後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「南アメリカのアマゾンの少数民族と山岳地のケチュア族」

2024年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は南米のアマゾン地域の少数民族と山岳地域に住むケチュア族をご紹介したいと思います。

ブラジルの大地にはアジアから移住して行ったモンゴル系の先住民族の暮らしがありました。1500年当時の先住民族の人口はブラジル全土で300万人以上だったといわれています。
さらに最近の研究ではアマゾン地域だけで800万人もの先住民族がいたという仮説すら出されています。
ブラジル全国の先住民族の現在の人口はおよそ90万人で、そのうち48%の人がアマゾンに暮らしています。
ブラジルの先住民族は、305の民族で274の言語という多様性な社会です。
1500年以降、植民地化が進められ先住民族は病気や虐殺などにより人口を減らしました。
1957年には、全国にわずか7万人が残るにすぎませんでした。その後、先住民族全体の人口は回復に転じましたが、小さな民族や言語の消滅はいまも進行しています。先住民族保護区は全国に505ヶ所あり、先住民族の57.7%がそこに暮らしています。
保護区の総面積は国土面積の12.5%にあたる107㎢で、うち98.33%がアマゾンに集中しています。カヤポ民族はアマゾン熱帯林保護への貢献が評価されて、2015年に国連が設置する「赤道賞」を受賞しました。
アマゾンの深い森にくらす先住民族は、森のめぐみと、森がはぐくむ川のめぐみを糧に生きています。畑で作物を育て、川で魚をとり、森のけものを狩る自給自足のくらしです。森の中の焼畑では主食となるマンジオッカ(キャッサバイモ)を作ります。家のすぐ裏の小さな畑ではサツマイモやカボチャなどを作ります。

先住民族の生活の中に祭りはとても重要な位置をしめています。死者の魂を送る祭り、3日3晩歌い踊り続ける女たちの祭り、子どもから大人になる通過儀礼、などなどです。祭りの背景には森羅万象に精霊が宿ると考えるアニミズムの世界観が横たわっています。祭りの日、ボディペインティングと羽根飾りの正装で身を整えた人たちで村は色鮮やかににぎわいます。写真はアマゾン地域の少数民族です。

1番目の写真はアマゾン地域の少数民族の家です。細い横木をはさみ込むようにして茅をかけていきます。骨組みは木の皮を剥いだものを縄のように使って縛りつけてあります。屋根を葺く材料はサペーと呼ばれるイネ科の植物です。村のまわりには茅場が何ヶ所かあって、大切に利用されています。

2番目の写真は祭りの踊りです。祭りの日、ボディペインティングと羽根飾りの正装で身を整えた人たちで村は色鮮やかににぎわいます。

3番目の写真は祭りの日の子供達です。子供達もボディペインティングと正装で身を飾ります。

4番目の写真も祭りの日の羽根飾りです。

さて次にクスコ周辺の山岳地に住むケチュア族をご紹介したいと思います。(https://www.andina-travel.com/blog/peru190825/ )

インカ帝国の時代、クスコは巨大な帝国の都として栄えました。そして近郊のウルバンバ谷は皇帝の避寒地として農作物の試験場として重要な役目を担いました。クスコやウルバンバ谷周辺は、インカ文明の中枢であったのです。

インカ文明を興したケチュア族は、今も南米大陸のアンデス山脈沿いに広く暮らしています。今もかつての生活風景を連想させるカラフルな民族衣装をまといケチュア族の文化を守り続けています。クスコから1時間も車を走らせると農村の風景が広がります。起伏に富んだ地形で畑を牛で耕し手作業で収穫をしています。
今もインカの神々への信仰を大切にしているので、農作業の間にも大地の神や太陽神への祈りを何度も見かけることができます。伝統文化と信仰は不可分であり神様と生活は一体なのです。先祖から伝わる祈りの道具を使いトウモロコシの発酵酒“チチャ”やコカの葉を大地に捧げ祈ります。アンデス山脈とケチュア族の繋がりに信仰を支えています。陽気に農作業をしながらも、どこか哀愁を感じさせる目で世界を見つめ少しシャイなのがケチュア族の人々の性格です。そんなケチュア族の写真をお送り致します。

5番目の写真はケチュア族の夫婦です。背景はアンデス山脈です。

6番目の写真は農作業の合間に女がトウモロコシの発酵酒“チチャ”を大地に捧げ祈っている場面です。

7番目の写真は男が収穫したトウモロコシの出来具合を見ている場面です。


今日は南米の平野のアマゾン地域の少数民族と山岳地のケチュア族をご紹介致しました。

 

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「北極圏に住むイヌイット民族の家と捕鯨」

2024年08月30日 | うんちく・小ネタ
現在、カナダで生活をする「イヌイット」は北極地方、特に北米大陸の北端と北極諸島沿岸部で生活している。地球上で最も寒冷な地域に太古の昔より居住、生活し続けて来た稀有な民族である。
その民族の家は2種類あり狩猟用の簡単な雪の家と定住用の集落にある立派な家があります。

1番目の写真は狩猟用の簡単な雪の家、イグルーとスノーモービルの写真でし。

2番目の写真は定住用の集落にある立派な家です。
イヌイット民族の伝統的な食生活は主に肉食で、主にオットセイやセイウチ、クジラ等を捕まえて食べていました。また、トナカイを狩る事もあります。ワシントン条約などで狩猟が規制されているイッカクなどの動物についても、イヌイットは狩猟が認められているのです。
近年は都市化が進み、スーパーマーケット等で食品を購入して食べています。
また、衣服や靴は古くは獣の皮を剥いで作った毛皮製の物でしたが、現在は洋服店や靴屋、ネット通販等で購入した市販の洋服や靴が一般的です。
さて北極海は栄養分が豊富なので、アザラシ、セイウチ、クジラなどが多く生息しています。イヌイットが多数の生活する地域はカナダのヌナブット準州です。
日本の面積の5.5倍の広大な土地にイヌイット民族が3万2000人しか生活していないのです。
捕鯨活動の食文化の特徴は生食が中心であり料理といわれるものはほとんどありません。
脂肪を多く摂取し、植物繊維はあまりとらずに高タンパク質、高カロリー食です。狩猟した鯨の生肉もをみんなで分かち合うことも特徴です。捕鯨に関連した写真を4枚お送り致します。 

以上に北極圏に住むイヌイット民族の家と捕鯨をご紹介いたしました。

「私の趣味は民族の文化や社会を調べること、一例はタイ」

2024年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム
自分は若い頃からいろいろな民族に興味がありました。いろいろな民族の文化や社会を調べることが趣味でした。文化人類学が趣味でした。
いろいろな民族の日常的な行動や街の様子を調べると、その地域に根づく文化や社会などのしくみが分かるのです。「人間とはどんな生き物か?」ということ興味があるのです。現地の生活に入り込んで調査するフィールドワークにも興味があります。
そんな私の趣味で取り上げた民族は、ドイツ人、アメリカ人、アイヌ、中国人、そしてインドネシア、ベトナム、タイ、ミャンマーなどの諸民族です。
そこで日本の大乗仏教とミャンマー、タイ、ベトナムの上座部仏教の違いを分かり易く書いてみます。大乗仏教と上座部仏教の2つの決定的な違いは次の2つになります。

(1)上座部仏教では200以上の戒律を守らなければ釈迦の教えを理解し悟りの境地に至らないと教えています。戒律を守るために出家するのです。
一方、大乗仏教では殺生戒以外の戒律はありません。出家しなくても釈迦の教えを理解し悟りの境地に至ることが出来ると言う教義です。

(2)上座部仏教では釈迦を最高位に据えて崇拝します。
一方大乗仏教では全知全能の宇宙神の盧舎那仏や大日如来が人々を教え導くために釈迦になったという教義です。従って釈迦は宇宙神の化身です。誤解を恐れずに書けば釈迦は盧舎那仏や大日如来の部下なのです。家来なのです。このように大乗仏教では抽象的な概念が仏像になっているのです。これは中々理解し難い教義です。

そして大乗仏教の仏像には観音様や薬師如来や弘法大師像やお不動さんなど沢山あります。しかし上座部仏教では像は釈迦像だけです。ここが決定的違いです。

さて上記のことをもう少し厳密に示します。
上座部仏教では上記のように具足戒(出家者の戒律)を守る比丘・僧伽(サンガ(教団))と、彼らを支える在家信徒の努力によって初期の釈迦の教えを純粋な形で保存してきたとされています。
大乗仏教では後代の時代ごとに仏典やお経が作られましたが、上座部仏教では同一の内容のパーリ三蔵が継承されて来ています。

このように日本の大乗仏教とミャンマー、タイ、ベトナムの上座部仏教と比較してみると日本仏教の特徴が簡単に分ります。
3枚の写真はタイの托鉢の風景とお寺の写真です。写真はインターンットからお借りしました。



続いてタイ王国の風景をお送り致します。
首都バンコックの写真と地方の風景写真を4枚お送り致します。写真はインターンットからお借りしました。

さてタイと日本は第二次世界大戦の前から強い絆がありました。
1942年には日泰文化協定が締結され、柳沢健を館長に日泰文化会館がバンコクに建設されることになったのです。しかし日本の敗戦により完成しませんでした。
現在、タイにおける在留邦人は81,000人以上も住んでいます。(2020年10月)。世界有数の在留邦人社会があるのです。
タイは親日国なのです。、アサンプション大学ABACポール研究所の世論調査によると、タイ人が一番好きな国は日本なのです。
またタイは高度経済成長をしました。
経済の安定や外国企業の積極的な進出を背景に、1980年代以降の高度経済成長はすさまじく、1985年から1995年にかけての10年間、タイは年間平均9%の経済成長率を記録しました。
タイ統計局によると2015年のタイのGDPは約3,952億ドルであり、東南アジアではインドネシアに次ぐ経済規模です。同年の1人あたりのGDPは5,742ドルであり、隣国のカンボジア、ラオス、ミャンマーよりはるかに高い上、先述のインドネシアよりも高い数値となっています。
出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E7%8E%8B%E5%9B%BD でした。

今日は私の趣味は民族の文化や社会を調べることです。一例としてタイの文化や社会をご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)