後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「ヨットの走り方を示す動画を見ましょう」

2024年08月07日 | スポーツ
ヨットは風の力で走ります。風上へ45度の方向までは登れます。

ヨットの走り方を示す動画を見ましょう。
動画は、https://www.youtube.com/watch?v=HTirmIQd8GQ やhttps://www.youtube.com/watch?v=NSb22GWUxsg にあります。


「懐かしい葉山マリーナの写真」

2024年08月07日 | 写真
私は38年前の50歳の時、趣味としてヨットを始めました。始めは江の島のヨットスクールと葉山マリーナでディンギィの操船方法を1年間ほど習いました。それから中古のクルーザーを買ったのです。

懐かしい葉山マリーナの写真です。


「世界一のヨットレース、アメリカスカップと予選の写真」

2024年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム
世界一大規模で過酷なヨットレースはアメリカスカップと呼ばれ、その予選レースをルイヴィトン アメリカスカップ・ヨットレース と言います。
予選レースで優勝したヨットがアメリカスカップレースで前回の優勝艇に一対一の挑戦をするのです。
そこで勝った艇が次回のアメリカスカップレースまで美しい彫刻を施した銀のカップを保持します。
1851年にロンドン万博博覧会の時開催されたヨットレースでアメリカチームが優勝し始まったヨットクラブ対抗の世界一のヨットレースです。
そして132年間もの長い間アメリカ合衆国が優勝し続けました。
1992年から日本も参加しますが無残な結果に終わっていました。
しかし2016年にアジアで初めて福岡でルイヴィトン アメリカスカップ・ヨットレースが開催されたのです。
日本からはソフトバンク・チーム・ジャパンが出場し6位になりました。
優勝はニュージーランドチーム(Emirates Team New Zealand)でした。
そして2017年のアメリカスカップ・ヨットレースでは防衛艇のアメリカの艇オラクル号をニュージーランドチームが破り優勝したのです。
挑戦艇決定シリーズには1983年(第25回)大会よりルイ・ヴィトンが冠スポンサーについており、「ルイ・ヴィトンカップ」の名称で知られています。
2021年(第36回)ではスポンサーがプラダに交代し「プラダカップ」に名称が変更されましたたが、2024年(第37回)では元の「ルイ・ヴィトンカップ」に戻りました。

今日はアメリカスカップと予選のルイヴィトン・ヨットレースの写真をお送り致します。

1番目の写真は1881年のアメリカスカップに出場した前方の Mischief号と後方のAtalanta号です。アメリカのMischief号は全長67ft5inで、カナダのAtalanta号は全長70ftでした。アメリカが勝ちました。
写真の出典は、http://arumukos.la.coocan.jp/yachting/americascup/mrcscprcrd.html です。

2番目の写真は最近のアメリカスカップに使用されているタカラマン型ヨットの写真です。昔のヨットの船体はクラシックな単一型の船体ですが最近はスピードの出る双胴型のヨットが使用されています。以下の写真でのヨットは全て巨大な双胴型のヨットで時速50Km以上で帆走出来るのです。

3番目の写真はアメリカスカップワールドシリーズ福岡大会に出場したソフトバンク号です。
アジアで初の開催となるヨットレースの世界最高峰の戦いが博多湾で開催されたのです。日本のソフトバンク号の写真です。
開催日は2016年11月18日(金)~20日(日)でした。

4番目の写真はスタート直後の写真です。日本の「ソフトバンク・チーム・ジャパン」が良いスタートをしました。
この世紀のイベントを目撃しようと、本番レース2日間で、海上からレースを見守る観覧艇延べ320艇、また地行浜(じぎょうはま)にも延べ1万4,000人を超えるたくさんの観客が押し寄せました。

5番目の写真は「ソフトバンク号」がアメリカのオラクル号の前を行く健闘ぶりの写真です。

日本のヨットのアメリカスカップでの今後の活躍を祈って終りとします。
尚日本は初参加した時の状況は次の本にあります。
山崎淳司著、写真、熊谷嘉尚、「栄光は風に」講談社1992年7月出版。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)

「趣味は人生を広げる、私のヨットの趣味」

2024年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日私のヨットの趣味について書いたところ今は亡き昔の友人の星野清一郎君の息子さんがヨットのヤマハ29の写真を送ってきました。星野君と一緒に帆走した懐かしいヨットです。星野君とは猪苗代湖で何度もセイリングをしたものです。その後彼は私のヨットにも来てくれました。霞ヶ浦で一緒に遊びましした。葉山の海や駿河湾でもセイリングをしました。
ヨットの趣味のおかげで星野君と親友になりました。そして友人が数多く出来たのです。趣味が私の人生を広げたのです。
今日はヤマハ29の写真と私のヨットなどの写真をお送り致します。

1番目の写真はヤマハ29の写真です。操舵装置が中央にある珍しい構造のヨットです。後ろのキャビンへ降りてゆくと大きなパーティ向きの部屋があり、炊事場がついています。
船尾が大きく湾曲して張り出していて、そこに大きなガラス窓が横並びについているのです。シャンパンやビールを飲みながら、美しい猪苗代湖が風波を立てている様子が眺められたのです。

2番目の写真は1988年に初めて買った19フィートのヨットです。琵琶湖で買って霞ヶ浦へ陸送したヨットです。1988年から1998年までの10年間乗りました。

3番目の写真は琵琶湖で買ったヨットの陸揚げした写真です。

4番目の写真は2台目のヨットの「ルナ3世」号です。長さ26フィートです。キャビンの広いヨットでした。

5番目の写真は「ルナ3世」号のキャビンの炊事コーナーです。

6番目の写真はハンスクリスチャン41型のヨットです。
2009年4月に初めて艇長のHootaさんとを一緒にビールを飲んだものです。この写真は駿河湾の沼津までセイリングした時の写真です。

7番目の写真はシナーラの舵輪を握っている家内と私です。このヨットはイギリス製で全長約33.5m、全幅約5.7mで総トン数73.4トンです。
シナーラが90歳を迎えた2017年、海から上架しレストア作業を開始し、2020年3月に完成しました。

今日は私のヨットの趣味について書きました。やく25年間続けた趣味でした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)