スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(令和)

2019-05-01 17:28:02 | 日記
5月1日(水)
 テレビは令和を祝う各地の盛り上がり報道で花盛りだ。それを見る限りだが、ほとんどの日本人は令和に好感を持ち、新元号の幕開けを喜んでいる模様だ。テレビが写すような騒ぎ振りまでしなくても、好ましいとの思いなら全員が、心中抱いているように想像する。
 前にも書いたが「令」は決して最上の良しを表す言葉ではない。「令夫人」とは言うが「令御主人」とは言わない。「巧言令色鮮し仁」とあるように、私は「令色」を上辺だけの取り繕いとは解釈しないが、最高の徳である「仁」が少ないとの文意なのだから、やはり最上の良しを表す言葉ではないだろう。金石文で「令」は、人に指示する声、それに口をつけて意味を更に明確にしたのが「命」である。
 それなのにこの盛り上がりを見るとある考えに飛躍してしまう。前記のような解釈は漢文の世界のものだ。つまりは中国の影響下にある考え方である。そこから脱しようとする、21世紀の国風運動が起こっているのではないか、そんな高揚感である。
 江戸時代に一旦国学が興隆したが、開国後は西洋文化に押しつぶされた。最近まで或いは今でも、西洋文化に押されっぱなしである。その対抗感から明治以降味方をアジアに探したいとの心理が日本人に生じ、再び中国文化への傾斜を深め今日に続いているように感じる。それが中国文化から離れる心持に人々がなって、「令和」歓迎がその表れであるのなら、誠にもって喜ばしい限りである。
 万葉集から取ったとはその意味で、「令」の日本的解釈の公言であろう。漢文的教養では最上の良しではないかもしれないが、日本の国柄からいけば最上の良しだ。何が悪い、漢文に従わねばならぬ理由などない、そういう文化の独立宣言である。
 平安時代くらいまでだろうか最上の屋根仕様は瓦葺きであった。檜皮葺は私用の建物に使う、一段格式の落ちるものであった。それがいつの間にか逆転して、今では檜皮葺こそ最高権威の屋根仕様である。「令」だって同じだ。これが心からの民族の独立というものだ。
 日本人は西洋文化と対抗するために最早、無理してアジアに味方を探す必要を、感じなくなっているのだ。150年たってそこまで国柄を充実させたのだ。日本は国風を発揮すれば、西洋と対決できる所まで来たのだ。むしろ中国文化との連携は日本を弱くする。
 そんな高揚感で今日は酒を飲む。