後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「まともな人々も沢山住んでいる尊敬すべき韓国」

2024年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人の一部には韓国人を蔑んでいる人がいます。他の人を蔑むことで自分の人格を傷つけていることに気が付いていないのです。
しかし韓国にはまともな人々や立派な人々も沢山住んでいるのです。
今日はこの当たり前のことを説明したいと思います。
言葉でクドクド説明しないで写真で説明します。
1番目の写真は2011年の東日本大震災の直後の韓国の街頭募金の写真です。
注意深くこの写真を見ると募金を受け付けている左の3人は黒い喪服を着ているのです。
2万人以上の死者の出た大震災ですから死者の冥福を祈って喪服を着ているのでしょう。
私は韓国人の礼儀正しさに感銘を受けました。
2番目の写真も大震災の直後の韓国の街頭募金の写真です。日本へ贈る救援物資の袋を受け取っている光景です。全員は黒い喪服を着ています。
以上2枚の写真は、http://cadot.jp/impression/1794.html?detail から転載いたしました。
この2枚の写真を見て私は韓国にはまともな人々も沢山住んでいると確信しました。
そこで彼等の日常の生活を調べました。
3番目の写真は韓国のスーパーマーケットの風景です。
写真の出典は、http://www.tsu-itc.org/test001/kokusai/A12_4.htm です。
写真を注意深く見ると買った品物を入れて運ぶカートはアメリカのスーパーと同じものです。日本の物より大きいのです。
しかし買い物カゴは日本と同じです。案外カートも買い物カゴも韓国で作ってアメリカや日本へ輸出しているのかも知れません。
日常生活では日本と同じようで面白くありません。
そこで韓国の伝統行事の秋夕と墓参りを調べてみました。
4番目の写真葉は9月の秋夕の折りに勢ぞろいした家族の写真です。
出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/dkntmoris19219/54490153.html です。
秋夕は日本のお盆に似ていますが韓国では一年で一番重要な祝日です。旧暦の8月15日なので新暦では9月下旬に当たります。正確な日は年のよって変化します。
この秋夕では一家揃って先祖の墓参りや供養をします。そして親戚を訪問したりします。多忙な楽しい祝日を過ごします。
若者達は久しぶりに会った親戚から小遣いを貰って街に繰り出してショッピングを楽しんだり映画を見たりと楽しみます。「秋夕」は楽しい思い出になるのです。
韓国人にとって、ソルラル(旧正月)と並ぶ代表的な祝日です。
親戚一同が故郷に集まっての先祖の墓参りや秋の収穫に感謝したりする韓国人の一大祝日なのです。
「秋夕」の歴史は、古く新羅時代(紀元356年~935年)に始まったといわれており、この風習が継承されるようになったと言われます。
5番目の写真は一族揃っての墓参りも光景です。
写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/talentgiver2/4498029.html です。
日本でもお盆になるとお墓参りに行きますが、韓国でも茶礼を終えて朝ご飯を食べた後に一族全員でお墓参りに行きます。
最近では家族全員でお墓参りに行く家庭が少なくなっていますが地方に行くとまだこういった伝統的な風習が残っています。
韓国では儒教の考えで遺体を壊すことを嫌い土葬が一般的に行われてきました。そのためお墓は山の斜面で盛り土になっています。しかし、今では80%以上の人が火葬を選んでいます。
土まんじゅう型のお墓の前で、清酒やお供え物をささげ、その場でひざまずいてお辞儀をします。この土下座は敬意をこめた最上級の礼なのです。
日本でも失敗をして消費者に被害を与えた会社の社長が記者会見で時々土下座しますがスタンドプレイのようです。韓国の土下座は純粋に祖先を敬い感謝しているのです。
まともな人々も沢山住んでいる韓国についてもっと書きたいことがありますが、今日はこれで終わりにします。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「恩を絶対に忘れなかったある韓国人、金鉄佑さんのことなど」

2024年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は恩を絶対に忘れなかったある韓国人の思い出を書いてみたいと思います。それは韓国の浦項製鉄所の技術研究所の所長をしていた金鉄佑さんのことです。
金鉄佑さんは2013年の暮れに亡くなりましたが忘れ得ぬ人です。
浦項総合製鉄は現在、英語名の「Pohang Iron and Steel Company Limited」を略してPOSCO、ポスコと呼ばれている大会社です。
さて話の発端は1962年から1966年の昔のことです。当時、六本木に東京大学工学部付属研究所の「生産技術研究所」がありました。そこは現在、国立美術館になっております。
その生産技術研究所の製鉄部門の雀部高雄教授の研究室に金鉄佑さんが所属していました。私も東大の工学部で製鉄技術を専門にしていたので雀部教授の研究室によく遊びに行っていました。
当時、金鉄佑さんは、その時代の韓国の政府の政策に反対する政治運動もしていたので、日本の警察に逮捕され拘置所に長く拘留されていたのです。
人情の豊かな雀部高雄教授はその弟子の金さんの釈放を求める署名運動をしました。常日頃、弱きを助ける雀部教授を尊敬していた私は進んで署名しました。
署名はしましたが長く釈放されなかったのです。そのうち私も東大を離れたので、その後の金鉄佑さんとは一度も会ったことがありませんでした。そして20年近い月日が流れました。
1984年に、突然、金さんから封書が届きました。知らなかったのですが彼はその後韓国に帰り、浦項製鉄所の技術研究所の所長になっていたのです。
そして私を韓国の金属学会の大会で講演するようにと準備万端整えて招待してくれたのです。
我々夫婦を招待して慶州のお寺や古墳群や、そして釜山や大邱やソウルの観光案内もしてくれました。案内してくれたのは韓さんという技師さんでした。浦項製鉄所では立派なゲストハウスに泊めてくれたのです。
私は始めて韓国を訪問したのでしたが人々の親切さに感銘を受けたものです。
金鉄佑さんとは雀部高雄教授の思い出話をしました。雀部教授はその当時には既に亡くなっていたのです。金鉄佑さんは雀部教授が亡くなってしまったので恩返しが出来なくなったと言うのです。
雀部教授は私の工学博士の論文の審査委員の一人でした。そんなこともあり金鉄佑さんは私を雀部教授の弟子だと思っていたのです。そこで雀部教授の代わりに私ども夫婦を韓国に招待したと言ったのです。私どもを招待したのは今は亡き雀部教授への恩返しをしたかったからです。
韓国は儒教の国で、人々は恩義を絶対に忘れないのです。恩返しをしようとした人が亡くなってしまったら、その恩人のゆかりの人々へ恩返しをするのです。何故か私は深く感動しました。それ以来、私は韓国人に親しみを感じるようになりました。
さて案内してくれた慶州のお寺や古墳群は日本と非常に似ています。その文化が日本へ渡来したのです。懐かしい故郷に帰ったような錯覚を覚えました。
大邱ではカトリック教会のミサにでて韓国の信者と一緒に祈りました。浦項製鉄所で泊まったゲストハウスには朴正煕大統領も泊まったそうです。朴正煕大統領は佐藤栄作総理と日韓基本条約を作り日韓両国の国交を正常化し、日韓友好を推進したのです。
ソウルでの韓国金属学会の総会は大規模なものでした。招待講演をしたことも思い出になりましたが、それ以上にそこで見た光景に感銘を受けたのです。
お昼の休み時間です。外の広い芝生の上に幾組ものグループが輪になって弁当を食べているのです。そして話合いの雰囲気に旧懐の情に溢れているのです。案内してくれた韓さんに聞くとそれぞれのグループは幾つかの大学の金属工学科を出た同窓生だそうです。
金属学会の総会で久し振りに会った旧友たちが集まって弁当を食べながら昔の思い出を語り合っているのです。何時もは違う会社で働いていてなかなか会えないのです。
この光景を見て、私は何故か非常にほのぼのとした気分になりました。韓国で見た忘れ得ぬ光景の一つになったのです。
今日は恩を絶対に忘れなかったある韓国人、金鉄佑さんの思い出を書きました。
今日の挿し絵代わりの写真は浦項総合製鉄、現在のポスコの風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平穏をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
追記します。
韓国最大の鉄鋼メーカー、ポスコの累計粗鋼生産量が2019年に初めて10億㌧を突破しました。創業から46年で実現した快挙です。製鉄所で作り出される粗鋼は、圧延や鍛造などの加工を施す前の鋼です。最終的には自動車や船舶をはじめ、電気製品などの耐久消費財や建築材料となるのです。「鉄は産業のコメ」といわれ、10億㌧の粗鋼生産は韓国の産業発展を下支えし製造業を世界的な水準に引き上げたのです。
1番目の写真はポスコ 製鉄所の夜景です。出典は、https://tanken.com/posco.html です。
2番目の写真は溶鉱炉の遠景です。出典は、https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61784090R20C20A7FFJ000 です。
3番目の写真は溶鉱炉の羽口の写真です。
出典は、https://mottokorea.com/mottoKoreaW/Business_list.do?bbsBasketType=R&seq=93283 です。
4番目の写真は転炉の写真です。出典は、http://m.jp.ajunews.com/view/20200224103152505 です。
5番目の写真は圧延工場です。出典は、http://www.toyo-keizai.co.jp/news/economy/2019/10_90.php です。

「韓国にある世界遺産の仏国寺や海印寺などの写真」

2024年08月25日 | 写真
日本にも貴重な文化遺産があります。奈良の唐招提寺や京都の高台寺などなどです。同じように韓国にも素晴らしい世界遺産のお寺があります。
今日は韓国の世界遺産の仏国寺や海印寺などのを写真でご紹介いたします。
写真の出典は、https://www.travelbook.co.jp/topic/18683 です。

1番目の写真は韓国の世界遺産の「宗廟 」です。お寺です。牌を祀ってあります。
朝鮮王朝の歴代王と、そして王妃の位牌を祀っており、神聖な場所として知られています。
正殿19室に49位、永寧殿16室に34位、功臣堂に臣下の位牌83位、合計166位が安置されています。


2番目の写真は世界遺産の「仏国寺 」です。
仏教芸術の最高傑作かつ国宝の寺院とされている仏国寺は理想的な彼岸の世界観が表現されております。
この仏国寺 は1982年に家内と訪問したことがあります。

3番目の写真は韓国の世界遺産の「慶州歴史地域 」です。
慶州市周辺の史跡や古墳の総称で、塔や仏像などが山全体に散在している南山(ナムサン)地区、新羅の王宮が置かれていた月城(ウォルソン)地区などの地域があります。
慶州市の南山地区は1982年に家内と訪問したことがあります。

4番目の写真は韓国の世界遺産の「海印寺 」です。
1200年以上の歴史があり、韓国最大規模の宗派である曹渓宗の寺院です。
海印寺も1982年に家内と訪問したことがあります。瓦屋根の稜線が優美に反っているのが印象的でした。

5番目の写真は韓国の世界遺産の「朝鮮王陵の王墓群」です。
朝鮮王朝の歴代の王が眠っている墓です。40基がソウル近隣に点在しており、遺跡では現在も祭礼が行われています。

ついでに韓国の世界遺産の一覧を以下に示します。

世界文化遺産:
石窟庵と仏国寺 - (1995年登録)
海印寺大蔵経板殿- (1995年)
宗廟 - (1995年)
昌徳宮 - (1997年)
華城 - (1997年)
慶州歴史地域 - (2000年)
高敞、和順、江華の支石墓群 - (2000年)
朝鮮王陵 - (2009年) 
大韓民国の歴史的村落:河回と良洞 - (2010年)
南漢山城 - (2014年)

世界自然遺産:
済州の火山島と溶岩洞窟- (2007年)

以上の世界遺産の中で朝鮮王陵を見てみると李朝朝鮮の歴史が一挙に分かります。
朝鮮王陵は、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国にある朝鮮王朝時代の歴代王族の王陵です。朝鮮王陵は、1408年から1966年のおよそ5世紀にわたって造られたのです。
2009年6月27日に韓国が申請した朝鮮王陵40基がユネスコにより世界遺産として登録されています。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B%E9%99%B5 より)

そして同じく世界文化遺産の昌徳宮の概略を説明すると以下のようになります。
朝鮮王朝の開祖李成桂は1392年に開城で王に即位、その2年後の1394年に漢陽(漢城、現在のソウル)への遷都を決定します。
無学大師の風水に基づき漢江の北、北岳山の南にあたる「陽」の地が選ばれ、李成桂が開城で政務を執っている間から王宮の建設が始まったのです。鄭道伝によって「景福宮」と命名され、1395年から李氏朝鮮の正宮として使用されました。
1397年には漢陽の城郭と四大城門が完成しました。その後約200年間、正宮として使用され、1553年に大火によって焼失しました。1592年の文禄の役において、国王の宣祖が漢城から逃亡して治安が乱れると、先陣争いをする小西行長らの一番隊や加藤清正らの二番隊の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり再び焼失したのです。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E7%A6%8F%E5%AE%AE より)

以上、韓国の世界遺産のお寺についてご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「韓国にある16の世界遺産」

2024年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム
韓国の世界遺産は16件です。そのうち文化遺産は14件、自然遺産は2件です。
その一覧を示します。
石窟庵と仏国寺文化遺産1995年
八萬大蔵経の納められた伽倻山海印寺文化遺産1995年
宗廟文化遺産1995年
昌徳宮文化遺産1997年
華城文化遺産1997年
慶州歴史地域文化遺産2000年
高敞、和順、江華の支石墓群跡文化遺産2000年
済州火山島と溶岩洞窟群自然遺産2007年
朝鮮王朝の王墓群文化遺産2009年
韓国の歴史的集落群:河回と良洞文化遺産2010年
南漢山城文化遺産2014年
百済歴史地域文化遺産2015年
山寺[サンサ]、韓国の仏教山岳僧院文化遺産2018年
ソウォン[書院]、韓国新儒学学院文化遺産2019年
韓国の干潟自然遺産2021年
伽耶古墳群文化遺産2023年
写真に山寺[サンサ]、韓国の仏教山岳僧院を示します。

「今日はカトリック松原教会のミサにあずかりました」

2024年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム
2024年08月25日 、 年間第21主日

今日はインターネットを通してカトリック松原教会のミサにあずかりました。
ミサの動画配信は下記です。
https://matsubara-cath.chu.jp/ja/online-mass/#:

添付の写真は今日の松原教会のミサの風景です。

ミサはカトリック教会においてパンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる祭儀です。 司祭が司式し、信者全体が捧げるものです。カトリック教会で最も重要な典礼儀式です。
〒156-0043
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