中世(平安時代の終わりから鎌倉・室町時代)、西九州一円に確固たる勢力を誇っていた一族、松浦党。彼らは、源久(みなもとのひさし)という武士を、自分たちの共通の祖先とする一族といわれ、倭寇と呼ばれる海賊として朝鮮半島や中国大陸沿岸にまで行って交易をしたり、元寇で活躍したりとあり・・・少し調べただけでも魅力ある一族です。
山代町一帯も松浦党と関係が深いところです。山代中から南西に見える城山(・・・容姿が富士山に似て美麗なことから山代富士(標高346メートル)と呼ばれています・・・)、この山頂に、約850年前に松浦党の二代党祖の源 直(みなもとのなおす)が築き、直の六男で山代郷の大部分を支配した山代囲(かこう)から約400年間にわたって守りの要であった山城、飯盛城の城趾があります。この城は、このあたりの地名をとった下松浦党山代氏の拠点となったところといわれています。
また、以前にボランティア清掃を行った飯盛神社も松浦党にゆかりの神社です。
<この記事の内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第6集 歴史編ー」から引用しています。>
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