スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(何故無謀な戦争へ~)

2018-07-13 11:33:48 | 日記
7月13日(金)
 このところ体調が悪い。ギックリ腰をやってしまったし、その後歩いたら、又腰が痛くなってしまった。腕立て伏せも八回くらいしか出来ないやわな体で、大した運動はしていない筈なのに、時折ひざとかが痛み出すようになった。掌をそり返すと右手の方が反り返えりが悪く、指圧をすると親指の付け根が痛い。もう体を動かすことは行き止まりで、頭脳作業にしか進める道はないのかもしれないと、馬鹿な感慨を持ってしまう気分だ。
 だからというのでは勿論ないが勉強をしようという気持ちが高くなった。歴史はもともと好きだったから日本史をやろう。という訳で川田稔という人の「昭和陸軍全史3」という本を読んだ。そこでよく言われる、なぜ日本は無謀な戦争に飛び込んだのかを、考えてみた。
 私の今のところの結論は日米戦は必然であった、或いはやむを得なかったというものである。当時の日本がこれ以上発展しようとすれば南進するしかないが、そうなると必然的に英仏蘭と衝突することになる。南進せずに発展する道が見つかればよいが、まあ考えつかなかったのであろう。欧州情勢はドイツとイギリスが戦争を始めてイギリスが負けそうである。ならばドイツに味方してイギリスが負けた時、英仏蘭が持つ東洋植民地の分け前にあずかろうとの国策を決定したのは、至極妥当な判断であったと考える。問題はアメリカが参戦してくる危険性であるが、三国同盟にソ連を加えることでアメリカを抑止できると図った。それは奏功すれば確かに名案であったろうが、肝心なドイツとソ連がすぐに戦争を始めてしまった。日ソ不可侵条約はソ連も歓迎するところであったろうが、それだけで貪欲なスターリンを四国提携に繋ぎ止めておけれると考えたとしたら、当時の日本の指導者は甘いと言わざるを得ない。まあ甘くてもそれ以外にアメリカを抑止する手段が思い浮かばないのも、又事実である。
 問題は独ソ戦が始まった時に従来の国策を変えて、英米側に立てばよかったのではないかとの考えである。日本がドイツに宣戦を布告して大西洋に艦隊を出せば、日米戦は当然に回避できたはずである。当時の指導者の多くは多分考えたであろうが、公的会議で議題になることはなかったようである。前掲書でも田中新一作戦部長が、それは一時の安泰でドイツが負けた後次に日本が潰されると、議論から排除したと書かれているだけで、突っ込んだ記述はない。
 私が思うにドイツ敗戦の後はこうなったのではないだろうか。日本は連合国の一員だからもう南進は出来ない。門戸開放を謳うアメリカに配慮して中国の日本権益地域にも、アメリカ資本を参入させざるを得ない。しかし満州国の承認と華北地域への駐兵権利は獲得できたのではないか。支那事変も米英が蒋介石に強圧して停戦できたであろう。つまり原爆を落とされる悲惨な敗戦はせずに、その当時の現状維持がほぼできたと考える。同時に国内の不況も閉塞感もそのまま続いたであろう。が、もし当時国民投票があって、これらの選択肢が提示されたとしたら、国民はドイツへの宣戦(言い換えれば対米戦回避)を選んだことだと思う。
 そうはならなかったのは軍部の存在であると思う。もし英米の側に着いたら日本はこれからも、当時の小日本国の儘である。小日本に巨大な軍備は不要だとなって、陸海軍共に半分くらいに削減される事態に進んだと予想する。軍人はそれは絶対に許さない。そもそもドイツへの宣戦は国策の180度の大転換となる、ただでさえなし難い政治的作業である。それに軍部が絶対反対とくれば、従来通りの方策で進み、日米戦になったのはやむを得ないと、考える次第だ。
 ならば国策の初めから米英側に着けばよかったのではないかとなるが、帝国主義の時代に植民地を取る地域がないから、それでは国の発展が出来ない。出来ないどころか現状維持は、国力の相対的低下となり、米英に飲み込まれる危険性さえあった。既成の陣地地図の何処かを壊して己の陣地を作らねばならなかった以上、反米英策は当然であり、悪く転んで敗戦になったのも必然であったと思う。今のところ私が思いつく反省点は、日米戦の戦闘過程の中での日本海軍のだらしない戦いぶりに、限られている。