スケッチブック30

生活者の目線で日本の政治社会の有様を綴る

スケッチブック30(何故天皇たり得るのか?)

2019-09-02 11:29:32 | 日記
9月2日(月)
 天皇の功利性についてはもう少し研究するとして、何故天皇は天皇たり得るのかを考えてみた。天皇を一つの宗教の教祖と捉えてみると、教祖が教祖たり得るのは、門徒が信仰をするからである。親が信徒だったからとか教場の雰囲気が捉えて離さないからとか、信仰を続ける動機は様々であろうが、門徒が信仰するから教祖は成り立つ。そこで教祖の方も門徒を離さない工夫が必要になる。教祖が破廉恥な行いをしては勿論、信徒に福を与えることをしないと、宗門はすたれる。
 これを整理すると教団維持の為には、一つ、教祖が教祖らしくある事と、信徒に福音を与える、この2つの点を持つことであると思う。福を与えることが天皇の功利性となる。私は漠然とは功利性を感じているが、いまだ明解に叙述できない。
 そこで天皇らしくあるとは何かとの方を考えてみるに、これも様々な要件があろうが、国民の間に普遍性を持って現象するという事が最も必要な要件であると思う。国民の誰にでも受け入れられなくてはならないという事だ(もちろん極端な反天皇論者は無視する)。その為天皇に党派性があってはならない。キリスト教やイスラム教は論外だが仏教だって立ち入れば宗派間の闘争がある。だから天皇は既存宗教の宗教色を帯びることはできない。また階級によって立つ事も出来ない。階層ならばどうだとなるが、「上級国民」との言い方が普通に通る世の中だから、経済力とか教養などの点でも偏りがない立場に立たなくてはならない。天皇にはそういう普遍中立性が要求されるが、同時に、宗教性も持たなくてはならない。宗教性とは権威、荘厳さ、相対するとひれ伏さざるを得なくなる感覚などである。宗教性のない存在に人は信仰心とか帰依する心を持ちえないと思うからだ。だから一番簡単なのは日本教とでもいう宗教を作って、天皇をその教祖にすることである。戦前の国体明徴運動などはそういうものだったと思う。
 しかし少数ならばともかく一億を超す国民を一つの宗教に纏めることは、しかも新たにそういう宗教を作って行う事など、とても無理である。天皇制が将来どうなるか予断を許さないが、明解に述べられずともその功利性を感得する私としては、天皇の普遍性を棄損する行為は絶対に避けなければならないと訴えたい。女系容認とは、男系と女系を共に容認すること、つまり一つの家の子供だけ(具体的には愛子家)に皇位継承者を、限定するという事である。男系という普遍性が一家という狭い家系に限定される。継体天皇がもつ意味とは、五世だろうが皇位継承者なのだという、天皇になるべき人は広い日本の中の何処かにいるという、天皇有資格者の普遍的存在という事なのだ。この普遍性あればこそ天皇は全日本人に受け入れられるのだと思う。

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