(みね)・鳴石(なるいし)~18~山代の地名②楠久(くすく)/17 山代の地名①山代町16 石炭と地滑り15 伊万里湾総合開発計画 ② 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区14 伊万里湾総合開発計画 ① 伊万里湾大橋 /13 楠久穴海岸の塩生植物 /12 霧寄(きりよせ)神社まつり /11 久原の大念仏 /10 伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気 /9 山代町の炭鉱 その2 / 8 佐代姫伝説 /7 川南造船所 /6 山代町の炭坑 /5 伊万里県と西山代村 / 4 楠久津の漁民 / 3 城山 飯盛城址 / 2 小島古墳 / 1 城山・伊万里湾大橋

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山代エンサイクロペディア(改2010/1/6)

2010年01月06日 22時42分21秒 | 自然と歴史
この山代中ブログでは、山代町の歴史にまつわることや名所旧跡・お祭り・地名の由来、そして、自然について紹介しています。

 それらの記事を「山代エンサイクロペディア」としてまとめてみました。下の0~⑳#21#22の索引をクリックしていただければ、紹介文を見ることができます。

※ ブログの中の動画は、生徒が作成した作品です。

<山代エンサイクロペディア>

0 学校紹介  地名の由来  小島古墳
 城山・飯盛神社  楠久津の漁民  伊万里県と西山代村

⑥-1 山代町の炭鉱1

⑥-2  山代町の炭鉱2
    (動画有り)

 川南造船所
  (動画有り)
 佐代姫伝説
    (動画有り)
 ミニミニがらくた資料館 
(山代の隠れた名所)
⑩ 伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気
 久原の大念仏  霧寄(きりよせ)神社まつり  楠久穴海岸の塩生植物 (珍しい・・・)
 伊万里湾総合開発計画 -1- 伊万里湾大橋 ⑮  伊万里湾総合開発計画 -2- 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区  チューリップ畑
 (来年の春も・・・)
⑰  石炭と地滑り
   (おすすめ)
⑱  山代の地名1
  <山代町
⑲  山代の地名2
  <楠久(くすく)

⑳ 山代の地名3
<城
(じょう)・峰(みね)
・鳴石(なるいし)>

#21 山代の地名4
 <城山>
#22 山代の地名5
  <久原>

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山代の自然と歴史21~山代の地名⑤久原~

2010年01月05日 21時35分25秒 | 自然と歴史

「久原」は,山代町の中部に位置し,山代町内で最も広い地区です。『慶長肥前国絵図』には「久原 楠久ノ内」と書かれています。地名の由来はよくわかっていません。

江戸時代の元和3年(1617年)から小城藩領になりました。延宝元年(1673年)には,小城藩士の馬渡百郎左右衛門が城山の背後に大規模な田代池をきずきました。それからは久原の農地の灌漑が安定しました。また,地区内の「大波瀬搦」や「小波瀬搦」は宝暦から明和(1751~1771年)にかけての干拓地です。

久原の石炭(関連  の発見ははやく,文化から文政(1804~1829年)にかけて,瀬戸内の塩たき用として石炭が移出されました。天保10年(1839年)ごろは,炭坑は7カ所もありました。炭坑の持ち主の名にちなんで「弥右衛門山(やいもんやま)」「お崎ノ谷」という地名が残っています。炭坑は明治,大正,昭和と繁栄し,昭和30年代まで続きました。

久原は明治22年(1889年)に1つの行政区となりました。第2次世界大戦の炭坑景気による人口の増加で,昭和19年(1944年)に3つの区に分かれました。現在の久原1区(高田,原,堀田),久原2区(下場,上揚,布蘭),久原3区(波瀬)です。

久原の西側に,飯を盛ったような形をした「城山」があります。源直(みなもとなおす)が城を構えた山といわれ「飯盛城」と呼びました。直は城山西側に飯盛神社を建てたと伝えられ,そのあとが残っています。

竜蔵寺隆信にやぶれた山代虎王丸貞が現在の北方町芦原に移されたあと,領民たちは,この神社を城山の南側のふもとにまつりました。その後,この神社のある場所を「飯盛」と呼ぶようになりました。さらに明治9年81876年),飯盛神社は久原の原に移され,現在にいたっています。

「山代町」内の詳細は、『山代エンサイクロペディア』をご覧ください。

<このブログに用いた写真や地図、内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第7集 地名編ー」から引用しています。>

※ 関連記事:20~山代の地名④城山~19~山代の地名③城(じょう)・峰(みね)・鳴石(なるいし)~18~山代の地名②楠久(くすく)/17 山代の地名①山代町16 石炭と地滑り15 伊万里湾総合開発計画 ② 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区14 伊万里湾総合開発計画 ① 伊万里湾大橋 /13 楠久穴海岸の塩生植物 /12 霧寄(きりよせ)神社まつり /11 久原の大念仏 /10 伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気 /9 山代町の炭鉱 その2 / 8 佐代姫伝説 /7 川南造船所 /6 山代町の炭坑 /5 伊万里県と西山代村 / 4 楠久津の漁民 / 3 城山 飯盛城址 / 2 小島古墳 / 1 城山・伊万里湾大橋

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山代の自然と歴史20~山代の地名④城山~

2009年12月27日 21時20分23秒 | 自然と歴史

 「城山」は,久原の西方にある山で,その形から「山代富士」とも呼ばれ,頂上付近には「飯盛城」の遺構があります。

 ここは松浦党の二代目,源直が平安時代の末期に城を築いたとされています。直の六男の囲以後は代々,山代氏を名のり,約五百年間,この地を本拠地にしました。

 中腹には,城があったことからの呼び名とされる「勘左衛門屋敷(かんじゃあやしき)」や「楠(久)殿屋敷」という地名があります。また,頂上から南へ下る「穴道」と呼ばれるトンネル状の通路跡が今も残っています。これは当時の抜け道と考えられています。

 城山の西隣にある「馬洗川」という地名は,この中を流れる川が,飯盛城の家来たちの「馬洗い場」だったことからついたと思われます。

「山代町」内の詳細は、『山代エンサイクロペディア』をご覧ください。

<このブログに用いた写真や地図、内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第7集 地名編ー」から引用しています。>

※ 関連記事:19~山代の地名③城(じょう)・峰(みね)・鳴石(なるいし)~18~山代の地名②楠久(くすく)/17 山代の地名①山代町16 石炭と地滑り15 伊万里湾総合開発計画 ② 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区14 伊万里湾総合開発計画 ① 伊万里湾大橋 /13 楠久穴海岸の塩生植物 /12 霧寄(きりよせ)神社まつり /11 久原の大念仏 /10 伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気 /9 山代町の炭鉱 その2 / 8 佐代姫伝説 /7 川南造船所 /6 山代町の炭坑 /5 伊万里県と西山代村 / 4 楠久津の漁民 / 3 城山 飯盛城址 / 2 小島古墳 / 1 城山・伊万里湾大橋

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山代の自然と歴史19~山代の地名③城(じょう)・峰(みね)・鳴石(なるいし)~

2009年12月26日 21時15分52秒 | 自然と歴史

 『貞享4年(1687年)改明和9年(1772年)改補 郷村帳』に「城村」「城ノ峯村」「成石村」と記してあります。「城」や「峰」は、国見山からつづく西ノ嶽山地の東側斜面にある集落です。

 このあたりは,天正四年(1576年)に龍造寺の軍勢が攻めてきたとき、敵味方で斬り合う激戦となった古戦場といわれています。地名に「北切寄」「腹干場(はらほしば)」「見原(みばる)」などがあり、「切寄の池」や「千人塚」「霧寄(切寄)神社」があります。

 「成石(鳴石)」は、戦に敗れた山代氏の家来たちが,城からうつって漁業に従事したところといわれ,漁船の進水式では霧寄神社が見えるところに船を止めて大漁と安全を祈願したといわれています。12月4日の霧寄せ神社の大祭は、城の人々とともに鳴石地区の人々も参加して行われています。

「山代町」内の詳細は、『山代エンサイクロペディア』をご覧ください。

<このブログに用いた写真や地図、内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第7集 地名編ー」から引用しています。>

※ 関連記事:18~山代の地名②楠久(くすく)/17 山代の地名①山代町16 石炭と地滑り15 伊万里湾総合開発計画 ② 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区14 伊万里湾総合開発計画 ① 伊万里湾大橋 /13 楠久穴海岸の塩生植物 /12 霧寄(きりよせ)神社まつり /11 久原の大念仏 /10 伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気 /9 山代町の炭鉱 その2 / 8 佐代姫伝説 /7 川南造船所 /6 山代町の炭坑 /5 伊万里県と西山代村 / 4 楠久津の漁民 / 3 城山 飯盛城址 / 2 小島古墳 / 1 城山・伊万里湾大橋

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山代エンサイクロペディア(改2009/12/10)

2009年12月10日 10時45分34秒 | 自然と歴史

 山代中ブログでは、山代町の歴史にまつわること、名所旧跡、お祭り、そして、自然について紹介しています。

 それらの記事を「山代エンサイクロペディア」としてまとめてみました。下の①~⑲の索引をクリックしていただければ、紹介文を見ることが出来ます。

<山代エンサイクロペディア>

0 学校紹介 ① 地名の由来 ② 小島古墳
③ 城山・飯盛神社 ④ 楠久津の漁民 ⑤伊万里県と西山代村
⑥-1 山代町の炭鉱1 ⑥-2 山代町の炭鉱2 ⑦ 川南造船所
⑧ 佐代姫伝説 ⑨ ミニミニがらくた資料館 ⑩伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気
⑪久原の大念仏 ⑫霧寄(きりよせ)神社まつり ⑬楠久穴海岸の塩生植物
⑭伊万里湾総合開発計画 -1- 伊万里湾大橋 ⑮伊万里湾総合開発計画 -2- 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区 ⑯チューリップ畑
⑰石炭と地滑り ⑱山代の地名1<山代町 ⑲山代の地名2<楠久(くすく)

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