山代町の城(じょう)と峰(みね)の地域は、400百年あまり昔、佐賀の竜造寺隆信から攻められたとき、激戦があったところです。
このときの領主は、第14代山代 虎王丸貞(とらおうまるさだむ)で、13歳の少年でした。山代軍は、竜造寺軍を迎え撃つ防御線を城・峰地区にはり、決戦の構えを整えました。
戦いが近づき、山代軍は、12人の先祖の霊にゴクウサンをそなえて武運を祈り、気勢を上げました。
霧寄神社祭りとは、現在も城地区で行われています。
古戦場のある霧寄神社の秋の例祭12月4日に、一夜漬けの生米を7つの杵でついてヒトキという猪を型取った団子にします。それを焚火で焼いてほぐし、ご飯と混ぜます。それをゴクウサンにして、白なますとともに神前に供える祭りです。
<この記事の内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第3集 伝承編ー」から引用しています。>
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