後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「北京の仿膳飯荘」

2024年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 北京市の仿膳飯荘は宮廷の味を今に伝える料理が食べられる中国の老舗レストランであり、北海公園の漪瀾堂、道寧斎など乾隆年間に建てられた古建築群の中にあります。1925年に宮廷の御膳房(厨房)で働いていた数名の料理人によって創業されました。

「仿膳」は、専門的に宮廷御膳房の手法を模して作られた料理やお菓子などの食べ物の意味であり、現在に至るまで85年の歴史があります。
 仿膳飯荘は清の宮廷料理の研究と整理、継承と革新、経営と保護を行う単位であり、数十年経営する中で、ずっと宮廷の味の特色を保ってきました。

名高い宮廷料理の発掘と研究・開発のため、仿膳飯荘は何回も人を故宮博物館へ派遣し、おびただしい量の宮廷料理の記録の中から、乾隆・光緒年間の数百にもおよぶ料理を整理しました。
https://jr.visitbeijing.com.cn/index.php/food/18

「世界遺産、安徽省黄山市の 西遞と宏村の写真」

2024年08月23日 | 写真
中国の世界遺産、宏村の風景写真を4枚お送り致します。
写真の出典は、http://www.cnta-osaka.jp/heritage/ancient-villages-in-southern-anhui-xidi-and-hongcun です。
 安徽省黄山市にある宏村と西遞という2つの伝統的な古村落はあわせて世界遺産になっています。中国の昔のままの農村を残しています。
「宏村」は県城から北東10km にあり、南宋の紹興元年(1131 年)に建造され始められました。古くから汪氏一族が暮らしていた土地で、明・清時代の旧建築物137 棟が現存しています。
「西遞」は県城から8kmのところにあり900年以上の歴史がある村落です。古くは胡氏一族が暮らしていた土地で、明清の旧民家124棟、祠3棟があります。「中国明清民家博物館」とも呼ばれています。
=====参考資料=======================
 中国の世界遺産の一覧、https://whc.unesco.org/ja/list/?iso=cn&search=&
合計56 遺産。
  • 万里の長城 (1987)
  • 莫高窟 (1987)
  • 秦の始皇陵 (1987)
  • 泰山 (1987)
  • 北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群 (1987, 2004)
  • 周口店の北京原人遺跡 (1987)
  • 黄山 (1990)
  • 黄龍の景観と歴史地域 (1992)
  • 武陵源の自然景観と歴史地域 (1992)
  • 九寨溝の渓谷の景観と歴史地域 (1992)
  • ラサのポタラ宮歴史地区  (1994, 2000, 2001)
  • 曲阜の孔廟、孔林、孔府 (1994)
  • 武当山の古代建築物群 (1994)
  • 承徳の避暑山荘と外八廟 (1994)
  • 廬山国立公園 (1996)
  • 峨眉山と楽山大仏 (1996)
  • 麗江旧市街 (1997)
  • 蘇州古典園林 (1997, 2000)
  • 古都平遥 (1997)
  • 頤和園、北京の皇帝の庭園 (1998)
  • 天壇:北京の皇帝の廟壇 (1998)
  • 武夷山 (1999)
  • 大足石刻 (1999)
  • 青城山と都江堰水利(灌漑)施設 (2000)
  • 龍門石窟 (2000)
  • 明・清朝の皇帝陵墓群 (2000, 2003, 2004)
  • 安徽南部の古村落-西逓・宏村 (2000)
  • 雲崗石窟 (2001)
  • 雲南三江併流の保護地域群 (2003)
  • 古代高句麗王国の首都と古墳群 (2004)
  • マカオ歴史地区 (2005)
  • 四川ジャイアントパンダ保護区群 (2006)
  • 殷墟 (2006)
  • 中国南部カルスト (2007, 2014)
  • 開平の望楼群と村落 (2007)
  • 福建の土楼 (2008)
  • 三清山国立公園 (2008)
  • 五台山 (2009)
  • 河南登封の文化財“天地之中” (2010)
  • 中国丹霞 (2010)
  • 杭州西湖の文化的景観 (2011)
  • 上都(ザナドゥ)の遺跡 (2012)
  • 澄江の化石産地 (2012)
  • 新疆天山 (2013)
  • 紅河ハニ棚田群の文化的景観 (2013)
  • シルクロード:長安-天山回廊の交易路網 (2014)
  • 中国大運河 (2014)
  • 土司の遺跡群 (2015)
  • 左江花山のロック・アートの文化的景観 (2016)
  • 湖北省の神農架 (2016)・・・・・以下省略。

「中国の北海公園と仿膳飯荘」

2024年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
1981年に周栄章さんと2人で一緒に初めて行った北京の北海公園と仿膳飯荘をご紹介したいと思います。
中国人は権力者に表向きは従いますが、心の中では個人的な信義を一番大切にしている民族なのです。
周栄章さんと2人だけで北海公園を歩いていました。その先にある仿膳飯荘で北京鋼鉄学院の学長が私の歓迎会をしてくれるというのです。
1番目の写真は北京の北海公園の石の回廊です。写真の出典:http://www.chinatrip.jp/beijing/album-57.htm です。
歓迎会で当時あった「茅台酒(マオタイシュ)」の乾杯の応酬で、私もいささか酔いました。
学長さん達に感謝の言葉を述べました。すると学長は中国への旅の感想を聞きます。私はつぎのような話をしました。
「中国は良い国です。けれど共産主義は独裁政治を生むので好きではありません。しかし中国が欧米の植民地にならないためには共産主義を選ぶ他は無かったと思います。中国が欧米列強の植民地にならなくて本当に良かったです。私も嬉しいのです。」
このような内容のことを、一気にしゃべりました。英語で喋りました。
これを聞いて学長さんは深くうなずいて、「あなたは中国について何を喋っても良いです。自由にこの国を楽しんで下さい」と言ったのです。この一言で私は途端に楽しくなったのです。
2番目の写真は仿膳飯荘の入り口です。写真の出典は、http://www.chinatrip.jp/beijing/album-655.htm です。
出された料理は女性権力者の西大后の好きそうな小さく綺麗に盛り付けた、いわゆる宮廷料理でした。
周栄章さんの招きで2年後に行った家内はその精妙さと美味しさに感激していました。
3番目の写真は仿膳飯荘の宮廷料理です。写真の出典は、http://www.chinatrip.jp/beijing/album-655.htm です。
周栄章さんは北京鴨の有名店でなく裏町の小さな北京鴨店へ何度も連れて行ってくれました。
冷蔵庫が無いのか、あまり冷えていない五星ビールが出ます。前菜でビールを飲んでいるとやがて見事に焼きあがった鴨が出てきます。
4番目の写真は北京ダックの写真です。写真の出典は、http://imagenavi.jp/search/#!/ です。
うす暗い北京鴨の店でいろいろな話をしました。お互いに英語で話し合いました。
北京鴨は自分で皮を切り取って、薄い白い餅に乗せ、ネギと味噌を塗って、餅でくるりと巻いて食べるのです。
皮を全て食べ終わると料理人が出て来て、皮の無い鴨を下げます。調理場で肉を取って、2種類くらいの料理に仕上げて、又持ってきます。それを食べ終わる頃に鴨の骨でダシを取ったスープが出て来ます。これで終わりです。
周栄章さんは私を中国の観光地に案内してくれました。北京原人の周口店、明の13陵、頤和園、天壇、大鐘の寺、長城、承徳、そして西安の秦の始皇帝の墓、兵馬俑、などなどへ案内してくれたのです。しかし話が長くなるので、ここでは北京郊外の離宮の頤和園の写真を1枚だけ示します。写真はインターネットからお借りしました。5番目の写真は頤和園の前に堀って作った湖とその土で出来た山です。 頤和園は私の好きな離宮なので写真を示しました。写真は「頤和園の写真」を検索してネット上にあるものからお借りしました。
その周栄章さんを私も日本に招びました。自宅に泊まってもらい、いろいろな観光地へも案内しました。
周栄章さんは2004年に亡くなりました。亡くなって20年たちましたが彼の温かい友情を思い出す度に胸が熱くなります。
 
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「軍事大国、共産主義の中国の実像とは?」

2024年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
2011年8月30日に、私は次のような記事を掲載しました。
「強大になった中国、その共産党独裁の社会の実態」
現在の中国はアメリカに次ぐ世界の大国です。軍事力も強大な国です。
しかし私が初めて北京を訪れた1981年の頃は世界の最貧国に一つでした。市民は汚れた人民服を着て食料も十分でなく街路には飢えた人々があふれていました。その中国が経済急成長をして、アメリカにつぐ世界で2番目の豊かな国になったのです。これは世界の奇跡です。私はまだ信じられません。・・・以下は省略します。
この記事では経済成長をとげた中国を賞賛するようなニュアンスがありました。
そうしたFace Bookで中村 裕一さんとフランス在住のMotoko Boutdumondeからバランスの良い適切なコメントを頂きました。
大変客観的に中国の実像を描いているので今日はこのお二人のコメントをご紹介致します。
(1)中村 裕一さんからのコメント
今朝の日経朝刊5面に「習氏の『共産主義革命2.0』」という記事が掲載されています。習氏は「資本主義的経済の成熟と矛盾の露呈」を乗り越えて、改めて人類社会の再挑戦となる「共産主義革命」を目指しているとする言説は大変興味深いです。ソ連が失敗した社会主義から共産主義への体制移行に改めて挑戦しているようです。マルクスの資本論の見立てに対する再挑戦です。
私見では、経済成長率やAI、量子などの科学技術の特定分野では既に米国を凌駕しており、DX社会化(進化したデジタル技術を普及した社会 )では日本よりはるか先を行っています。現時点では中国国民の貧富の差が拡大していることよりは、国民全体の生活水準が上がっている点に注視すべきでしょう。中国内部体制崩壊論は天安門事件以前から喧伝されていますが…。
しかし中国関係のニュース報道では、日本のマスコミ報道機関、SNS上のサイトは親中派と反中派に立場が分かれており、バイアスのかかった情報が多いです。コロナウイルス発生源に関する報道などで明らかです。
我々情報の受け手は様々な情報を比較検証・吟味することが必要かと思われます。情報源の明記ない二次情報は、私は信用しないことにしています。

(2)フランス在住のMotoko Boutdumonde さんからのコメント
民衆が反政府運動を始めるといろいろと上から圧力がかかるようです。反政府運動だけでなく、例えば何か問題を訴えようとしてそれを公けにするような運動も含めてです。数年前までは例えば子供を誘拐された親たちが集まって小児の誘拐問題を訴えた小さなデモなども公安に邪魔をされたり、親たちが警察に連れて行かれて留置されることがかなりありました。これはこちらのテレビのルポルタージュなどで何度も指摘されたことです。最近では武漢でコロナの危険性を問題視した医師が逮捕されたこともありますね(その医師は結局コロナでなくなりましたが)https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiT-qjGt9byAhWB4YUKHW7rC3kQFnoECAUQAQ&url=https%3A%2F%2Fwww.latimes.com%2Fworld-nation%2Fstory%2F2020-02-06%2Fcoronavirus-china-xi-li-wenliang&usg=AOvVaw1aoTc8w8rshIknMkv8hi3K
これが反政府運動となるともっともっと厳しく弾圧されると思います。今は香港がその良い例です。他にももっと色々な例があります。
ですから反政府運動は起きているのでしょうが、まだまだ共産党独裁の国だと思います。残念ながら…
==================================

私は親中国派なので中国に対する見方が甘くなります。上記の中村 裕一さんとMotoko さんからのコメントは私の親中国派的な記事を補正しています。
このようなコメントを頂けるのがインターネットの有難いところです。

5枚の写真をお送りいたします。はじめの2枚は豊かさの溢れる上海の風景で、続く3枚は内陸部の貧しい農村風景です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
1番目の写真は上海の浦東地区の高層ビル群の風景です。
2番目の写真は自動車が渋滞している上海の街路です。このように中国の都会は自家用車が普及しています。人々は高層ビルの豪華なマンションに住んでいます。
3番目の写真は内陸部の貧しい農家です。私もこんな農家に入ったことがあります。正面の入り口を入ると右半分は土間で物置になっています。そして一隅に竈があり大きな中華鍋が載っています。主食からおかずまで全ての料理は大きな中華鍋で作ります。左半分は一段高い板張りになっています。そこは食事をしたり寝る場所です。一段高い板張りの下は土です。その土に煙道が縦横にあり炊事用の竈からの熱い煙で床板を温めています。いわゆるオンドルです。こうして寒い冬の夜を過ごすのです。
 
4番目の写真は農作物を貯蔵する土で作った土蔵です。運搬にはリアカーを使います。
5番目の写真は自転車の三輪車の子供を乗せている風景です。写真の奥に昔日本にもあった荷物運搬用のオート三輪車が写っています。
このような農村を歩いていると貧しさを忘れ、のんびりして良い気分になります。人々の表情もおだやかです。中国に共産革命があったことなど知らないような雰囲気です。内陸部の農村は経済成長とは関係が無いのでしょうか?これは中国の実像なのです。

「ベルサイユ宮殿の近くの国際会議から中国との交流が始まった」

2024年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
最近はアメリカやヨーロッパの思い出を書いてきました。私とアメリカ人やドイツ人との交友を詳しく書きました。それに続いて今日からは中国人との交流を書きたいと思います。
中国人との交流はベルサイユ宮殿の近くでの国際会議から始まりました。1979年のことです。その国際会議で初めて数人の中国人に会ったのです。その会議は鉄鋼製錬の物理化学に関するものでした。フランスをはじめ各国の学者が集まりました。その会議に中国人の学者が現れたのです。
1976年に毛沢東が死ぬまでは外交官以外の中国人は外国へ出ることが出来なかったのです。中国人が外国へ行ける時代が来たのです。これには皆が驚きました。
主催者のフランス人が出席者全員をベルサイユ宮殿に招待してくれました。それは夜の特別な招待です。宮殿のあちこちにロウソクの光が揺れ幻想的な雰囲気です。特に鏡の間は全てロウソクだけのシャンデリアで照明されています。
1番目の写真はベルサイユ宮殿の鏡の間です。1979年に訪れてこの鏡の間だけでなく外の広大な庭園にも感銘を受けました。
この鏡の間の中で北京から来た周栄章さんが私に、「このベルサイユ宮殿よりもっと素晴らしい紫禁城を案内するから中国に来ませんか?」と誘ってくれたのです。
そして会議の合間に瀋陽の大学の覊春林(きしゅんりん)先生も瀋陽への訪問も誘ってくれたのです。
この誘いのことを会議の幹事だったリブーというフランス人に相談しました。彼は是非行ってこいと言います。そして今回来ている中国人はみんな共産党員だと教えてくれました。
この二人の誘いで1981年に北京と瀋陽の大学で講義をすることになりました。
当時は中国人で外国旅行が出来る特権は共産党員にしか持っていなかったのです。それが当時の中国社会の実態だったのです。
この続編に、いろいろと中国社会の実像の様子を書いていきたいと思いますが、今日は一つだけ書きます。
それは「中国社会のいろいろな分野で成功するためには共産党員でなければ難しい」という実態です。
上の国際会議もその一例です。共産党員でなければ出席できなかったのです。夜のベルサイユ宮殿も見物出来なかったのです。
また上の一例が示すように中国では学者も芸術家も会社の経営者もみんな共産党員なのです。それは各分野の有力者です。総人口の数%しかいない特権階級なのです。
日本では共産党員といえば政治活動をしている人だけです。代々木の共産党に所属している人はみんな政治活動をしています。しかしそれは日本の総人口に比べると非常に少ない人数です。
中国の社会はどんな分野でも共産党員が有力者になっているのです。
これが中国の共産党独裁制を支えている強い基盤になっているのです。
私個人は共産党は嫌いです。しかし中国が好きです。
私は親しい中国人の友人を2人持っていました。1981年に中国に行って以来、何度も中国へ行き非常に親しくなりました。2人とも中国共産党の党員でした。
周栄章と金応培という方で、北京と瀋陽にある大学の教授でした。親しくなってから中国の社会の実際の様子をいろいろ聞きました。
その社会は我々の想像を絶するものでした。
これから中國社会の実態を書いていきたいと思います。

今日はベルサイユ宮殿の近くの国際会議から中国との交流が始まったいきさつを書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)