後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「昔のビルマ、ミャンマーとは?銃撃により犠牲者多数」

2024年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム
昔のビルマは現在、ミャンマーという国です。軍事政権が支配しています。その軍隊が2021年にデモ隊を銃撃する事件が起きたのです。3年前の残忍な事件です。
2021年の4月4日までデモ隊を軍が銃撃し犠牲になった人は550人を超えました。ミャンマー国軍は残忍にもデモに参加している市民を容赦なく銃撃しました。子供だろうが、女性だろうが、ただの通行人だろうが銃口を向けたのです。(https://www.afpbb.com/articles/-/3340440?pid=23221381 )
テレビで軍人が市民を銃撃している光景を見た私は衝撃を受けました。戦場で銃撃しているのではなく平和な街で人を至近距離で撃っている光景は初めて見ました。

1番目の写真はデモの光景です。写真は2021年2月7日、ミャンマーの最大都市ヤンゴンで行われたクーデターへの抗議デモです。クーデターは2月1日に起きました。(https://www.tokyo-np.co.jp/article/84611 )

今日は軍が政権を握り市民を銃撃したミャンマーとはどんな国なのか簡単に書いてみます。
ミャンマーは第二次大戦中にアウンサン将軍らによってビルマという国名で独立しました。アウンサン将軍は「ビルマ建国の父」と言われています。この国の民主化をしたのがアウンサン将軍の娘のアウンサン・スーチーです。

2番目の写真は「ビルマ建国の父」と言われているアウンサン将軍です。

3番目の写真は民主化を主導したアウンサン・スーチーです。1945年にアウンサン将軍の娘として生まれました。
さて1989年に国の名前がビルマからミャンマーへ変わったこの国はどんな国なのでしょうか?
この国はインドシナ半島の西部にあり、約67万平方キロメートルの広さがあります。日本の約1.8倍です。人口は推定5404万人ほどで、米作りが盛んで、国民の約9割が仏教徒です。公用語はビルマ語ですが、1948年まで英国の植民地だったことから、英語を話せる人も多いのです。
人口のうち70%をビルマ族が占め、カチン族、シャン族、カレン族などの少数民族が25%を占めています。それ以外には中国人やインド人が暮らしています。

4番目の写真はミャンマーの稲作の風景です。

5番目の写真はお寺で僧たちが祈っている光景です。
このように平和な仏教国で何故残酷なことが起こったのでしょう。原因ははっきりしています。
「ビルマ建国の父」と言われているアウンサン将軍以来、国軍が長く独裁的に政権を握っていたからです。
1948年に英連邦に参加せずビルマ連邦共和国として独立したのち、1962年のクーデター後、ビルマ社会主義計画党のネ・ウィンの独裁政権となります。ネ・ウィンは事実上、軍事政権で1988年まで長期にわたって政権を握っていたのです。しかし1988年に民衆の民主化運動でネ・ウィン体制は崩壊しました。民主化を危惧したミャンマー国軍がクーデターを起こして軍事政権を開始し、国名をミャンマー連邦に改名したのです。
さてここで民主化の旗手、アウンサン・スーチーが登場するのです。
彼女は1988年3月に母が危篤との知らせを受け、病気の母を看護するためイギリスから4月2日にビルマに戻ります。
アウンサン・スーチーは8月26日にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向けて演説を行ったのです。
それに対抗して国軍がクーデターを起こし、ソウ・マウン議長を首班とする軍事政権が誕生しました。
民主化運動は徹底的に弾圧され、数千人の犠牲者が出たと言います。
その後いろいろなことがありましたが省略します。
結局、2011年には総選挙で軍事政権が敗北し正式に解散しました。そして名目上の文民政権が発足したのです。これにより拘束されていたアウンサン・スーチーや政治犯が釈放れます。
2015年に行われた画期的な選挙では、アウンサン・スーチーの党が両院で過半数を獲得したました。
しかしミャンマー軍は依然として政治に大きな影響力を持ち続け、2021年2月1日、ミャンマー軍はアウンサンスーチー国家顧問と大統領を拘束し、非常事態を宣言したのです。国軍トップのミン・アウン・フライン最高司令官がミャンマーのトップになったのです。
これに反対する多く市が各地で大規模なデモを繰り広げたのです。国軍は銃撃して徹底的に鎮圧しました。2021年2月1日、ミャンマー軍はアウンサンスーチー国家顧問と大統領を拘束し、軍事政権になり、それが現在も続いているのです。
以上がミャンマーの現状なのです。実に混乱した事態が続いている国なのです。

今日は軍が政権を握り市民を銃撃したミャンマーとはどんな国なのか簡単に書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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