山代中ブログ~伊万里市立山代中学校~

学校の日常の様子や山代の行事・歴史や自然等について、いろいろな記事を掲載しています。

山代の自然と歴史16~石炭と地滑り~

2009年11月28日 09時02分25秒 | 自然と歴史

 このブログで以前紹介しましたように、山代地区では以前、石炭が採掘されていました。また過去に、大がかりな地滑りによる災害がおきています。下の写真は、昭和26年に発生した地滑りで、山頂部から発生し、崩壊した土塊が乙女・平古場地区に達し、二級河川佐代川を埋塞し、堆積土塊の厚さは50mに達したと言われています。


(国土交通省のHPより引用)

 そこで、なぜ石炭が採掘され、地滑りが多いのか?この地域の地質と形成過程を調べてみました。なお、以下に示す模式図及び説明文は、『黒髪山系の植物』の著者・松尾優 様のHPより転載しています。

古生代から中生代において、佐賀県西部から長崎県北部を広く覆った基盤層があった。その基盤層は砂岩、礫岩、凝灰岩などの堆積層とわずかな讃岐岩などの火山岩により成り立っていた。

新生代になり、その上に陸上植物由来の石炭層を持つ佐世保層が堆積した。

その後、地域的な地殻変動によって、伊万里・西有田側から佐世保・世知原側へとゆるやかな下向きの地盤の傾斜が起こった。この地盤のひずみや応力を補正するために国見山系の東側・南東側に大きな断層が生まれた。この断層断面は国見山系の伊万里・西有田側の標高500m以下に露出している。そこにほぼ水平な帯状の石炭層も見られ、かつて石炭の採掘が行われていた。

これ以降は何度かの海面の上昇や広域な地殻変動による地盤の沈下や上昇を繰り返すことにより、海の時代が訪れているものと思われる。要するに砂岩や石灰を多く含んだ岩石などの堆積することとなる。

堆積層のできた後に、気象変動や地殻変動によって、陸化が起こる。そこにまず、腰岳や国見山系の玄武岩の噴火が起こったものと思われる。腰岳を中心とした玄武岩は現在の黒髪山系をほぼ覆う広い範囲に広がった。

⑥山代中学校のあたりから見える国見山系の東面は断層の露出面と思われる。それゆえ今日でも、地すべりの多発地帯となっていると思われる。

※ 松尾優 様には、HPに加えメールや電話でも詳しく説明をいただき、たいへん感謝しています。

<引用HP:『黒髪山系の植物』(http://www14.ocn.ne.jp/~kurokami/index.html)>

※ 関連記事:15~伊万里湾総合開発計画 ② 久原北地区・久原南地区・浦ノ崎地区~14~伊万里湾総合開発計画 ① 伊万里湾大橋~13~楠久穴海岸の塩生植物~12~霧寄(きりよせ)神社まつり~11~久原の大念仏~10 ~伊万里はしぐれ、佐賀はからから天気~ /9~山代町の炭鉱 その2~ / 8~佐代姫伝説~ /7~川南造船所~ /6~山代町の炭坑~5~伊万里県と西山代村~ / 4~楠久津の漁民~ / 3~城山 飯盛城址~ / 2~小島古墳~ / 1~城山・伊万里湾大橋~

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1 コメント

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山代中学校近くの地質 (松尾 優)
2009-11-27 21:10:41
伊万里市南波多町の松尾と申します。
このブログに私の作成した地質形成模式図や考察文を掲載いただきましてありがとうございます。
追加ですが、山代中学校近辺の岩石の地質は「佐賀県地質図」によりますと、次のようになっています。
まず、海岸線から標高50~60mあたりまでが、佐世保層群のうちの中里層。それより高いところは同じ佐世保層群の世知原層。ともに石炭を含む層です。さらに高いところで、標高100m弱から山頂部までは(西岳)玄武岩ということになっています。表土は当然堆積層だと思います。
ただ、今もっていくつも疑問が残っているのです。山代中学校の東部の伊万里湾の奥行きと水深がかなり深いことには、有明海から伊万里湾に抜ける地溝帯の存在もあるのではないのだろうかと推測しています。
今後、皆さんのような新鮮な頭脳を持っている中学生の方が熱心に研究をされて、この郷土の地形や地質を研究し、解明してくれることを期待しています。
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