山代中ブログ~伊万里市立山代中学校~

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山代の自然と歴史17~山代の地名①山代町~

2009年12月06日 07時39分26秒 | 自然と歴史

 「山代町」は、東側に伊万里湾、西側に国見山系からのびた西ノ嶽連山がひかえ、北部を長崎県松浦市に接しています。
 「山代」の呼称は、平安時代の末に松浦党二代目の源直(みなもとのなおす)が、「山ノ寺」をひらき、里に館を構えたときからと伝えられたいます。
 「山代」の地名が始めて記録に出てくるのは、建久三年(1192年)の『松浦山代家文書』です。その中で、源直の六男、源囲(みなもとのかこう)が鎌倉幕府から「山代浦地頭」の職に任命されたということが書かれています。

 「山代」といわれたのは、現在の東山代町と山代町の区域で、江戸時代には「山代郷」と呼ばれていました。
 山代郷は、明治12年(1879年)に西松浦郡に属することになり、明治22年(1889年)に「東山代村」と「西山代村」に分かれました。楠久津、楠久、福川内、城、峯(鳴石を含む)、久原、立岩(浦ノ崎、川南、向山を含む)、西分、西大久保、東分(野々頭を含む)の十か村が合併したのが「西山代村」です。村役場は現在の久原に置かれていました。

 西山代村は、昭和11年(1936年)に町制を敷き「山代町」となりました。昭和29年(1954年)には、町村合併で伊万里市「山代町」となりました。

 「山代町」内の詳細は、『山代エンサイクロペディア』をご覧ください。

<このブログに用いた写真や地図、内容については、伊万里市教育委員会が発行している「伊万里ふるさと読本ー第7集 地名編ー」から引用しています。>

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